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1908年創立の煉瓦建ての寮だった。男子学生20名の小さな自治寮。今は、他大学の学生も受け入れているようだ。 http://www.hoshien.or.jp/volunteer/yuuai.html アメリカ人キリスト教宣教師ベニンホフが大隈重信の要請に応え創立した学生寮である。http://m.blogs.yahoo.co.jp/daniel1996ny/19394168.html 舎監はいたが寮生活の決定はすべて寮生に任されていた。その点で正に「自治」寮。クリスチャンでもない小生は、K 寮長らいかつい先輩のお目に叶いめでたく入寮。世界的企業創業者I が電線を張り巡らしていたという部屋を早速与えられ古風優雅な寮生活をスタートした。 平日は、「朝6時半起床、30分間聖書研究後、朝食……」という日課は全く苦にならず水を得て泳いだ。讃美歌だって率先して謳った。まるで熱心なクリスチャンであるかのように! そんなこんなで三年次には寮長に推され新入舎生の面接をするはめにー(笑) (続く) ★追記 故郷を思い出しながら独りよく詠った讃美歌は『山路こえて』。お世話になったムコさん(向谷容堂氏)の告別式の際もこの歌が流れていたなー。 「賛美歌404番山路こえて」 http://www.youtube.com/watch?v=Xp3UPF2mZNg&feature=youtube_gdata_player 作詞者は、西村清雄(1871年〜1964年)。 西村は明治4年(1871年)松山藩士の長男として誕生。成人後、来日して布教活動をしていた宣教師のジャドソン女史の「夜間学校」の設立運動に共鳴して「普通夜学会」を開設。そして21歳の頃には「普通夜学会」を「松山夜学会」と改称して初代校長に就任。寄宿生と寝食を共にして苦労を重ねながら、その生涯を教育に捧げた。 西村が明治36年宇和島で伝道をしていたジャドソン女史を応援した帰途、難所とされた法華津峠で夜を迎え、これまでの苦しい体験を峠越えに託して作った詩が「山路こえて」である。 後にこの詩が讃美歌の歌詞として採用され、日本人が作詞した初めての讃美歌になった。作曲はアメリカのアーロン・チャビン。 [歌詞] 山路こえて ひとりゆけど、 主の手にすがれる 身はやすけし。 松のあらし 谷のながれ、 みつかいの歌も かくやありなん。 峰の雪と こころきよく、 雲なきみ空と むねは澄みぬ。 道けわしく ゆくてとおし、 こころざすかたに いつか着くらん。 されども主よ われいのらじ、 旅路のおわりの ちかかれとは。 日もくれなば 石のまくら、 かりねの夢にも み国しのばん。 |

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