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"闘う老人"飯山一郎氏ではないが、「馬毛島の先には悲惨な日本の未来が垣間見える。」http://grnba.com/iiyama/2012 .05.18参照 http://news.ktstv.net/e31110.html 【動画】馬毛島問題・硫黄島でFCLPを公開2012年05月17日 【動画ニュース】http://news.ktstv.net/e31110.html 西之表市の馬毛島にアメリカ軍の空母艦載機の訓練=FCLPの移転が検討されている問題です。この訓練は現在、東京の都心からおよそ1250キロ離れた小笠原諸島の硫黄島で行われていますが、在日アメリカ軍は16日、現地に鹿児島の報道関係者を招き、訓練の模様を公開しました。 【関連情報】 「馬毛島の軍事施設化を許さない屋久島の会」http://magejima.blog.fc2.com/ 「馬毛島」http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E6%AF%9B%E5%B3%B6 馬毛島(まげしま)は、大隅諸島の島の一つ。行政区画としての「馬毛島」は、鹿児島県西之表市の大字である。郵便番号は891-3118。種子島の西方12kmの東シナ海上に位置し、面積は8.20km?、周囲16.5km。最高地点は島中央部の岳之越の71.7m、地勢は低くて平らである。島には河川がなく地質は農業に適さない。島内には、ニホンジカの1亜種であるマゲシカが棲息している。島の周辺は好漁場となっている。 鎌倉時代から種子島氏の領地となっていたが、漁師がトビウオ漁の時期に1〜2カ月ほど小屋に泊り込み、漁業基地としていたほかはほとんど住民はいなかった。明治以降は牧場としての利用が試みられる。太平洋戦末期の1944年に海軍の防空監視所が設置されたことに伴って無人島となった。 1951年からは戦後緊急開拓事業による農業開拓団が入植を開始。ピーク時の1959年(昭和34年)には113世帯528人が島に住み、サトウキビ 栽培や酪農を営んでいた。しかし、農業に適さない土地であることに加え、害虫や鹿の農作物被害が増加し生活が困窮したため、島民は徐々に島を離れていった。1980年(昭和55年)3月に最後の島民が島外に移住し、西之表市立馬毛島小・中学校も最後の卒業生を送り出して閉校、島は無人島となった。 1974年、平和相互銀行により馬毛島開発株式会社が設立される。当初はレジャー施設の建設を計画していたが挫折。馬毛島が国の石油備蓄基地の候補地になったことから土地買収が進んだ。しかし石油備蓄基地は鹿児島県志布志湾に決定し、以後島は放置される。 このあと馬毛島は、日本の無人島の中では北海道の渡島大島に次いで2番目に面積が大きい島とされていた。 1983年、右翼活動家の豊田一夫は、平和相互銀行に馬毛島の土地を自衛隊の超水平線レーダー用地として防衛庁に売却するという話を持ちかけ、不正経理によって用意させた巨額の資金を政界にばら撒いたとされている。これは1986年に発覚、経営が悪化していた平和相互銀行は住友銀行に救済合併された(馬毛島事件)。 1986年には前年に起こった山火事等の影響で集団化したトノサマバッタが大発生(蝗害)したが、翌年には収束した。 1995年、立石建設が馬毛島開発を買収して子会社とする。馬毛島開発は島の土地の買収を進め、西之表市の公有地である市道と旧学校地を除く大半を所有地とした。馬毛島開発では、日本版スペースシャトル(HOPE)の着陸場、使用済み核燃料中間貯蔵施設などを誘致するとの構想を持っていたが、実際の開発は進まず、わずかに採石事業などが行われている。 2005年(平成17年)の国勢調査では、同社の従業員15人が住民として登録されており、再び有人島扱いとなっている。 滑走路建設問題 2007年(平成19年)に硫黄島に代わるアメリカ海軍空母艦載機の陸上空母離着陸訓練(FCLP)に利用する可能性が報道された。これに対し周辺自治体議会は反対決議を可決した。2009年(平成21年)12月には、沖縄県宜野湾市にある普天間飛行場の移設候補地として検討された。馬毛島開発は島で土木工事を進めており、4,000m級の滑走路を建設するとしていた。 2011年5月には、北沢俊美防衛相が陸上空母離着陸訓練施設の候補として検討を指示していることが報道された。馬毛島は過去に汚職の舞台となり、また立石建設およびその子会社である馬毛島開発の社長を務めていた実質的なオーナー立石勲および法人としての立石建設が、法人税3億2000万円を脱税したとして在宅起訴され、2011年6月に有罪判決を受けている、などの事情から、防衛省では島の敷地の買い取りを前提としているが、立石勲はリースによる利用を主張している。2011年6月になり土地の99.6%を所有するタストン・エアポート(馬毛島開発から商号変更)と防衛省の間で、用地交渉開始の合意書が締結された。また日米安全保障協議委員会(2プラス2)において、FCLP の移転先として馬毛島を検討対象とすることが共同文書に明記された。 報道等では、馬毛島開発が島を十字に横切る「滑走路」を建設してるとしているが、実際には測量名目で樹木を伐採し表面を整地している。この開発は、鹿児島県への森林伐採届および林地開発の許可を得ていたが、届出よりも大規模な伐採・整地・盛り土をおこなっているとされている。 2011年7月には、開発工事によりマゲシカが2000年以降半減しているとの研究者による調査結果が報道され、これを受けて実態調査を鹿児島県に要望する動きも出ている。 2011年9月には、タストン・エアポート社による乱開発により土砂が流出して漁場が破壊されたとして、地元種子島の漁師らが工事の差し止めや漁獲量の減少に対する慰謝料を求める訴訟を起こした。またこの他に、地元住民が行政(鹿児島県・国)を相手に開発の違法性を放置した責任を問う行政訴訟、および馬毛島の港周辺の入会地の一部を入会権を有する漁民の一部が旧馬毛島開発社に切り売りしたことの無効性を問う入会権裁判も起こしている。 なお、地元西之表市は、タストン・エアポート社による馬毛島の森林開発等の現状を確認するための立ち入り調査を再三申し入れているが同社は一貫して拒否しており、2011年9月15日には鹿児島県が同社の大規模造成に対して違法伐採の疑いや課税上の問題があるとして現地調査の受け入れを要請している。 |

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馬毛島
鎌倉時代から種子島氏の領地となっていたが、漁師がトビウオ漁の時期に1〜2カ月ほど小屋に泊り込み、漁業基地としていたほかはほとんど住民はいなかった。
明治以降は牧場としての利用が試みられる。太平洋戦争末期の1944年に海軍の防空監視所が設置されたことに伴って無人島となった。
1951年からは戦後緊急開拓事業による農業開拓団が入植を開始。ピーク時の1959年(昭和34年)には113世帯528人が島に住み、サトウキビ栽培や酪農を営んでいた。
しかし、農業に適さない土地であることに加え、害虫や鹿の農作物被害が増加し生活が困窮したため、島民は徐々に島を離れていった。
1980年(昭和55年)3月に最後の島民が島外に移住し、西之表市立馬毛島小・中学校も最後の卒業生を送り出して閉校、島は無人島となった。
1974年、平和相互銀行により馬毛島開発株式会社が設立される。当初はレジャー施設の建設を計画していたが挫折。
馬毛島が国の石油備蓄基地の候補地になったことから土地買収が進んだ。しかし石油備蓄基地は鹿児島県志布志湾に決定し、以後島は放置される。
2012/12/9(日) 午後 3:44 [ 底質汚染 ]
要するに大昔から何の役にも立たなかった島じゃん。
滑走路で初めて役に立つわけだ。
反対する理由が無いな。
2019/3/28(木) 午前 11:59 [ sbk***** ]