東京裁判は是か非か 現代史研究家保坂正康氏が東京裁判の性格について自著の中において次のように述べている。
「東京裁判は二つの特徴を帯びている。一つは連合国による 『見せしめ』、もう一つは(日本がおこなっ侵略戦争に対する)『確認』の場」であったと。
保坂氏の言う東京裁判における「確認」とは日本がアジア太平洋戦争に暴走していった経緯と日本軍が犯した戦争犯罪の切開と責任の所在を「確認」する場であったということだ。
日本が日露戦争の結果朝鮮を植民地化、そして満州事変以降、公然とアジア近隣諸国にむかって軍事侵攻を企てて行ったことは事実である。東京裁判はそれを「確認」する場であったことは間違っていない。
次に問題になるのが連合国による『見せしめ』つまり報復の場としての東京裁判であるが、勝者による一方的なセレモニーであったことは否定できない。そして東京裁判における「見せしめ」こそ、一部真性保守派が主張するいわゆる「東京裁判史観」が根拠としているものだ。「見せしめ」裁判は往々にして客観性を無視した一方的な裁判に陥りやすい。東京裁判はその典型だ。
米軍が犯した罪悪行為には、東京大空襲を始めとする住民大量殺戮を目的とした残忍な各市街地無差別空爆及び広島・長崎における原爆攻撃が挙げられる。米国は未だにこれらの残虐行為について一遍の謝罪も行っていない。これこそ東京裁判がもつ一方的な審理である所以だと思う。
東京裁判の被告選定にも重大な欠陥があったとされている。具体的には、アジア太平洋戦争の原因をつくった満州事変の首謀者である石原莞爾や対米英戦争を誘発させるに至らせる日本海軍南部仏印進駐を強行させた石川参謀、満州事変を国際世論からそらすために行なった上海事変において謀略を駆使した田中隆吉(註:田中はあろうことか東京裁判で検察側の証人として出廷している)、そして東条英機とともに傀儡満州国経営の立て役者である岸信介など全て連合国は不起訴にしている。
その一方で、大して重大な罪悪を犯していなかった者らが絞首刑判決など極刑を受けていることだ。その代表は松井石根だろう。松井石根は中国通と知られ、中華民国建国の父孫文と深い親交を重ねてきた元軍人である。
軍籍を離れていた病身の松井が支那派遣軍司令官として再び召集されたのは1937年盧溝橋事変以降になる。その年の12月に勃発した南京虐殺は日本軍南京攻略部隊が犯した罪悪行為であるが、松井は日本軍将兵に対して決して中国人を敵視しないようにと命令している。
東京裁判の結末は東条ら7被告の絞首刑執行をもって終結した。無期懲役などの判決を言い渡された他の被告たち全ては1955年までに完全釈放された。釈放後の被告たちは政治活動の自由も回復した。被告たちの中には国会議員はおろか大臣に就任する者も数多く続出するに至った(註:重光葵は副総理・外相、賀屋興宣は蔵相、そして逮捕されながら起訴名簿から外された岸信介にいたっては首相・党内最大派閥の長に。首相辞任以降も歴代政権に影響力を行使。それ以外の被告たちも政界・官界・経済界に隠然たる力を発揮していった)。
このように今にして思うと東京裁判とは一体何だったのか、疑問に思えてならない。
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東京裁判と戦後体制
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