|
秋田県大館市の中学校で、生徒会の自主的な企画で全校生の協力を目標に、5月11日から17日までで1人200円以上の東日本大震災義援金を任意に募った。学校側も学年通信で呼びかけるなど協力した。しかし、締切が近づいた16日ごろ担任2人が個々に、募金していない生徒の名前を書いた紙を黒板に張り、掲示後に募金した生徒の名前にはチェックを入れていた。名前を張り出された生徒は合わせて約20人だった。
18日午後、保護者からの苦情を受けて、すぐに掲示板をやめさせた。校長は「生徒会の気持ちに応えようとしたもので、普段から忘れ物をした生徒の名前を張り出しており、担任が同じ感覚で掲示しようとしたようだ。今後、このようなことがないようにしたい」としている。
生徒会のあくまでも自主的な企画であって、こと金銭的な事象が絡んでいるので、慎重に対処しなければならない。最近ではあまりないとは思うが、家庭の経済状態から募金が困難な場合もあるかもしれない。あくまでも、生徒会の自主性を見守る立場で、静観すべきである。忘れ物と同一視する罰則的な発想からなかなか逸脱できない教員の「性」が見え隠れする。社会的な規範を学ぶ上での、罰則ははっきりとすべきで、自主的な募金活動にまで当てはめるのは明らかに行き過ぎである。
対象となった生徒に精神的な後遺症などがなければよいのだが、微妙なデリカシーのなさにただ唖然とさせられた。また、今回の出来事が原因で、いじめなどがなければよいがと願う。昔ほどではないが、教師と生徒の関係は明らかに進路指導での微妙な「さじ加減」を教師が握っている。時には、内申書での裁量権がいびつに行使されるケースを耳にしたことがある。生徒とはいえ、人に対する評価は難しい側面がある。
強権的な力を有している場合、より慎重な対応が要求されるのに、このデリカシーのなさに2名の担任に指導をゆだねてよいのかと危惧する。教員養成の困難さ、昨今の父兄サイドの横暴さがよくニュースに取り上げられる社会事情、教育現場の荒廃が将来の日本にくだらない影響を与えないよう願うだけである。
中間管理職の校長の発言にも、苦言を呈したい。2名の教員の行き過ぎと簡単に考えるべきではない。問題の背景をどう見るのか、どう考えるのか、踏み込んだ発言があってしかるべきではなかろうか!「いじめ事件」で教員内部に、解決に前向きな態度をとった教育委員会があったであろうか?困難さはあると思うが、あまりにも保身的な体質は、問題解決、真の教育水準の向上に対する期待感をそがれる。
|
全体表示
[ リスト ]





ある自動車ディーラーの営業所では、車1台の売り上げにつき営業所が1,500円を義捐金にしているそうです。けしからんのはディーラーが契約成立したお客様に対してご購入契約者には最低100円の義捐金をお願いしています・・・と要請しています。それって・・・どうなんでしょう。その営業所での義捐金の総額をつりあげていい顔したいがために強制しているのです。日本中の職場や労働組合で義捐金集めを主催しています。その多くは集まった金額の多寡を重視します。その結果、半ば強制的な強引な募金収集に走っています。今日本中で見られる現象です。冗談じゃないです。募金はあくまで任意です。しかも今回の地震はマスコミや赤十字など窓口がやまほどあり、どこに募金するかは個人の自由です。なぜ職場や職場のセクハラ上司や、会社の傀儡労組役員のいいかっこ顔のために強制的に募金に協力しなくてはならないのでしょう。これは明らかに募金ハラスメントです。地震関連募金に募金が集中しすぎて従来からある募金が集まらない・・・という問題も起きているそうです。今回の地震で募金の集め方、取り組み方の問題が明らかになったとおもいます。
2011/5/21(土) 午後 2:20 [ IISEY ]
日本にボランティア文化が根付いていないので、ややもすれば右へならえなどという行動に走りがちです。自主的な行動が、行われる素地をどう整えるのか、大きな課題だと思います。
2011/5/24(火) 午後 4:19 [ val*est**k22 ]