春や昔のカメラ旅

全国各地の産業遺産と、それに絡まる植物のウオッチング

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■大崩海岸〜構造不況下に廃トンネルに住んでいた浮浪者〜

 東海道線の難所の一つに大崩海岸があります。在来線の下り電車が、静岡駅の2駅先の用宗駅を通り過ぎると、間もなくトンネルに入ります。このトンネルの海側が断崖絶壁の大崩海岸です。

 JR東海道線・用宗(もちむね)駅で下車し、焼津方面へ国道150号線を車で5分程行けば着きます。国道は、大崩海岸まで来ると、崖を回避するループ状の海上橋となります。岩肌が露出した急峻な山が急角度(目測推定70度程度)で海岸からせり上がっているのです。「東海の親不知」と言われるだけに、波打ち際に平坦な所は全くありません。崖をしばらく眺めていると、風もないのに石ころがパラパラと転げ落ちるのを目にすることができます。

 この海上橋の先はトンネルになっており、焼津側に抜けた国道際から海岸を見下ろすと、バウムクーヘンを切った形の赤レンガブロックが波打ち際にごろんと横たわっているのが見えます。かつての東海道線下り線(海側)のトンネルの出口部分が崩落したのです。1948(昭和23)年に日本を直撃したアイリーン台風による大波の直撃を受けたもので、それ以降約60年間同じ姿をさらしているのです。

 この東海道線トンネルは旧石部(せきべ)トンネルで、出口が崩れている下り線は1911(明治44)年に、隣接している上り線はそれよりも早く1889(明治22)年にそれぞれ開業しています。つまり東海道線は当初、上り線を使った単線運転だったのです。海岸線ギリギリに線路を敷設したため、太平洋からの大波の直撃を受けることがしばしばあったようです。このトンネルから焼津側の路盤も崩れてしまい、跡も分からなくなっています。
 現在の東海道線および新幹線用のトンネルは内陸側に掘り直されました。

 下り線の崩れたレンガブロックを調べていて、「T」を○で囲んだ刻印があちこちにあるのに気付きました。これはレンガを焼いた会社の印です。レンガ研究家の八木司郎氏に見解を聞いたところ、1898(明治31)年9月に創業した東京煉瓦株式会社製の可能性が高いとのことでした。東京煉瓦という会社は東京の隅田川べりにあった会社で、沼津のご用邸や東京都北区の十条駐屯地のレンガ建築などにその製品が使われていたことが分かっています。
                   ◇

 筆者が訪ねた1998(平成10)年3月のことです。上り線の廃トンネルから50代半ばと思われる鉢巻き姿の男性が現れ、海岸に転がっている石を物色しながら、何度もトンネルに運び入れる作業を始めました。よく見ると、枕サイズで平らな石を選んでいました。
 その男性が筆者の近くまで来た際、ふと目が合ったのですが、その視線は一般の浮浪者のように他人を視野の外に置くそれではなく、ごく普通の人の感じでした。服装もこざっぱりしていて違和感がなく、浮浪者特有の異臭もしませんでした。

 「トンネル内に石を並べてベッドを作っているんだよ。何回も運んでね、…私のマンションのベットじゃ」
 問わず語りに男は話し出しました。それによると、北海道に家があり、江差の炭鉱で働いていた時は金バッジを付けていたとのことです。

 なぜここに、と問うと「わけあってな」と苦笑しました。「東京にも行ったが景気が悪い。働くところはないよ。でも、わしはこのままじゃおわらんよ…」とも。

 なかなか饒舌。隣の下り線廃トンネルにも誰か住んでいるとのことですが、互いに話はしないとか。どうしてこういう場所を見つけたのかは聞きそびれました。

 1998年当時はバブル崩壊で、日本経済は構造的不況の長いトンネルの中にあり、出口の明かりはまだ見えていませんでした。その人はやがて、ヤーレン、ソーラン、ソーラン…とソーラン節をつぶやくように歌い始め、石を両手に抱えながらトンネルへと歩き出しました。
 その当時の日本の景気を写し出した人と言っていいでしょうか。
以上

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