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			<title>原達也の映画日誌２００９年</title>
			<description>マイナー中のマイナーバンド『蛆虫』主宰者のブログです。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/uzimusi58h</link>
			<language>ja</language>
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			<title>原達也の映画日誌２００９年</title>
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			<description>マイナー中のマイナーバンド『蛆虫』主宰者のブログです。</description>
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		<item>
			<title>№２７１～２７５</title>
			<description>癸横沓院Γ供殖横亜惱杜魯團┘蹇(０９)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　舞台は仙台。大学の大学院で遺伝子の研究をしている泉水(加瀬亮)は、ストリートの落書きを消す仕事を請け負っている春(岡田将生)に、落書きの場所と近頃頻繁に起こる放火事件に関連性があると言われ、調べる事にする。一方養蜂業をやっている父(小日向文世)から癌に罹っていると告げられ衝撃を受ける。泉は調べていく内に24年前に起こった連続強姦事件に行き着く。実は交通事故死した二人の母(鈴木京香)はその事件の被害者だったのだ。悪い予感に襲われた泉水は密かに春と仙台に帰ってきた強姦犯人(渡辺篤郎)のＤＮＡ鑑定をする…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　最近相次いで映画化されている伊坂幸太郎小説の映画化。受難に見舞われながらも自らを「最強の家族」として生き抜こうとする家族の苦闘ぶりと、それを妨げる底のない今の社会ならではの悪意が交錯する。「杜の都」と呼ばれて何処となくロマンチシズムを醸し出す街が舞台なだけに、東京などを場所に設定するよりも強烈な印象を残す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　典型的な文系人間の俺には事件の謎解きに登場する遺伝子関連の事はチンプンカンプンだったし、事件の真相もさして意外とも思えないのだが、悲劇的な運命を引き受けていきねばならない弟の壮絶さ、密かに弟の思いを引き受けようとする兄、それを知りつつも敢えて追求せず子供たちを見守り、淡々と死を受け入れて逝く慈愛に満ちた父の、亡くなった母を頂点にしてのトライアングル関係が鮮烈。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ラストシーンを見ると「俺たちのやった事は誰にも裁けない」と言い切ってる訳で、これは警察や刑事を正義の代弁者として映画やドラマで描かれる事に慣れきってる観客層にとってはかなり過激な部類と言える。過激と言えば近頃消息すら聞かなかった渡辺篤郎が社会レベルを越えた悪辣な男を淡々と演じていて、過去の作品にない強烈な個性を感じさせる。勿論青春映画『天然コケッコー』(07)でデビューした岡田将生の成長ぶりも、大いに評価されていいだろう(☆☆☆☆)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横沓押Γ供殖横押慳襪僚燭繊(４８)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　敗戦直後の大阪。和子(田中絹代)は病弱の息子を抱え夫の戦地からの帰還を待つ身だったが、子供が死に夫も戦死した事が判明して落胆。しかし生き別れになっていた妹の夏子(高杉早苗)と再会は適った。しかし戦争で捨て鉢になった夏子は和子が勤める会社社長であり内縁関係でもある栗山を寝取ってしまう。ヤケクソになった和子は男という人種に復讐する目的で夜の女に。警察の取り締まりに引っ掛かり性病検査の為に病院に収容された和子は、そこで夏子と会う。妹は栗山に病気をうつされた上に彼の子を妊娠していた…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　溝口健二の戦後四本目になる監督作品で男に翻弄される底辺の女を田中絹代で描くという点では、『西鶴一代女』に時代は違えど直結する物が有るし、同時期同じ戦後を描いた巨匠でも黒澤は「男」の側に立ち、小津は小市民的な枠組みを逸脱する事は適わなかった。それに比べると溝口の目線の低さは形は違えどその後の日本映画にも繋がっていく可能性をこの時点で秘めていたと言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ごく普通な主婦であった女が敗戦によってメチャクチャになっていく悲劇、それは実際にもいっぱいあった事だろう。惨めさの中で慟哭の声をあげる和子の姿は戦後の女性の代弁者であると共に、男尊女卑社会を引き摺った戦後社会への明確なプロテストでもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それでも過去を水に流して妹を許し、出産を見届けるヒロインの姿には男に依存せず逞しく生きていくであろうとする新たな女性像への模索が伺える。黒澤の『酔いどれ天使』『野良犬』のスタイリッシュさには負けるかもしれないけど、戦後直後の日本映画の代表作の一つだと思う(☆☆☆☆)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横沓魁Γ供殖横押悒好肇譽鵐献磧次Εぅ鵐汽ぅ鼻(０１)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　犯罪更正施設にいた黒人娘のトレジャーは、わざと傷害事件を起こして刑務所に映る。その訳は生まれた直後に別れた母親がその刑務所に収監されていると聞いたから。母ブラウニーは凶悪犯で刑務所のボスとして君臨し、娘と名乗りをあげたトレジャーは母所内での麻薬密売に手を貸すようになる。しかしトレジャーによって「娘」だった立場を追われた白人女のキットはトレジャー、そしてブラウニーにも憎悪の視線を向けるようになり…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　01年に製作されたインディペンデント映画で、当時日本では未公開だった様子。黒人の不良少女の瞼の母物語なのだが刑務所が舞台なだけにヤワな内容ではない。人種の坩堝と化した刑務所内、看守とグルになってまかり通る密売、希望を抱いて出所しても即舞い戻ってしまう裏人生の哀しさ。女囚版『塀の中の懲りない面々』とも言うべき乾いた描写と、ブラックムービーに付き物のＲ＆Ｂ、或いはゴスペルに根ざした音楽の使い方も効果的で、無名だが監督も役者も可能性を感じる連中ばかり(具体的に今何してるかは不明だが…)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ただ結末は悲劇的といか、ヒロインによってはあまににむごい。その乾き具合が正にインディペンデントらしいんだけど、観る方としてはうすら哀しくなっちまうよ(☆☆☆)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横沓粥Γ供殖横粥悗海海蹐了殻』(６６)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　舞台は福島県の片田舎。小学校の女教師(吉行和子)が産休を取る事になり、産休代用教員として戦時中の教鞭の取った事のある本間秀代(山岡久乃)に依頼の話が。今は平凡な主婦でしかない秀代だが夫(宇野重吉)の反対を押し切り承諾。突然現れた彼女に当初なつかなかった生徒たちとも次第に打ち解けていく。そんな中周りから疎外されている生徒・清の事が気になる秀代。彼の家は呑んだくれの父を抱えて貧しく、それ故給食費の盗難の疑いが清にかけられていた。あれこれ清の面倒を見る秀代に他の教師やＰＴＡもいい顔をしない…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　福島県の本宮の主婦たちが「俗悪映画から子供たちを守ろう」との願いで新藤兼人らの近代映画協会に製作を依頼した独立プロ映画で、監督は新藤の同士・吉村公三郎。俗悪映画にどっぷり漬かってしまっている俺には余計なお世話だい！と言いたい気持ちもあるけど、まァ製作意図を無視すればなかなかの力作である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　産休代用教員制度は現在も存在しているのだが、一般の教師とは給与待遇の面でも著しく違う。例えば本作の秀代は学校の職員会議に出席する資格を持たない。産休が終われば学校とは無関係になってしまうのだから、学校内部の細い事に係わり合いになっても意味無しって事なのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　つまりそんな立場の代用教員だからこそ、クラスからつまはじきにされている生徒に心を寄せるという設定が不自然ではないのだ。母親(奈良岡朋子)が男と家出してしまい、父親も家に寄りつかず一人ぼっちの清を自分の家に連れて行ってまで世話をする秀代。アニメ『鉄腕アトム』に見入る清の姿(彼の家にはテレビがない)が時代を感じさせて良し。結局母親に引き取られて姿を消す清が秀代の最後の授業の日にやって来て…というラストの下りは正に「健全映画」ならではだが、地方ロケに長けた近代映画協会ならではの地に足がついた安定感があって、嘘くささは無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　山岡久乃は70年代にドラマ『ありがとう』シリーズで癸韻母さん女優となったが、それ以前は脇役として相当数の作品に出演しており、中には川島雄三の傑作『しとやかな獣』(62)のように後の芸風とはかけ離れたキツい性格の女も多く演じている。多分本作が唯一の主演映画だろう。『ありがとう』に通じるハートウォーミングな演技で監督の意向に良く応えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　脇役では寡黙な夫を演じた宇野重吉、理想主義の同僚教師役で後にロマンポルノで活躍する江角英明が好演。製作が近代映画協会なので殿山泰司も校長役で出演しているが、この人はどんな映画に出ても「殿山泰司」以外の何者でもないですね(笑)(☆☆☆☆)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横沓機Γ供殖横機慷竸緩聖埔譟(６３)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　酒造業で栄えている平和な町。しかしかつてこの町で暴虐の限りを尽くし島送りになった見附の虎五郎(田崎潤)が子分を連れて舞い戻ってきた。老いた酒造屋の主人を殺してその跡継ぎに収まり、酒造組合を無視して荒稼ぎしようと企む。目明し清吉(ミッキー・カーチス)はヘタレで頼りにならないので、組合長・千石屋(高田浩吉)の妹・お加代(北条きく子)と清吉の妹・おきぬ(三島ゆり子)らは隣の宿場町で腕っ節のいい用心棒を雇う事に。それでスカウトされたのが旅鴉・あかねの弥之吉(大川橋蔵)とそのライバル・はやての新吉(松方弘樹)で…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　東映時代劇も往年の勢いを失い、美剣士役を得意としたスター・大川橋蔵もスモールチェンジを図っての旅鴉役…そんなお家事情が伺える一作。もっとも話自体は完全に西部劇をパクッた代物で、一方的に弥之吉をライバル視する新吉が敢えて悪党側についたりする辺りは、西部劇でも良くある人物構図だな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　悪党連中にしてからが僅か子分は二人、さして苦労もせずあっさり弥之吉に成敗されてしまって(新吉は直ぐに善玉に寝返る)盛り上がる場面もなく(弥之吉とお加代の恋愛エピソードなど普通なら用意そされるはずなのに、異様にサービスの悪い脚本！)映画としてはＢ級レベル以外の何者でもないが、酒造屋セットの立派さとキャスティングの華やかさが取り得か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　大スターの大川に若手売出しの松方、驚くべき事にはまだ松竹の『伝七』シリーズも続いていた(終了直後？)高田浩吉が完全に脇に徹しているのにびっくりだし、ミッキー・カーチスの時代劇出演も意外。綺麗どころでは後に霊能者としても人気を得る北条、関西圏のバラエティの人気者にもなった三島、そして悪女役で登場する元新東宝の名花・三原葉子とＢ級ぽい渋いキャスティングがいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　悪党に誘拐される千石屋の娘が不細工ちゃんだなーと思ったら、良く見りゃテレビ『チャコちゃん』シリーズで有名になった四方晴美だったりとか、内容なんか二の次で懐かしい連中の顔見せだけで俺は十分楽しめた(☆☆☆)</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/uzimusi58h/32305706.html</link>
			<pubDate>Thu, 25 Jun 2009 12:22:49 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>№２６８～２７２</title>
			<description>癸横僑検Γ供殖隠供愍辰気譴織悒奪疋薀ぅ鵝(０８)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ワシントンで起こった麻薬売人の射殺と、気鋭の政治家・コリンズ(ベン・アフレック)の元で働きコリンズと不倫関係にもあった女性職員の地下鉄ホーム転落事件。ワシントングローブ紙の新聞記者・カル(ラッセル・クロウ)は何の関連もなさそうなこの二つの事件が密接な繋がりを持ち、大学時代の親友でもあるコリンズが追及中の軍需産業がそれに関わっている事を突き止める。突撃取材を開始したカルはその確証を掴みヘッドライン(第一面)を書き上げるが、ふと生じた疑惑からその記事を急遽差し止め…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　英国・ＢＢＣで放映されたテレビシリーズを米国流に置き換えたサスペンス物。テロの撲滅の美名の下に私腹を肥やす軍需産業、気鋭の政治家に付き物の身の下スキャンダル、さらには蠢く米国社会のもう一つの顔(麻薬渦、銃社会など)の側面を手際よく描いていかにも米国映画らしい。実は俺、題名を「ヘッドライト」と間違えて車なんかが関連するアクション物と勘違いしてました(苦笑)。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　しかし観進む内に湧き上がってくるのはコリンズの正義感と被害者意識を振りかざすような態度への胡散臭さが鼻につき、こういう人間を巨大な圧力と闘う政治家として祭り上げて描かれるのも何だか白ける、と思っていたらそんな当方の不満を掬い上げるようなどんでん返しが。製作者側はそこまで呼んで練っているんだね。偉い！と一応脱帽。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　だが、どうにもらしくないのがラッセル・クロウの新聞記者役。ぶ厚い胸板からしても日頃の行状(笑)からしてもこの人、どうしてもペンより拳が先に出るバイオレンスな人としか思えんのよ。本人はイメチェンを心がけているのかもしれんが、まだまだ脱皮できてません(☆☆☆)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横僑后Γ供殖隠検惘μ臺疂帖　伊豆の旅日記』(５０)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　舞台は伊豆の温泉街。上方より江戸に帰還する道中、右門(嵐寛寿郎)より先に着いた子分の伝六(田中春男)は変装のうまい右門に成り済まして旅館で接待を受けるが、そこで殺人事件が起きてしまって大弱り。その死体の傍らには近くの矢場で景品として出している折鶴が落ちており、遅れて到着した右門はこの折鶴が何らかの伝達方法に使われていると睨み、近くの金山から金が盗まれた事件に注目。容疑者として金山を護る役人の堂本が浮かび上がるが、矢場に勤める堂本の恋人・お美代(轟夕起子)は心を痛める…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　アラカン主演の右門シリーズの第25作目で、新東宝にシリーズが移籍しての一作目である。力の入った演技の『鞍馬天狗』とは違いこちらのアラカンは肩の力を抜いてリラックスムード、子分伝六の毎度のボケぶりもあってコメディぽい側面も強い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　話は金を巡っての悪党同士の仲間割れから、やがてお美代に横恋慕する男の卑劣な罠にかかった実直な役人の苦悩という筋書きを演じる。後に仁侠映画の悪役となる河津清三郎の善玉演技と、後に『ウルトラＱ』の一の谷博士をやる江川宇礼雄の悪玉演技が、役者マニアにとっては楽しい。ただ事件の顛末は軽い娯楽映画にしては登場人物が多くて複雑で、ちょっと判りづらいのが難点(☆☆)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横沓亜Γ供殖横亜愿措景疂帖・黄金弁天』(５４)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　江戸根津の祭りの日に起こった小唄の師匠・みよ春殺しを捜査する伝七(高田浩吉)は、彼女が佐渡で知り合ったという山形屋も殺された事から、半年前に起こった金塊盗難事件絡みだと推測。しかし怪しいと目星を付けた男は次々と殺され、伝七自身も謎の男に川に投げ込まれて九死に一生を得る。悪の仲間の一味の周囲には伝七とそっくりの浪人(高田の二役)が暗躍し、女房のお俊(月丘夢路)も子分の竹(伴淳三郎)も人違いしてしまう有様。金を盗んだ悪党は海賊連中と取引きしようとしていた。そこに踏み込んだ伝七と竹は浪人の意外な？正体を知る…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この所たて続けに観ている伝七シリーズの三作目。五作目『花嫁小判』(56)で無意味と批判した高田の一人二役が既に使われていた(笑)。ただ本作では二役を生かすようなシチュエーションがあるので、無意味ではなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　シリーズ初期という事はまだ勢いがあったはずで、確かに後のような思いつきみたいな猟奇趣味は少ない(せむしの悪役が出てきたりはするが)ので観ていて安心感があり、シリーズ通しても出来のいい方ではないかな？　伝七が調べの為に美人の小唄の師匠の所に出入りするのに嫉妬したお俊が焼餅を焼くシーンには、それでも目明しの女房かと説教したくなるが、その嫉妬が逆に事件解決に一役買うのだから伝七はありがたい女房を持ったと喜ぶべきか、それとも「女房までしゃしゃり出て面目丸潰れ」か(笑)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　後に遠山の金さん役に落ち着いた近衛十四郎がここではまだ悪役で、伴淳は演技というよりコメディアンの一面が強調された配役ぶり。皆してスター浩吉を盛り上げてる、そんな感じ。適度の楽しさは保障できる映画(☆☆)</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/uzimusi58h/32247609.html</link>
			<pubDate>Mon, 22 Jun 2009 15:33:56 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>№２６６～２６７</title>
			<description>癸横僑供Γ供殖隠機慳民董(４８)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　川崎(龍崎一郎)は恩師の稲垣博士(菅井一郎)に誘われて博士の自宅に逗留する事になる。博士と歳の離れた妻・幸子(浜田百合子)の姿を見て衝撃を受ける川崎。それは彼の亡くなった妻に瓜二つだったから。生じてしまった恋情と罪悪感の真っ只中で一人悶々とする川崎。しかし幸子と博士の姪と三人で遠出し悪天候で旅館に一泊する事となった夜、川崎はとうとう幸子にその思いを吐露してしまう。戸惑う幸子、しかし彼女もまた心の底に留めておくのに耐え切れず、夫に全てを告白してしまう。博士が取った決断は…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　市井の人間の喜びや悲しみを共感たっぷりに描いた作品に手腕を発揮した五所平之助監督だが、本作は純然たるメロドラマ。戦争の傷跡も癒えぬ時代を背景に、恋してはいけない恩師の妻に恋してしまった主人公の苦悩を切々と描く。必死に本心を隠していた川崎が雨の上がった月夜の海岸で幸子に告白する下りの劇的なシチュエーションでメロドラマのトーンが上がる一方若すぎる妻を貰った故の苦悩といった、中年男＝博士の悲哀も重苦しいトーンで描かれてゆく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし全てを知った上で川崎を許そうとする博士、という平和的な結末に五所監督らしい「優しさ」を感じる。龍崎一郎は『青い山脈』のオリジナル版(49年)で沼田医師役をやった事で知られる人だが、メロドラマの主人公にしては武骨過ぎてイマイチ似合ってない感じがするんだけど…。無邪気な博士の姪を演じた若山セツ子の可憐さが印象的(☆☆☆)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横僑掘Γ供殖隠供悗里鵑裁判』(５５)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今日の「のんき裁判」は女性のハートを盗んだ罪でスターの高島忠夫と小林桂樹が被告。藤田進裁判長と田崎潤検事が鋭く追求するが傍聴席は全員女性での被告の味方。藤田も田崎も家庭では娘や妻が映画が大好きなのが判って罪状は大幅減刑。その後も丹下キヨ子や森繁などの人気スターが被告席に付き裁判長も大河内伝次郎御大、検事も堺駿二に代わり、弁護人には坊屋三郎、柳家金語楼が立ったりしてのんきな裁判は今日も今日とて大賑わい…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　はラジオの人気番組の映画化。それも本作みたいな内容だったのだろうか？　それにしてもエログロ路線に突入前の新東宝がこんな楽しい楽屋落ち映画を撮っていたとは、ちょっと驚き。堺、森繁などは喜劇スターだから不思議ではないものの重厚な演技を身上とする藤田＆田崎、果ては不世出の時代劇スター大河内伝次郎までが本人役でボケをかますんだから凄い。さらには時代劇映画の撮影シーンでは若き日の若山富三郎なんかも登場し、芸人連中と共に当時の新東宝スターが殆ど出演しているのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　唄えるスターたちは唄い踊り、唄えない人は今で言うコントみたいな物を演じて場を盛り上げる。監督は早撮りの天才「天皇」とも呼ばれていた渡辺邦男、彼との共作で脚本に川内康範の名がある。『月光仮面』の原作者というより、森進一との「おふくろさん騒動」でつい最近名前を騒がせた人だ。そういう意外な人を含めて映画としての出来云々はともかくも「お宝」的な価値はある(☆☆☆☆)</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/uzimusi58h/32207764.html</link>
			<pubDate>Sat, 20 Jun 2009 14:16:52 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>№２６３～２６５</title>
			<description>癸横僑魁Γ供殖隠機慂饌咼ラブ』(０７)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　舞台は群馬県高崎市。両親の離婚で捨て鉢な生活を送っていた高校生ワラ(石原さとみ)は、病院の屋上でディノ(柳楽優弥)と出会い、ひょんな事から傷つく原因となった場所や物に包帯を巻くアイディアを考えつき、それが発展してワラの友達と一緒にネット上に『包帯クラブ』を立ち上げ、そこに寄せられた書き込みの要望に従い包帯を巻いた写真をアップして公開。密かな話題を呼ぶ『包帯クラブ』だったが、やがてそれは他人の傷を癒すだけでなく、ワラやディノ自身の心の傷に触れる事にも繋がっていく…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　原作の小説がどのくらいヒットしたのかは知る由もないけど、いざ映画にしてみるとネットとか高校生の良くありがちな友情＆自立ストーリーとか、お膳立てはさほどオリジナリティのある物とも思えない。強いて言えば「高崎」という通常の映画に滅多に登場しない地方都市へのこだわり。でもこの地って映画祭主宰しているくらいだから、映画のロケはやり易かっただろうとは想像できる。それが狙いで高崎にしたとか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　正直デジャヴ感ある内容以前に登場人物の演技というか佇まいというか、そういう物が全く俺の肌に合わなかった。妙な関西弁を操る柳楽優弥は『誰も知らない』(04)の時のピュアさとはかけ離れた臭い演技だし、石原さとみも順調にキャリアを積んできた割には女優としてのオーラが希薄。体裁は「異色の青春映画」かもしれないが、何か大雑把な感じもするな。器は目を惹いても中身は薄味っていうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　脇で芸達者のベテラン俳優が結構顔を出しているけど揃って精彩が無く、若者層に擦り寄った演出の甘ったるさは相当無理している感じもする。俺たちオジサンには勿論肝心の若者層の観客にも全くソッポを向かれたというから、本作の存在価値すら疑われてしまう(☆)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横僑粥Γ供殖隠機慍崋造里覆た后(６５)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　自動車セールスマンの梅木(園井啓介)の車を呼び止め、ホテルまで乗せて欲しいと頼む美女江藤みゆき(若尾文子)。そのお礼にと言われ一緒に食事した梅木は彼女の妖しい魅力の虜になってしまう。みゆきは名家出身のれっきとした人妻だが愛人は沢山いるようで、加えて彼女の兄・楠尾(田村高廣)までが纏わりついている。梅木とベッドを共にしたみゆきは嫁ぎ先の山口へ一旦帰ると告げたが、翌日梅木は東京下町街のボロアパートに入っていくのを目撃。後日そのアパートに行くと楠尾が出て来て、部屋にはみゆきと訳有り風だった男の他殺死体が…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　松本清張原作。となれば「色と欲が渦巻く世界」と相場が決まっており、本作もまた同様だが捻りがあるのはヒロインの設定で当初は男を取っ替え引っ替えしている性悪女のように見せておきながら、その実おぞましい欲望の犠牲になった簿幸のヒロインであるという転換が、若尾文子という類稀なる女優の存在感の強さによって不自然なく受け入れられるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　もう一つの面白さは田村、或いは重要な役で出演する船越英二といった、テレビドラマでは善玉役専門だった役者コンビの変態じみた熱演で、取り分け船越はこの手の薄気味悪い男役が大映映画ではお手の物。比べて主役の園井の演技がイマイチなのであるが。ちょっとしたどんでん返しのあるラストまで、若尾ファンの俺は退屈しなかった(☆☆☆☆)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横僑機Γ供殖隠機慍卻　～以圈(３７)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　大学を卒業した皆川(高田稔)には豊美(入江たか子)という恋人がいたが実家の製糸工場が傾き、その資金援助を請う為に両親は資産家の娘・百合恵(竹久千恵子)との見合いをセッティング。当初は断る心積もりだった皆川だが百合恵の快活な性格が好きになり、豊美には曖昧な態度のまま帰京しても真実を告げようとしない。それに業を煮やした豊美の親友・三千子(逢初夢子)は皆川を詰るが、彼の変心を戻すまでには至らなかった。全てを知った豊美は皆川に恨み言をぶつけた後親元から失踪。そのお腹の中には皆川の子供が…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　菊池寛原作小説の映画化だが、これを現代劇に翻案してＣＸの昼ドラに仕立てたらピッタリハマりそうな、純然たるよろめきドラマ。一見誠実を絵に描いたような皆川の変節ぶり、清楚その物な豊美がこの時代としては「禁断」である婚前交渉をし、おまけに妊娠までしているスキャンダラスさ、ヒロインを力づけ応援する定番的な親友のキャラとか主婦層に受けそうな要素がバッチリ。おまけに「後篇に続く」んだから、否が応でももう一本観にゃならぬ商魂戦法も行き届いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかしそんな波乱万丈ぽい脚本を成瀬巳喜男の演出はどっしり腰を落ち着けて撮っており、流行ドラマにありがちな軽薄さがない。内容とは相反する軽快系の音楽の使い方に加えそこはかとないユーモアもあり、本来悪役である百合恵も聡明な「翔んでる女」風に描かれていて安ぽさ下世話ぽさを免れている感じ。後篇まで観ないと正当な作品評価はできかねるが、期待はかなりできそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　豊美が自部屋を猫を可愛がってるという設定、入江たか子が戦後「化け猫映画」のヒロインで活躍した事を考えると偶然の一致とはいえ興味深いのだ(☆☆☆)</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/uzimusi58h/32106123.html</link>
			<pubDate>Mon, 15 Jun 2009 15:19:12 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>№２５９～２６２</title>
			<description>癸横毅后Γ供殖隠魁惺瓩硫峅如(６８)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　コリー(ジャン・クロード・ブリアリ)は親友・ブリスに誘われたパーティーで正体不明の美しい女(ジャンヌ・モロー)を見初める。しかし目を離した隙に女は姿を消し直後ブリスはテラスから転落死した。その後コリーはやはり友人の画家・フェルグスのアトリエで彼女と再会。最初思い出せなかったがあの女だと気づいてアトリエに駆けつけた時、フェルグスは殺されていた。女の名前はジュリー。愛するダビットとの結婚式の日、式を挙げた教会の前のホテルの一室から、何者かがダビットを射殺したのだ。それ以来復讐の鬼となったジュリーはそのホテルにいた男を一人ずつ血祭りに挙げていったのだ…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ジャンヌ・モローが愛する者の命を奪った男たちを次々と殺戮していくハードなサスペンスドラマを、フランソワ・トリュフォーが監督。悪友繋がりだった男達の悪ふざけが殺人に繋がり、その過去を清算せず安穏と暮らしていた男に刃を向ける美女。彼女が愛を捧げた男を失った喪失感の大きさが殺意の深さへと変貌していった訳だが、そこにはこよなく女を愛したトリュフォーの「恋愛至上主義」的な物が伺える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ジャンヌ・モローといえば彼の傑作『突然炎のごとく』(62)のヒロインでもあり、本作はいわばトリュフォーが六年ぶりにモローに捧げたラブレターみたいなモンだとも言えるだろう。だから観る俺としては脚本の欠陥云々とかはこの場合問題外で、68年という曰くある年に輝いフォトジェニックなジャンヌ・モローの姿を愉しむだけて事足りる気がする(☆☆☆☆)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横僑亜Γ供殖隠粥愿措景疂帖　髑髏狂女』(５８)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　紀州徳川家の行列を襲う髑髏覆面の一団、屋根の上から紀州公の駕篭を矢で射抜こうとする狂女の姿が。北町奉行遠山金四郎からこの事件の捜査を依頼された伝七(高田浩吉)は、将軍家との縁組が決まっている紀州の姫君がかどわかされた事に事件の発端があり、今江戸で評判の軽業一座が関わっているらしい事も掴む。しかし将軍家側近の雲海僧正からの圧力で伝七は十手を取り上げられてしまう。そこで伝七は無宿者に化けて軽業一座に加わって探索した結果、一座の花形・彦四郎が紀州家の進言でお取り潰しになった肥前松浦藩の遺児だと知る…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　高田浩吉主演の伝七シリーズの９作目でカラー撮り。以前からシリーズに共通する猟奇趣味傾向が、本作の「髑髏狂女」というキャラで一挙に爆発した感じ。加えて本作の舞台にもなる軽業一座のカラフルな色彩感覚、舶来嗜好？(軽業というより本職のサーカス団による空中ブランコが登場し、ピエロに扮した女が「レディス、アンドジェントルマン」などと英語わ使った口上を述べる。江戸時代だからせめてオランダ語とかにすべきでは・笑)があったりして、見た目の面白さはシリーズ中でも際立っているのかも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし相変わらず脚本がいい加減で、子分の竹(伴淳三郎。今回はモロお笑い芸人風)を餌に伝七を捕まえながらもその場で殺さず、緊縛して生かしておく理由が全く無いし、悪の黒幕の僧正が狂女(実は紀州のお姫様が麻薬漬けで狂女に仕立てられていた)相手に怪事件の真相をいかにも第三者に聞かせる(当然のごとく物陰から伝七が聞き耳立てて…)下りなんぞ、シナリオ学校で提出したら講師の脚本家にボロクソにこき下ろされそうな酷い代物。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　彦四郎の恋人の軽業女役に後伝七の妻役になる嵯峨三智子はまずまずの配役としても、地味地味な松竹女優の福田公子のお俊役には華がなく、悪党一味の女として登場する大物女優・高峰三枝子にこれといった活躍の場が与えられていないのも不可解(☆☆)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横僑院Γ供殖隠粥悒戰蝓次Ε丱奪鼻ΕΕД妊ング』(９８)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　カイルはローラ(キャメロン・ディアス)との結婚を控えた身。独身最後の記念に男同士で遊ぼうとローラが嫌っているボイド(クリスチャン・スレーター)他四人の悪友とラスベガスでドンちゃん騒ぎをしたのはいいが、悪乗りした一人が娼婦と性行為中に娼婦を死なせてしまう。パニックのどん底に堕とた５人だったがボイドの提案で死体を目撃した警備員も殺してバラバラ死体にし砂漠に埋める事に。ボイドのクレージーな本性は暴走を極め、カイルに結婚式を無事終わらせる為と言いつつ口封じの為に悪友、その妻にまで手にかける暴走ぶり。こんなんで結婚しても幸せになれる？…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　結婚式に纏わる殺人事件というテーマは『黒衣の花嫁』と同様だが、こちらは美的ムードなんかさらさらないハチャメチャドラマ。特に悪友ボイドを演じるクリスチャン・スレーターの「絶対こいつとは友達にはなりたくない」マッドな演技は凄ましいのだが調べてみると実生活でもかなりの問題男らしく、もしかして地か(笑)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ヒロインのディアスも清純派女優とは思えぬ怪演ぶりで愛もヘッタクレもなく、ともかく結婚さえしてくれれればいいのと恋人に迫るおバカなマリッジシンドロームぶりは、良くぞこの仕事を受けたって感じ。自らボイドを撲殺し唯一生き残った友達も殺せと夫に迫ったローラだが、夢にまて見た結婚で手に入れたのは交通事故で不具者となった夫と友達、先に死んだ友達の二人の遺児(こちらも一人は先天性の障害者。友達の遺言により引きき取らざるを得なくなった)の有様で、路上で絶叫の声をあげるディアスの姿には観ている俺も笑いつつそのあまりの怪演にちょっと引いてしまう程。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　乱痴気騒ぎのバックに映る映像は米国最強の格闘技『ＵＦＣ』の拝借映像で、音楽を担当しているのがポリスのスチュワート・コープランドという隠しネタがあったりもして、相当の曲者映画(☆☆☆)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横僑押Γ供殖隠粥惶格実癲(５９)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　南北戦争真っ最中の1963年。将軍の意を受けて南軍の機知粉砕をすべく、マーロー大佐(ジョン・ウェイン)は自分の騎兵隊を率いて南下。合流した軍医ケンドール少佐(ウィリアム・ホールデン)とはマーローが医者嫌いという事もあり全くソリが合わない。騎兵隊は途中農園を経営する女主人ハンナの館に一泊するが、南軍支持のハンナはマーローの作戦計画を南軍に密告しようとしている所をケンドールに見られた為、捕虜として騎兵隊と同行する事に。ことごとく対立するマーローとケンドールどがやがて理解し合い、ハンナもいつしかマーローの逞しい男らしさに惹かれ始め…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　監督ジョン・フォード主演ジョン・ウェインという鉄板コンビによる、戦争映画と西部劇と中間みたいな映画。正直ジョン・ウェインの保守的、かつ一時期の三船敏郎にも似た「超男」的なキャラは俺の好む所ではないし、叩き上げ(ウエィン)とインテリ系(ホールデン)の対立構造もデジャヴ感たっぷりで、特筆する描写など何処にもないように一見思えるのだが、見終えると何か納得させられてしまう、それが「Ｗジョン映画」のキモではないかな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　認め合った二人が一人はさらなる戦場を目指して転戦、一人は医者のプライドから怪我人の看病の方を選び南軍の捕虜になる道を選ぶ、この潔い幕切れの爽快さは日本映画のマキノ雅弘の次郎長物や任侠物に通じる所があり、マキノの方がフォードの西部劇とかに学ぶ物が大きかったって事でしょう。新鮮味はないけど定番映画の安定感もあったな(☆☆☆)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/uzimusi58h/32088874.html</link>
			<pubDate>Sun, 14 Jun 2009 19:23:58 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>№２５８</title>
			<description>癸横毅検Γ供殖隠魁惷寡櫃諒鷭掘(５２)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　舞台は中南米のある街。職にあぶれた男が溢れている騒然とした雰囲気の中、五百キロ先の山の上にある油田が火事になり鎮火の為大量のニトロをトラックで運搬する事が決定。マリオ(イヴ・モンタン)は報酬で酒場で働いている恋人と再出発すべく運転手に応募して採用、他三人の男が選ばれるが出発当日に一人が現れず、代わりに現れたパリから流れてきた年嵩のならず者ジョー(シャルル)がマリオの相棒を務める事になり、二台のトラックに便乗して出発。険しい山道は彼等を苦しめ危機一髪な状況にも立たされる彼等だったが…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　後にウィリアム・フリードキン監督がリメイク(77年)した事でも知られるフランス映画の古典的名作。正直トラックが出発するまでの下りは何かダラダラした描写が続き、観る側の集中力も損ないかねるのだが、さすがに出発してからは否が応でも緊張感が増す。金の為なら危険も顧みない四人の男。一瞬の気の緩みが死に繋がる極限状態の中での個々の思惑が描かれると共に、それまで兄貴風を吹かせていたジョーが実際はヘタレでマリオが二人分奮闘しなくてはいけない「ハンデ」があったりもするのも心憎い設定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　撮影技術がそんなに進歩していない頃の映画なので、危機一髪の場面などのアクション描写は今の映画のレベルからするとちたなく、かつ素朴な物だけどその分現実に即した生々しさはＣＧ描写の比ではないような気もする。生き延び輸送に成功したマリオがお気楽な帰り道、些細な運転のミスから折角の報酬を台無しにする下りは無常観がたっぷり。綿々と続くカーアクション映画の原点とでも言ぶべき傑作(カンヌ映画祭グランプリ受賞)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　所でイブ・モンタンといえば『枯葉』を唄ったシャンソン歌手のイメージとかなかったのだが、こういう汚れ系の役もやる人だったんですね。もっとも日本とは違い、男性シャンソン歌手って当たり前に映画に出て演技してるイメージがあるけど(☆☆☆☆)</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/uzimusi58h/32061959.html</link>
			<pubDate>Sat, 13 Jun 2009 09:34:13 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>№２５３～２５７</title>
			<description>癸横毅魁Γ供殖隠亜慍遼鬚瓩阿觚淇佑僚戞複苅供&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　歌麿（坂東蓑助）の周辺は今日も今日とて騒がしい。御用絵師狩野派の門弟・小出勢之助が歌麿に弟子入りした事で彼の婚約者・雪江も生家を出て歌麿の下で働くが、そこまでつくしているのにもかかわらず勢之助は歌麿のモデルになったお蘭と駆け落ち。歌麿のモデルになった事で売れっ子になった水茶屋の女おきた（田中絹代）は、惚れ抜いている紙問屋の息子庄三郎が花魁の多賀袖に走ったのが許せず、二人の行方を突き止めて庄三郎に問い質すが、二人共好きという曖昧な言葉にカッとなり多賀袖を殺してしまうのであった…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　巨匠・溝口健二監督作品。浮世絵師・喜多川歌麿の華麗なる女関係を描いたドラマかと思いきや、どちらかと言えば歌麿は狂言回し的な存在で彼に関わった女の悲恋というか情念というか、そんな世界が展開されるのだ。言うまでもなくその世界観は後年の溝口作品によって大々的に花開くのだが、本作はさしずれその序曲的な位置にあると言える。特に好きな男に惚れぬくあまりに自壊していくおきたのエピソードは傑作『西鶴一代女』（52）に繋がる物で、演じる田中絹代もまた本作をきっかけに溝口とのコンビの絆を深めていくのではあるが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　視覚的にはスランプに陥った歌麿がさる大名が主宰した乱痴気な催し（腰巻一枚の女中たちに池の鯉を手掴みさせる）を見て、創作意欲を奮い立たせる下りが面白い。勿論肝心な所は何も見えないのだが戦後直後としてはかなり過激なデカタンスぽい演出。歌麿の浮世絵にかける執念という部分では、どうしても女の描写と比べると粘り気がないのが欠点と言え場欠点だが、女をこだわった溝口らしいとも思う（☆☆☆☆）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横毅粥Γ供殖隠院悒灰鵐淵トナノオンナノコ』（０７）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　女性誌の編集部で働くチアキ（エリカ）と、かつての同僚で今は専業主婦で子供もいるマサミ（桃生亜希子）。キャリアウーマン面しているチアキだがその実恋愛もうまくいかず悩んでいる。マサミは主婦としてチアキに取材を受けたのがきっかけでライター業を始め、ギクシャクしている夫との家族生活が退屈極わりない物に思えて仕方がない。突然失踪してしまうチアキ。留守の間チアキの部屋を訪れたマサミはそこが居心地が良くなってしまう。そんな時保育園に預けた愛娘が行方不明になる騒ぎが起き…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　安彦麻里絵の漫画の映画化。対照的な生活をしている二人の女が心の底で相手の事を羨ましく思ってる、そんなすれ違いの感情が巻き起こす出来事をやや皮肉ぽく描く。全く未知の監督（富永昌敏）の人の作品なので他作との比較はできないけど、かなりひねくれ気味の？作風である事は確か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　何もかもが嫌になり失踪したチアキが居ついたのは牧場。そこで乳搾りとかしているのだが「何故牧場に？」というのがさっぱり分からない。マサミの方も愛娘を探してる最中夫に突然「娘をタレントに育てるから、あなたも仕事を辞めてステージパパになって」と、これまた随分と奇天烈な事を言い出す。夫ならずとも正気の沙汰かよと言いたくなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　こういう登場人物の突飛な行動や言動を観客に納得させる為には役者は当然、監督の演出にもそれなりのオーラがないといかんのに、それが感じられないので単に奇を衒っただけかと思えてくる。マサミの子供が一人でチアキの部屋にいるのを失踪から帰ってきたチアキとその恋人が見つけるのだが、それをひた隠しにしようとするのも不可解。常識的に考えてマサミに即電話かけて知らせるじゃん！（親友なんだし）。それが「オトナノオンナノコ」の所以と説明されれば返す言葉もないけど、全体を通しそんな「押さえ」的な演出がなされていないので、アラサーの友情物語という今風なテーマにリアリティが感じられず、違和感を拭ないまま映画は終わってしまった（☆☆）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横毅機Γ供殖隠院惺福　Ｓｈｉａｗａｓｅ』（０６）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　舞台は北海道の勇払という小さな街。流行らないスナックで働く女（桜井明美）は公園で行き倒れになっていた男（石橋凌）を自分の部屋に泊め、そのまま男は居ついてしまう。何かを探しにこの街にやってきたはずの男だが深く口を閉ざし、女もまたスナックのマスター（村上淳）に自分の素性を一切語らず、マスターは愚鈍な女の立ち振る舞いに苛立ちながらも内心では興味津々である。そんな不確かな人間関係が店の唯一の常連客（香川照之）の起こした事件をきっかけに、男も女も素性が明らかになり…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　元フォークシンガーという異色の経歴を持つ小林正広の11本目の監督作品。大ヒットした作品など一本もないのに何故こんなハイペース（97年に監督デビュー）で制作できるのか不可思議だが、まァそれなりの方法論があるのでしょうな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　本作を観てまず目についたのは夜のシーンが多いのに画面は全然暗くない事。撮影事情でそう撮らざるを得なかったのかと思ったらどうやらこれは「白夜」の設定らしい。勿論日本に白夜なんてないはずだがそれを強引に設定しまう所が超然としており、我が道を行くこの監督らしいのかも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　一言で説明すれば「思い過去を背負った人間たちのドラマ」である。男は会社を倒産させて家族を捨てて蒸発、女もまた何らかの事情で夫と子供を捨ててこの地の逃げてきたらしい。さらに常連客は一家皆殺しの犯人で、軽いように見えたマスターも付き合う女が次々と死んでしまう身の上。まるで不幸の坩堝みたいな相関関係図。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ロケ地が東京から遠く離れた田舎町であるように、本作は今の日本映画の主流が描くテーマ（難病とか暑苦しい男同士の友情とか）とはかけ離れた映画だ。過去を清算し家族との再出発をしたかと推測した男女が再び訪れた白夜の下、依然先行きのない同棲生活を享受していると暗示するラストカットは、タイトルとは裏腹に人間そんな単純に幸せになれっこないとの厳しさを含んでいる。どいつもこいつも単細胞に愛や人生を語りたがる風潮を、良しとしない硬派ぶりに惹き付けられる物が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　惜しむべくはそういう監督の意図を具象化するオリジナルな演出スタイルが確立されていない事で、「百夜」というキーワードと女の愚鈍なキャラからして、フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキの影響が大なのは見え見え。映画マニアの殻を破った作品を作って欲しい（☆☆☆）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横毅供Γ供殖隠院慷鬚涼罎鯑佑蛋譟戞複毅検&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　体育大を卒業し母校のバスケット部のコーチをしている吉良千吉（石原裕次郎）は、乗馬の試合で見初めた女子大生・節子（北原三枝）をチンピラの手から救ったが、それが原因でコーチを辞めさせられ友人の仲介で千葉県館山の女子高に体育教師として就職。この漁港町では企業の後援を受けた水産研究所が海中実験を行って漁師の漁獲量は大幅に減少。そのからくりに怪しい所があると地元新聞記者に聞かされた千吉は、大学を辞めて故郷の新聞社の記者として再会した節子らと力を合わせ、体当たりで研究所に絡む悪党共の陰謀を解明していく…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　タイトルだけを見るとハードなアクション物を想像するが中味はかなり軟派、というか女子高に赴任する教師という設定があの『青い山脈』と似通っている。女子高生たちにキャーキャー言われるのもそうだが、主人公に芸者（白木マリ）が岡惚れでその妹が当の女子高に通っているなんて、いくら何でもパクリ過ぎではないかな？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そんな学園ドラマの一方、竹を割ったような正義漢ぶりを発揮し収入源に悩む漁民たちを救うヒーローという筋書きは、この時期の裕次郎のキャラに合ってるとはいえ他の主演作に比べると幾分薄味に思え、学園物とアクション物のどっちつかずな中途半端な出来に終わってしまった。北原三枝との恋の展開もこういっちゃなんだが、浅丘ルリ子とそれと比べると見栄えがしないし。俺の贔屓する蔵原惟繕監督の演出もここでは特に個性無し（☆☆）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横毅掘Γ供殖隠押惺掌佑短匣廖戞複毅検&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　将軍家の杓子定規な生活に飽き、捨て鉢になってる武千代（川口浩）を憂慮した大久保彦左衛門（中村鴈次郎）は、竹千代を気分転換させるべく貧乏旗本の息子と偽って一心太助（長谷川一夫）に弟子入りさせて魚屋の手伝いをさせる。世間知らずの竹千代に手を焼いた太助も彼の純な心にほだされて本当の弟のように思い、竹千代も隣の八百屋の娘お豊（野添ひとみ）といい仲になったりして市井の生活を満喫するのだが、竹千代を排斥して弟の国松を将軍に推挙しようとする重臣一派が暗躍し始める。竹千代の正体を知った太助は…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ご存知一心太助と彦左の物語に将軍家世継ぎ騒動を絡めた時代劇。俺は将軍が庶民の味方面する『暴れん坊将軍』みたいな時代劇が嫌いなのだが、本作の竹千代（後の家光）を演じる川口浩の、実生活そのままみたいなお坊ちゃまぶりが役の身の丈にピッタリハマっていて、嫌味な感じはしなかった。後に妻となる野添ひとみとの絡みも裕次郎と三枝のそれと比べると、まだ初々しく感じられて鼻にはつかない（早い話俺は野添のファンなのだ・笑）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　加えて川口隊長が目立ってる分長谷川一夫のワンマンぶりがいつもに比べ多少抑えられているのも、かえって映画としてはいいバランスになったのでは。終盤になって竹千代暗殺を巡ってのチャンバラが勃発するが、何か無理やりその場面を作った感じは否めない。時代劇なんだからチャンバラは必須なので仕方ないとは思うけど、監督の島耕二は本来現代劇を得意とする人なので、殺陣なんかはスタッフの「お任せ」で流して撮ってる感あり。チラッとだけ登場する中村玉緒が相変わらず可愛い（☆☆☆）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/uzimusi58h/32046563.html</link>
			<pubDate>Fri, 12 Jun 2009 14:03:34 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>№２４８～２５２</title>
			<description>癸横苅検Γ供殖検悒團紂爾反瓩！ジャガー　ＴＨＥ　ＭＯＶＩＥ』（０８）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ミュージシャン志望の清彦（大村学）はオーディションを受けてある芸能事務所の専属になった。しかし配属されたのはギター科ではなく「ふえ科」。講師を務める謎の男ジャガー（要潤）も、生徒のヒップホップ好きの忍者（小木博昭）、アイドル志望の勘違い娘（高橋真唯）とか異常な面子ばかりで清彦も「ピヨ彦」なる恥かしい名前を付けられてしまう。入科早々ふえ科は授業料数千万円が未払いの為に廃部の危機、廃部になれば所属部員は芸能界から抹殺するとの事務所社長（なぎら健壱）の宣言に、どうしても金を作らなくではいけなくなったジャガーと部員たちは…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『少年ジャンプ』連載の人気ギャグ漫画の映画化。原作は未読だが主人公・ジャガーの元ネタは千葉在住のカルトなインディーズロッカー『ジャガー』であると推測される。あくまで自分は宇宙人だと言い切るジャガーと、およそロックとはかけ離れた楽器・ふえでカリスマロッカーを気取る本作のジャガーは「痛さ」という点で共通項を感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　露骨なバカ映画狙いなので内容については可も不可もなし。ただあまりのアホらしい設定に思わず当方は失笑してしまう瞬間も確かに何度かあった。ラスト近く、ジャガーたちが強奪した時価数億円の伝説のふえを巡り悪党の親玉（カルーセル麻紀。ちなみに男役です）が経営するクラブでのバトルが、いつの間にかダンスシーンになっちゃってる下りは、『ロッキー・ホラー・ショー』みたいな線を狙ったのかもしれないが監督がＴＶディレクター出身という事もあり、深夜域のバラエティー番組ぽさがプンプン。元『猿岩石』の有吉とか出てるし。良くぞ作ったり…そういうレベル以上のバカ映画って出て来る可能性ってないんでしょうかね（☆☆）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横苅后Γ供殖検悒織ぅ茱Δ里Δ拭戞複娃供&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　薫（ＹＵＩ）はＸＰ（色素性乾皮症）という不治の病の為、日中は直射日光を避ける為に室内に閉じこもり、夜になると外へ出て駅前広場で自作の曲をギター弾き語るのが日課。そんな彼女が早朝家の窓から見えるバス停で仲間と集合してサーフィンに出掛ける少年に恋をする。少年は薫の幼馴染・美咲の高校の同級生・孝治（塚本高史）で、紹介された二人は付き合うことに。しかし夜のデートが長引いて薫はもう少しで直射日光を浴びそうになる。両親から難病の事を聞かされた孝治は、薫の素晴しい歌をＣＤに残そうと、その資金稼ぎの為に夏休みバイトに精を出す…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　一生太陽の光を浴びる事が許されない星の下に生まれた少女。じゃあ俺が君の太陽になってあげるよ…そんなコンセプトで作られた難病恋愛映画。舞台は湘南辺りの海岸沿いの街で東京のような猥雑な感じがない。その街景に合わせるかりように薫と孝治の関係はプラトニック・ラブだし、薫の両親（岸谷五朗＆麻木久仁子）もそんな二人を暖かく見つめ…って、登場人物がいい人ばかりで波乱とか問題とか全く起きず、観ている方としては刺激なさ過ぎ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　難病物映画って観る人間にともかく共感を強いろうとするんだな。ＸＰという世の中にあまり知られていない病気を扱っているんだから、その線から社会派的視点なんかにも広がっていきそうな感じもするんだけど、演出はやたらセンチメンタル気分を強調するだけ。主役を務める歌手のＹＵＩも良く言えば素朴な演技だが早い話棒読み台詞で主役に抜擢されたのも芸能界というか音楽界というか、そんな所の「大人の事情」故か。難病物映画の存在価値自体は認めるけど、基本的に映画レベルは低いね（☆☆）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横毅亜Γ供殖后惴犬稜蓮戞複毅機&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　舞台は北海道。次郎少年の家の牧場で一頭の馬が生まれタケルと名付けられる。血統的に言っても将来競走馬として有望で父や姉（若尾文子）を大喜びだが、父は火事に巻き込まれたタケルを助けようとして焼死し、牧場の経営は傾く一方でタケルは騎手希望の兄の一郎と共に東京の厩舎に引き取られる事に。タケルは当初はアクシデントがあったものの競走馬としてぐんぐん頭角を現し、やがてダービーに一番人気で出走する事に。一郎が騎手を務め姉と共に次郎も上京してタケルの晴れ姿を見るのが適った。そしてタケルは見事優勝したのだが…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　あまり知られていない競走馬に焦点を当てた珍しい作品で、当時の人気騎手がゲスト出演している所も含め、20年前くらいに武豊ブームを当てにしてフジテレビが制作した某作と似通った内容。もしかして本作を参考にしたのでは（その映画は馬鹿の一つ覚えみたいに盛り上げたがる演出はうざい、の極みな駄作だった）。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　前半は主人公の少年のタケルに対する愛情の深さ、家族を襲った悲劇、つらいタケルとの別れを子供向け映画ぽく描いていくのだが、何と言ってもクライマックスのダービーシーンが見物。実写を交えつつも迫力ある疾走シーンの演出が素晴らしく、優勝というハッピーエンドシーンを覆す結末で競走馬故に起こりうるアクシデントの厳しさを観客に訴え、大人の観客の鑑賞にも耐えうる作品となっているのだ。綺麗事しか描いてなかった前述の某作とは勿論雲泥の差。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　初々しい若尾文子に加え新劇界の重鎮・千田是也などの脇役陣の手堅い演技も程好く、もっと評価されてもいい作品（☆☆☆☆）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横毅院Γ供殖后慷礁唇譽遒硫峅如戞複娃后&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　イベント会場で知りあった事から付き合い始めた太郎（瑛太）と千恵（榮倉奈々）。同棲しながらも太郎は千恵の何処となく影のある部分が引っかかっていたが、それは千恵が乳癌に罹っていた事を隠していたからであった。その事で一旦は太郎の前から姿を消した千恵だが太郎は思いを断ち切れず再会、一緒に癌と闘っていく事を誓う。しかしその意欲とは裏腹に再発した千恵の病状は明日をも知れぬ状態となり、意を決した太郎は千恵の宿願だったウェディングドレスを着ての結婚式を挙行する…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　また難病物映画かよ！　犬も歩けば棒に当たる、日本映画を観れば難病物映画に当たるこの頃だ。おまけに乳癌の設定は先日観た北川景子主演『ディア・フレンズ』と同じ（好きな男に手術痕を見せるシーンが両作にある）、そして子供に無理解な父親として大杉蓮が出演しているのまで（もっとも本作はヒロインを愛する男の方の父親としてだが）同じときては、デジャブ感たっぷりなのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　但し演出は実力監督（廣木隆一）だけに他の難病物とは歴然たる差。東京のど真ん中でのゲリラ撮影に南の屋久島、千恵さんの実家ののんびりした佇まいと変化に富んだ風景描写が良く、肝心の花嫁シーンに至るまでの淡々とした描写にも濃密な二人間の空気みたいな物がちゃんと醸し出されて、凡百の監督には真似できないなと。ただ他の廣木作品のようなアクの強さは一切無し。今回は頼まれ仕事に徹したってトコですか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　実は花嫁シーンが見せ場ではなく、千恵さんが亡くなった後太郎に手渡されるビデオメッセージ映像が真の見せ場なのだ。涙を零しつつもけなげに笑顔を見せて太郎に「幸せになってね」と語りかける千恵さん。当然長台詞長回し、今までロクな映画がなかった榮倉奈々の、これまでの最高の演技である。長い髪を切ったのも本作の為みたいだし、やる気満々だったんだね。&lt;br /&gt;
　それを見る太郎＝瑛太も当然涙ボロボロなんだが、序に鼻からは大量の鼻水が垂れ下がっていてこれまた凄ましい熱演なのだ。実話との兼ね合いとかもあったりもするんだが、フィクションとして捉えればウェルメイドな作品（☆☆☆）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横毅押Γ供殖后悒哀薀鵝Ε肇螢痢戞複娃検&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ウォルト（クリント・イーストウッド）は妻を亡くしたばかりの頑固一徹な爺さんで、息子や孫からも敬遠されている。そんな彼が気になるのは隣に引っ越してきたモン族の家族。そこの息子・タオが自分の愛車『グラン・トリノ』を盗もうとした事で彼等への嫌悪感は決定的な物になるかに見えたが、実はタオは気の優しい少年で従兄弟のチンピラ連中に脅されてやった事と分かりウォルトとタオ、その姉のスーとは気のおけない間柄になり、タオを一人前の男にしてやろうとあれこれ世話を焼く事に。しかしその一方でウォルトの老体に病魔が忍び寄り…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　これも観方によれば難病物映画だ。しかしさすがにイーストウッド＝ウォルトは恋人にメッセジーを残す…なんて事はせず（当たり前だ・笑）、それを「有効利用」してタオをチンピラ連中から救い出すなんぞ、正にイーストウッドしか出来ない芸当。彼が主役を演じるのは正解度200％である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そういう感動ストーリーの一方で孤独な、どちらかといえば共和党を支持していそうな田舎の爺さん連中の現状を照射しているような設定が生生しい。ウォルトは朝鮮戦争の経験がありそこで自ら積極的に「共産主義者」の若者を殺してきた。祖国の為として信じてやった事だったが隠居の身になり子供たちからも疎んじられるようになると、果たして自分がやった殺人が正しかったのか自信がなくなってくる。その後悔の念が姉をチンピラにレイプされ、ほっといたら復讐の念から修羅の道へ入りかねないタオを救うという行為に繋がるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ラスト、チンピラ共に蜂の巣にされるイーストウッドを見て「近い将来こんな日が来るのでは…」と思ってしまった。俺のお袋よりも年上のイーストウッドもやがて亡くなる日が来るであろう。その時彼の遺志を継ぐものは現れるのか。そう考えたら熱い気持ちとは裏腹に、ちょっとだけ慄然たる思いに駆られたのであった（☆☆☆☆）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
番外編『井筒カントクに物申す！』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　立ち読み愛読している『アサヒ芸能』の井筒カントクのコラムだが、今週号の「裕次郎の映画は駄作ばっか」の発言には納得しかねる。俺は特に石原裕次郎のファンではないけど、その俺から客観的に見ても『狂った果実』（56）『陽のあたる坂道』（58）『憎いあンちくしょう』（62）『太平洋ひとりぼっち』（63）『赤いハンカチ』（64）は『パッチギ！』よりも出来がいいと思う。まァ映画監督だから「自分が一番」と思うのはＯＫかもしれんが、結果的に業界の先輩を侮った発言を繰り返すのはちょっと見苦しいぞ！</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/uzimusi58h/32002380.html</link>
			<pubDate>Wed, 10 Jun 2009 11:10:46 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>№２４３～２４７</title>
			<description>癸横苅魁Γ供殖供悒乾襯嫐詭世荏亜戞複牽掘&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　慶応二年（1866）。維新達成に邁進する坂本龍馬（渡瀬恒彦）は危機一髪の所を新撰組隊長・近藤勇（桂三枝）に助けられた事もあり、かねがね彼と膝をつめて話し合ってみたいと思っていた。そんな時英国の武器商人グラバーにゴルフというスポーツの存在を教えられ、夢中になった龍馬は京都の伏見山に日本初のゴルフ場を建設、人を介して近藤にゴルフの試合を申し込む。奇天烈な申し込みに戸惑いつつも近藤は腹心の沖田総司を伴って参加、ラウンドしつつ「日本の夜明け」について腹を割って話し合う…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　桂三枝の新作落語の映画化で、桂を始め当時の吉本人気お笑い芸人が大挙出演している。龍馬のハイカラ好きなのは良く知られている所で、それにかこつけて龍馬を「日本で初めてゴルフをやった男」とする着眼点、社交の代わりに幕末の志士たちの談合を持ってきたアイディアもまァ新作落語としては悪くないと思うが…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかしあいにく俺はゴルフをやった事はないのは勿論、自分でやりたいと思った事も一度はない。せいぜい本作の監督・松林宗恵の『社長』シリーズで森繁が浮気のお目当てバーのマダムなんかをはべらしてゴルフしているのを見てまたかよ、なんてヘラヘラ笑ってたぐらいでそういうゴルフの面白さが分からん人間（分かりたくもないけど）にはかなりつらい映画である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それに加えて、原作者の特権で準主役を演じる桂三枝の厚かましさにゲンナリさせられてしまった。お笑い界では大物でも役者としては二つ目以下のレベルの三枝が、深刻顔して演技派ぶってる様は醜悪以外の何物でもない。掛け合いする主役がちゃんとした役者だけに余計そのおぞましさが際立っている。ま、原作者なので出演するなとは言わないけども、せいぜいワンシーン程度に留め置くべき（☆）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横苅粥Γ供殖掘悗Δ弔靴漾戞複坑后&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　３人のアーティスト（写真家の荒木経惟　舞踏家の麿赤児、ファッションデザイナーの荒川眞一郎）の表現活動の現場にカメラを向けつつ、監督の園子温は新作劇映画のクランクインを強行。おでん屋の店主の男（鈴木卓爾）に惚れる女子高生。ほんの気まぐれで抱いたつもりの男だったがやがてその関係は逆転し、女子高生をもう一度振り向かせるべく男は文字通り街を疾走てし想いを遂げようとする…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　愛知芸術文化センター製作のアート・フィルム。園が愛知県出身なので監督に選ばれたらしいが本来の目的だったアーティストの活動の紹介は完全に付け足し程度に追いやられてしまっている（問題の新作ヒロインのオーディションで荒木が応募者全員のヌードを撮影する下りが。このパートをもっと見たかった）。これは前述の３人に期待して観た観客にとっては大いなる裏切り行為。逆に言えば監督は棚からボタ餅的に人の金でやりたい事ができたんだからウハウハ、であろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それでも「やりたい事」が面白ければＯＫなんだが、劇映画、ドラマというよりも殆ど即興パフォーマンスに近い出来。路上で巨大なハリボテの性器が登場したり、渋谷のハチ公のレプリカを制作してセンター街を女子高生に引かせて歩いたりと、その挑発性は過激だが「外」へ向けて放射する程のパワーは感じられず内輪っぽさ、一人よがりの域を出ていない気がした（☆☆）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横苅機Γ供殖掘慳靴哉人生』（４４）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ある田舎街に東京から父一人娘二人の家族が引越してくる。主人の相馬（柳家金語楼）は何でも屋を開業し近所の人々の悩み事の相談にものってやり「どんな人生も考え方一つで愉しくなる」と諭す。最初は彼を奇人扱いしていた街の人々も悩み事は解消されたりこれからの生きる道を導かれして、いつしか相馬一家はこの街にはなくてはならぬ人になっていく。しかしそんな空気になった途端、相馬一家は何らかの事情のせいで慌しく家財をまとめ、何処へと去っていくのであった…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　成瀬巳喜男監督による国策映画。成る程部分部分にそれっぽいシーンや台詞が用意されてはいる物の、全体としてはほんわかムードに仕上がっている。大体「贅沢は敵だ」の時節なのに酒を飲みたがる亭主や鼈甲の櫛を欲しがる床屋の奥さんなんて人が登場し、それを咎めるようなシーンや台詞もなかったりするんだから不可思議な国策映画。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さらに相馬という人物設定がこの世の人とは思えぬ「癒し」系の人で、それをお笑い役者の金語楼が演じるんだから本作を観た人間が「国威発揚」の気分に駆られるとはとても思えん（笑）。戦中だからといって他者への労わりの気持ちを忘れてはならぬと優しく説く寓話のような面持ちなのだ。ま、監督の真の気持ちとしても「厭戦」だったと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　金語楼の娘役で「天才子役」と言われた中村メイコが出演している。他はこの時期の成瀬映画常連の芸達者たちが多く出演しているようだ（☆☆☆）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横苅供Γ供殖検惶屬魃曚┐董戞複娃検&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　昭和初期。下町娘の細川葉子（池脇千鶴）は女学校卒業後、知人の紹介文藝春秋社の編集部の面接を受け、編集部には採用されなかったが社長の菊池寛（西田敏行）の個人秘書に採用される。変わり者社員の朝鮮人馬海松（西島秀俊）からそれとなくアプローチされる葉子だが、その一方で菊池の破天荒だが太っ腹な人柄にも惹かれる物を感じている。馬は貴族である出自を葉子に明かし、やがて退社して祖国に帰り独立運動に身を投じる事を決意。菊池からも正式に求愛を受けていた葉子は馬について朝鮮に行くべきかどうか、大いに悩むが…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「良き昭和」をテーマにした映画はちょっとしたブームだが、本作もまた『君恋し』『丘を越えて』といった名曲のメロディーを挿入してで懐古趣味を装いつつも中味は硬派な趣だ。時代は世界的な恐慌、また戦争への序曲を奏でる直前の頃であり、何か今の風潮とは似通っている感じもする。出版業界が不景気という設定なんか、正にだし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ヒロインを巡る二人の男という構図だが、どちらかと言えば俺はニヒルなイケメンの馬より菊池の人物像の方に人間臭さを感じる。元来の女遊びで美食家、ルックスからしても若い女の想定外（笑）なはずだが編集部に殴りこんだ暴漢に堂々と対処する気丈さと、神聖化されていたはずの夏目漱石の作品に違和感を唱える硬派でもある。馬が旧来の日本映画に繰り返し描かれてきたアウトロー像の象徴とするなら、菊池は80年代以降に登場したマスコミやテレビにも積極的に顔を出す、旧左翼の域に捉われない文化人の雛のようにも感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　もっとも映画は硬派でありつつも深刻にはならず、最終的には二人どちらかを選ぶ事をせず自立して生きていこうと決意するヒロインの姿で締めくくられて、後味は悪くない。さらにプロモ映像まがいな出演者全員によるエンディングシーンもあり、本作の監督・高橋伴明の旧作を知る者にとってはここまでやるか…と思わぬでもないが、これも彼自身、長い監督経験の中でただ闇雲に「反権力」を訴える事の限界を悟ったからかも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　亡くなった峰岸徹がヒロインの父役で出演しているが、登場場面が少ないのはやはり体調面の問題を抱えていたからだろうか…（☆☆☆☆）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横苅掘Γ粥殖検愿措景疂帖・幽霊飛脚』（５９）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　年頃の娘を次々に殺める「幽霊飛脚」という殺人鬼が横行。伝七（高田浩吉）は娘殺しの予告状が来た家の警護にあたるが、飛脚の計略にはまってまんまと殺されてしまった。殺人はさらに続き、正式に捜査を依頼された伝七は般若の面を付けた飛脚をもう一歩の所まで追い詰めるが取り逃がす。実はこの事件は大奥に関係しており、殺された娘は全員大奥に輿入れする話があった事が判明。次の標的は米問屋立花屋の娘だと知れたが、捜査の最中伝七は暴漢に襲われ姿を消す。その代役として目明しに昇格して上方に行っていた伝七の子分・竹（伴淳三郎）が活躍…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　伝七シリーズの11作目でモノクロからカラー撮りに、かつ愛妻お俊が嵯峨三智子に代わっている。他レギュラー役者ではどうやら一時姿を消していたらしい伴淳が復活、これまで悪役をやっていた近衛十四郎が「遠山の金さん」役で善玉に転向。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　そんな風に以前に比べると装いが新しくなった伝七。内容もこの前観た『花嫁小判』に比べると真犯人探しの下りに捕物帖らしい捻りが感じられてベターな出来だし、カラーになったせいで美術セットの見栄えもいい。ただ当時大島渚が登場した当時の松竹の流れからすると、このような二枚目スターの勧善懲悪な時代劇は実に古臭く感じられたのではないかな？　本作に限らず正統派の時代劇は60年代よりスクリーンからブラウン管へと、舞台を移す運命となったのであるが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　殺される娘の一人として「ボンカレー」で有名な松山容子が出演。この人も女ながらにテレビ時代劇で一世風靡した人だったね（☆☆）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/uzimusi58h/31956154.html</link>
			<pubDate>Mon, 08 Jun 2009 10:01:34 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>№２３９～２４２</title>
			<description>癸横械后Γ供殖押Α愿措景疂帖　花嫁小判』（５６）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　伝七（高田浩吉）は大店ばかり狙う義賊「きつつき」の一味を捕える。しかし逃げ失せた浪人大黒弥太郎（近衛十四郎）らは今度は残虐な手口で再び盗みに手を染める。やはり逃げた口だった錠前開けの名人・清吉（高田浩吉）は、「きつつき」の巻き添え祖父を失った娘の面倒を髪結いを営みながら見、娘が両替屋・山野屋の縁続きだった事からそこの一人娘おいく（伊吹友木子）に好意を寄せられる。清吉が山野屋に出入りしていると知った弥太郎はおいくを拉致し、命を助けたかったら山野屋の押し入りに協力せよと迫る…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　高田浩吉主演の松竹時代劇シリーズの五作目。以前観た二作目『刺青女難』で伝七の女房・お俊役は月丘夢路から東宝女優の草笛光子に変更されたが子分の伴淳三郎、悪党の頭目役の近衛十四郎はそれと同じ。&lt;br /&gt;
　高田浩吉を一言で表現すれば「典型的な白塗り役者」と言える。モノクロ撮りなので余計その表現がピッタリ。その彼を引き立てるべく用意されたのが主人公とゲスト主役を兼ねる設定。つまり美味しい所を全て高田が持っていく超ワンマン映画なのだが、問題なのは二役の設定が脚本に何一つ生かされていない事。単に伝七と清吉が良く似てたというだけで二人が入れ替わって事件解決に至る、そんなような工夫ある筋立てが用意されてないのは、いかにスター目当ての映画と言っても欠陥脚本と言わざるを得ない（☆☆）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癲Γ横苅亜Γ供殖粥慇弔こ垢力機戞複僑押&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　飛行機爆破事件で米国のギャングが死んだ事で、陰に麻薬密輸が絡んでいると睨んだ当局は、麻薬Ｇメンの神永五郎（二谷英明）を殺し屋に仕立て、横浜の裏社会に潜入させる。容疑者・八代（藤村有弘）の用心棒になった五郎は八代の経営するクラブで黒人のトランペッター、ダニーと組んで歌手をやってる弘子（芦川いづみ）と会う。弘子は五郎の元恋人だった。八代の所に現れた秀（二本柳寛）という謎の中国人は弘子に興味を示すが、集の正体を知っていたダニーは前と同じように飛行機で爆死させられそうに。それに気づいた五郎は何とか爆破を防ごうとするが…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　赤木圭一郎が急死した事で空いたアクションスターの席に、宍戸錠と同じく抜擢された二谷英明が主演。既に主役は経験済みとはいえ、この手のちょっとニヒルな主人公は初めてだったのでは？　ヒロイン役の芦川、脇の悪役の顔ぶれからしても、そのまんま裕次郎が代わりに主役をやってもおかしくないような感じだったりする。&lt;br /&gt;
　ただ二谷の持ち味は後の傑作『赤いハンカチ』（64）のような、屈折した人間を演じた方が生きるのは歴然たる事実で、まして当局に忠実なＧメン役なんてそれだけで魅力は判滅。ヒロインとのストイック過ぎる恋愛関係もまたらしくなく、その後主役路線からはずれたのも当然だと言えよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　藤村、二本柳、お馴染み高品格といった日活常連の名バイプレーヤーたちは変らぬ存在感を発揮しているので楽しめない事はなかったが、二谷が手を下す前に悪党が仲間割れを起こして自滅という筋立ては、その後テレビドラマ『ザ・ガードマン』でもよく使われた安直な結末でイマイチ。黒人のトランペッターの登場は当時のジャズブームを彷彿とさせるが（☆☆）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横苅院Γ供殖機悖庁紕瓧髻。藤鬘蕋紕遑筍鵝．妊ア・フレンズ』（０７）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　リナ（北川景子）は女子高生だが学校にも家庭にも絶望し、毎夜クラブに出入りしてヒロイン然と振舞う事が生きがい。友達なんて利用するだけの存在だと思っていた。ところがクラブで突如貧血して倒れて病院に運ばれた際に診察した結果癌に侵されている事が発覚。転移は胸にまで進んでおり片乳を失ったリナは絶望のどん底に突き落とされ、自殺しようとさえする。そんな彼女を見舞って励まし続けたのは、小学校時代に気まぐれで優しくしただけでリナを親友だと思い続けているマキ（本仮屋ユイ）。いつしかリナにとって彼女はかけがいのない存在になっていた。しかし彼女もまた難病に侵されており…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　原作はあの大駄作映画『Ｄｅｅｐ　Ｌｏｖｅ』を自ら監督したＹｏｓｈｉのケータイ小説。また難病物かよと溜息をつきたくなってしまうがセンチメンタルに難病や死を捉えず、それに打ち勝つポジティヴ成を打ち出している所が、この手の映画にしてはマシだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　もっとも俺は内容よりも、初めて見た北川景子の力演を評価したい。エリカ様真っ青の自己チュー娘が、ちょっとマゾヒスティックにすら思える無償の友情に絆され、人間らしい心の痛みや優しさを回復していく様を背伸びせずに演じきっていて、森田芳光がお気に入りなのも納得。選ばれた人間のオーラは確かにある。しょうもないテレビドラマで消耗されなければの条件付きで期待大だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それに比べると本仮屋ユイカの役柄はいかにもケータイ小説世界の人間像の域を出ておらず、役柄を考慮したとしても、もう少し精気のある表情を見せて欲しかった。それからリナが友情の尊さを理解していく一方で、親子間（特に大杉蓮演じる父親との）のコミュニケーションの回復については全く描かれない（父親は途中から全く登場しなくなる。大杉のスケジュールの都合でもあったのか？）のも疑問。と、欠点も多い映画だが北川景子の頑張りのお陰で随分救われた（☆☆☆）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癸横苅押Γ供殖供悒疋螢侫拭璽困任垢茵全員突撃』（６９）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　サスケ（いかりや長介）率いる五人組ギャングは、人魚の風子（梓みちよ）率いる女性ギャングチーム、血桜（スマイリー小原）率いる血桜団と対立を繰り返している。サスケたちのアジトに孤児院から脱走したピッピ（西崎緑）が住み着き、最初は邪険にしていた五人組だが彼女がハワイ在住の金持ちが懸賞金付きで探している孫娘だと分かり、３グループでピッピ争奪戦が展開。何とか身柄を押さえた五人組はハワイへと渡るが、風子も諦めず追っかけてきてさらなる争奪戦に…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　東宝のドリフシリーズ五作目にして最終作。多忙で松竹との掛け持ちが不可能になったのか？　先日観た『盗って盗って盗りまくれ』が平凡な人情コメディだったのに比べると、本作はずっとカルト度がアップ。それには脚本を担当した佐々木守効果だと言える。佐々木守（先年亡くなった）は完成度よりも実験度を重視した脚本を多く描いた人で、本作はピッピのモチーフをルイ・マルの傑作『地下鉄のザジ』（60）を拝借しつつ当時の日本映画には有り得ない、全編ドタバタと追っ駆けスタイルのアクションコメディに挑戦しているのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　加えてドリフのランクでは下っ端の荒井＆高木コンビが金に目が眩んで残りの三人を裏切る、アンビリーバブルな設定も驚き。と、変った物を観たなとの感慨はあったけどそれが成功しているかどうかは別問題で、結果テレビのコントぽいドラマ（佐々木守はこの手の仕事も得意としたが）の長尺版を観たかのようなチープ感は否めなかったし、ドリフもまだまだ本領発揮とは言えない。混迷していた東宝を象徴するかのような珍作の一つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ピッピ役の西崎緑はその後歌手としてもブレイクしたのは良く知られているが、大人になっての「発見」としては風子の子分として出ている女性デュオ歌手の『じゅんとネネ』。このコンビ、どう見てもレズビアンのテイスト。こういう危なさも当時のテレビ界は許容していたのだな（☆☆）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/uzimusi58h/31927024.html</link>
			<pubDate>Sat, 06 Jun 2009 22:20:42 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
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