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北部九州、記録的な大雨です。
鳥栖のフェルナンド・トーレスもビックリしているんじゃないでしょうか?
ただ、スペインも大雨らしいから心配でしょうね。
地球、各地で大雨、異常気象。
嫌ですね。
皆さん、気をつけて頂きたいです。
私もです。
フェルナンド・トーレスは、先日、引退試合があって
今後は、鳥栖のアドバイサーに就任するとか。
トーレスが、来ただけでも凄いと思ていたのに
引退試合をしてアドバイサーに就任してくれるって
もう、もう、凄い!!凄すぎます。
引退試合では、かくてのチームメイト・イニエスタが、大活躍。
イニエスタは、これからも現役続行ですから。
イニエスタ、だぁいすき。
(↑ハズキルーペ、入ってません?)
好きだけれど、まだ生イニエスタ、見ていません。
この間の試合もすごく人が多くって
見たくっても見れなかった人、沢山いたみたいです。
私は、鳥栖が低迷していた時、
クラブが存続の危機に遭った時に応援していました。
スタジアムが、がらがらだったときを知っています。
アビスパのユニで行ったことも有ります。
鳥栖スタジアムが満杯になるなんて見た事ない
って言いそうになりましたが、
いえいえ、それも知っていますよ。
満員の鳥栖スタジアム。
あれは、忘れもしないW杯のとき、
カメルーンが来た。
スタジアムが満員で人が溢れていました。
あのときは、どうやってチケットが取れたのか、分かりません。
生まれるんじゃなかって思えるような妊婦さんも来ていました。
W杯は、縁起もんですから。
安産に繋がる、いい子が生まれそうです。
その時以来の満員御礼じゃないですか。
縁起もんですから。
イニエスタとトーレスは。
一度は、拝んどこうと思う選手です。
なんか、感慨深いです。
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隋の時代に倭国を従えている日本と言う国がある
とされていて
倭国が倭の中の国に従っていたと言うケースはあります。
中国王朝の文書に倭国が倭の他国を従えている
と言った文言はありません。
同時期に
ヤマト王権は、倭国を名乗り筑紫国を属国にしていると言っています。
倭の五王は、諸軍事六カ国でクニグニを上げていますが、
その中に筑紫国はありません。
とすると、
倭の五王が言う倭国は、筑紫国を含んでいる。
筑紫国が倭国と言うケースもあります。
私は、これだと思います。
古くから中国王朝と誼を通じていて
人々も冊封されることに誇りを感じている。
中国皇帝の軍旗で人々が集まる。
韓半島にも近く、軍事的行動を取りやすく、
交流、交易も盛んに行われていた。
韓半島情勢からも情報を得やすい。
中国王朝から見て「倭」と言うと、
奴国や伊都国などのあった筑紫がまず、浮かぶのではないか。
ヤマト王権が、倭の五王の国だとすると、
韓半島には、距離があり情報を得るのも難しく。
また、西の諸国を衆夷とするのは、どうかと思います。
倭で一番早く冊封を受けているのは、西に位置する奴国ですし、
倭王武の時代の5世紀、宗像や有明海沿岸、筑後川流域の
繁栄ぶり出土物からは、ヤマト王権の衆夷と言った印象ではなく、
韓半島との交流外交があり
胎中帝の頃より各国の使者が筑紫国に至り朝を行っていた
と言うことが裏付けられるようです。
倭王武が上表している中では、
祖先たちが戦った様子を方位を示しながら語っているのですが、
それは戦の様子であって政治的に支配下に置いている
と言う意味ではありません。
ヤマト王権が言う倭国は、筑紫国を属国にしていると言うことからも
倭の五王の国ではないと思える点です。
倭の五王の倭国は、日本と言う国に従っている。
現在、私たちの国「日本」は、日本と名乗っているのですから
隋のいう処の倭国を従えている日本が、
今の私たちの日本であると考えて差し支えはないでしょう。
中国王朝との国家レベルので正式外交は、隋からです。
推古天皇、聖徳太子の時代からです。
倭の五王が、将軍位を得ていた宋や梁との外交は、記録がありません。
ヤマト王権は、倭国を名乗りましたが、
国際社会では、倭国と言うのはヤマトではなく、
日本と呼ばれている国が、自分たちのことだと知ることになったと思います。
万葉集では、これらの混乱混同を避けて
雄略天皇に山跡乃国(大和の国)の支配者と名乗らせて
誰もが納得できるようにして後々まで語り継ごうとしたのだと思います。
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宗像周辺には、織幡神社があって
この神社は、武内宿禰を祀っているとされます。
神功皇后の凱旋で武内宿禰は、幡を織り
沖ノ島に掲げたとされます。
沖ノ島には、タブーがあり
そこで見たものを口外してはならないとされていますから
唯一の例外、ヤマト王権や武内宿禰のことは
タブーになってはいないことが分かります。
また、香椎宮では、武内宿禰の神社があって
神さまのお名前が分かる様になっています。
織幡神社は、幡を織ったことに特化した神社でして
香椎宮とは文化が違う系譜が違うのではないかと思われるのでした。
雄略天皇のときに高句麗を討った筑紫の臣たちに
馬飼臣と言う人がいます。
名前が伏せてあるのは、ヤマト王権の臣下ではなく、
他の王朝に忠誠を誓う人物なので名前を伏せてあるとしています。
その王朝は、宋王朝で宋に冊封された倭の五王の方と言うことです。
と言うことは、織幡神社として武内宿禰の名前が伏せてあるのは、
武内宿禰が宗像地方では当時、他の王権の臣下であったから
と言うことも考えられます。
倭の五王の時代、宗像は馬飼臣たち筑紫の臣、筑紫の兵の拠点で
武内宿禰たちヤマト王権の忠実な臣下を名前で呼ぶことはしなかった。
織幡神社、馬飼臣、お互い様、
それぞれ相手方の王朝の臣下重臣を
名指しで呼ぶようなことはしなかった。
その名残りではないか。
武内宿禰は、神功皇后、応神天皇にとって
最側近であり極めて重要な家臣です。
決して幡を織ることが、一番重要な役割だったとは思えません。
しかし、宗像に置いては、武内宿禰は、機織りとして重要なのです、
宗像が、倭の五王の軍事拠点、祭祀拠点なら
倭の五王の祭祀が残っているはずで武内宿禰の織幡神社と言うのは、
やはり倭の五王は、ヤマト王権ではなかったとなります。
しかし、宗像にとって「幡」は、重要です。
特に倭の五王の拠点であったならです。
魏志倭人伝にも魏の皇帝が、攻撃を受けている邪馬臺国、卑弥呼の為に
黄幡を邪馬臺国の使者に檄文と共に渡したとあります。
倭の五王であるなら当然、幡は宋の幡であり梁の幡です。
白村江の敗北の後は、唐から幡を送られている可能性もあります。
沖ノ島のお供えの中に中国製の龍頭が見つかり
幡飾りであったとされます。
唐からも幡を送られている可能性は大です。
これら中国皇帝からもらった幡を沖ノ島に置き絶対的なタブーとした。
そして、武内宿禰が幡を織った伝説を残してお祀りする。
宗像大社が、天照皇大神、天孫所縁の神社であるとすると、
武内宿禰の伝説が残り
倭の五王の伝説は伝わってはいない。
タブーにされているもの沖ノ島祭祀が、
倭の五王に関する祭祀ではないか。
となります。
沖ノ島のタブーを犯してはならない。
荒らしてはならない。
文化伝統を守って欲しいと願っていましたが、
ユネスコに世界遺産登録をされて
より厳しい保護管理が行われるようになりました。
その一方で私たちは、沖ノ島出土の品々を目にすることが出来ます。
先に書いた龍頭もそうですし、新羅製の金環、三角縁神獣鏡など
多くの出土品を鑑賞することが出来ます。
これらは、ヤマト王権の祭祀ならタブーになることはなかったと思いますが、
倭の五王の祭祀だったのでタブーが課せられていたと思われます。
同時期の筑後や有明海沿岸の
石人山古墳や月岡古墳、江田船山古墳などの出土物も
宗像との関連で考えて倭の五王のクニを想定することが出来ると考えます。
本来ならこれらも
宗像・沖ノ島関連遺産群と併せて
文化財保護を行い、倭の五王の倭国の研究を進めたいところです。
現在、日本の天皇は国民総意の象徴です。
憲法にも定められていますので
倭の五王のこと、九州王朝のことも調べたり考えたりできるわけです。
また、今の天皇に繋がることではないからこそ、
文化財としての保護がより必要、重要になって来ます。
やはりユネスコに乗り出して
頂かないといけない世界遺産としての保護が必要な文化財です。
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私たちの国は、「日本」です。
隋が、隋の皇帝が、
日本と言う国が、倭国を従えていると
驚いた国が「日本」です。
日本と言う国名は、雄略天皇のときに
任那日本府として出て来ます。
537年に任那日本府は、新羅に襲撃されて滅びますが、
ヤマト王権は、その後も任那復興を目指して
派兵をしたり会議を開いています。
ですから
日本が、ヤマト王権の方であろうとは思われますが、
隋に対してヤマト王権は、国名を日本とは名乗らずに
「倭国」としています。
韓半島や隋と言った中国王朝は、ヤマト王権のことを
日本としていたのではないかと思います。
現在、古事記日本書紀にあるのは、日本の歴史でしょう。
中国王朝に冊封されていた倭国の歴史ではありません。
魏志倭人伝には、倭国が乱れたので
邪馬臺国に卑弥呼を共立したとあります。
奴国が57年に後漢から金印を授与されて
その後、166年が倭国大乱。
隋や中国王朝がいう処の倭国はこの倭国。
新羅は、新羅本記で59年に倭国と国交樹立としていますので
奴国王が冊封されてから僅か2年後のことです。
この倭国が中国王朝が倭国としている倭国と同じだろうと思います。
一方、百済では、倭国との国交樹立は、397年です。
百済が倭国と言っているのが、ヤマト王権である可能性はあります。
倭の五王が求めた諸軍事六カ国では、百済が含まれていますが、
宋では百済を外して代わりに加羅を入れています。
地理的に百済は、南朝に近く、それよりも遠い加羅を加えた方がいいし、
加羅には鉄がありますし、諸々の理由から
百済の代わりに加羅が加えられたと思います。
5世紀に宗像が繁栄し、海外の文化、文物が入っているのは、
新羅や加羅の諸軍事六カ国を果たすためであったろうと思われます。
これらは、倭国の歴史であって日本の歴史にはない事柄です。
万葉集では、雄略天皇の国を山跡乃国としています。
大和の国です。
本来のヤマト王権の国、発祥の地の国名です。
これについては、異論はなかろうと思われます。
熊本和泉の江田船山古墳出土の鉄刀に
ワカタケル大王の世に事典曹人としてムリテが奉られたと
刻まれていて
ヤマト王権の支配が、九州に及んでいたのではないかとされます。
このことは、隋の皇帝が驚いていたこと、
日本と言う国が、倭国を従えていることに一致します。
雄略天皇のときには、筑紫とヤマトの価値観が一致して
協力関係に有ったと見ています。
そこには、高句麗に攻撃されている百済からの働きかけがあった。
鉄刀も百済製ではないかと思っています。
鉄刀の文言に「王恩」とあります。
5世紀当時、倭には見当たらない価値観、文化で
これは、中国のものです。
皇帝から統治する処を与えられたと言う意味になる「王恩」です。
刻文には、王恩に続いてその「統べるところを失わず」とあるので
これは、中国文化の王恩です。
皇帝の恩により国を頂いた中国王朝の冊封を意味していると受け取れます。
雄略天皇、ワカタケル大王が、王恩を受けていたのなら
ヤマトは冊封されて雄略天皇が倭王武になりますが、
この鉄剣では、王恩を賜るのは、ムリテです。
倭王武の武は、ムリテのムに一致します。
このようなストリーは、倭国のストリーです。
日本の歴史にはない倭国の歴史。
日本と倭国は、国の歴史が違います。
現在の私たちが、国の歴史として学んでいるのは、
日本の歴史です、
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豆柴カフェに行って来ました。
前回、終わり頃に豆柴たちに囲まれ乗っかられて
てんやわんやの大騒ぎになったのですが、今回は、
なぜか、犬たちが寄って来ません。
なぜ?
なぜ、来ない?
分かりません、犬の気持ち。
夏休みなので子どももいたのですが、
子どもにはすごく寄って行っていました。
そばに行って匂いをクンクン嗅いで飛びついたり舐めたり
子どもの方は、きゃーきゃー言って
逃げようとするんで
もはや追いかけっこ。
豆柴と子どもの追いかけっこ。
スタッフさんが、逃げないでください。
静かにして下さい。
犬が興奮しますからじっとして
静かにシィー!
とアドバイス。
お父さんらしい人が子どもを抱き上げていました。
黙ってじっとしていると、
豆柴たちは、行ってしまうと分かりました。
子どもが来るたびに大騒ぎ。
これって豆柴だけではなく、
動物園では、寅や豹も子ども好き、でした。
これはちょっと、好きの意味が違っていて
「美味しそうな柔らかお肉」って思っている様子。
近づかれて敏感な子は、「怖いよぉぉ!」と泣き叫ぶ。
うん、寅くん豹くん、旨そうって思っている。
豆柴たちは、旨そうとは思っていません。
面白そう、遊びたいって思っているようで
子どもとは、波長が合っているんでしょう。
で、私の前では、なぜか、熟睡。
暴れて疲れたか?
そう言えば、豹のルナもサンも私の前で寝転がっていたっけ。
安心しきって寝られてしまったのでした。
前回の大騒ぎとは、まるで違う。
同じ豆柴カフェに来ているって感じではありません。
寝た!
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