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478年、対高句麗。

記紀(日本書紀、古事記)の成立は、8世紀ですから
そこに記載されている
「478年、筑紫の安致臣、馬飼臣が船師を引いて高句麗を討つ」は、
阿志岐山城が築城された7世紀には、伝えられていた、知られていたことでしょう。
阿志岐山城は、高句麗の影響が見られる山城だそうです。
 
7世紀には、白江村での敗戦があり倭の国には、未曾有の危機感があったことでしょう。
白江村での将軍は、阿部比羅夫です。
敗戦を受けて筑紫の人々は、かくて地元筑紫の臣が引いて勝利した記憶を
思い出していたかもしれません。
 
とにかく、大和王権は記紀に高句麗相手に勝利した筑紫の臣たちのことを
記載しています。
 
倭の五王の時代、倭王武が宋に高句麗の非道を訴えている上表文が
残されているときです。
 

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