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フツーに 旅行社の パックツアーで 沖縄に 行くと
ホテル
レンタカーも 空港から もしくは 送迎車が 来て 近くの 事務所から 出発
で 帰りの 飛行機の
非常に 便利に できてます。
でも それは あくまでも 予定を 予め 立てて 沖縄に 行く人達 だけの 特権
帰り? いつか 決めとらん! 宿? ホテルまるきに1泊したいんよ
その頃は パソコンとか 普及してなかったけえ あちこちの 旅行社の パンフを 貰うてきて
検討はしてみたものの こんな我が儘を聞いて 安いパックを 出してくれるとこ 無〜し
今から 思うと それで 少し ハブてとったんでしょうね・・・
首里城 金城町の石畳 見た後 どうする? 北の方に 行ってみるか
どうやって行く? 路線バス? ・・・ フツーに レンタカー借りるんも シャクじゃしの〜
その時 どうやって 見つけたんか 綺麗サッパリ 忘れてしまいましたが
夕方に 那覇の久米 と言う所の レンタバイク屋に 電話で 予約して
翌日朝から スクータータイプの 原チャ 2台を 借りて 北へ 向かう 事に
( 連れも 私も 職場で スーパーカブには 乗ってたけど 自動二輪免許 無〜し )
おう こりゃ 我ながら ええ事 思いついたわ
車と 違うて バイクなら 風を 感じて 走れるけえの〜
と言う訳で 次回 其の拾壱は 風来坊 カープファンやんばる
♪ 沖縄の 風を食らって 北へ 跳ぶ ♪
の 巻で ございます。
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うちな〜ぐち(沖縄方言)他
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沖縄の 言葉で いちゃんだ 言う 言葉が あります。
例えば いちゃんだビーチ いちゃんだ公園 とか 言うて
語源は不明 ( どなたか うちなーぐちに 詳しい方のご教授を戴ければ幸いです )
要するに 無料開放されてる とか タダでいける とこ。
首里城は 入場料が 必要です (500円じゃったかのう?忘れた)
話は 前後しますが 私が 添乗員時代に よく お世話になってた 某新聞社系 旅行社
( カープの憎き敵
ここも 飛行機で大阪発で 沖縄ツアーを しょっちゅう 催してて
守礼の門は それこそ いちゃんだ じゃけえ 行って記念写真を 取りますが
首里城内の 正殿とかは オプション つまり 見たい方は 添乗員に お代金を 払うてね
何人以上 集まれば 団体料金に なるけえ お得ですよ
って 感じだった 思います。
その 某旅行社は とにかく いちゃんだ の とこが お気に入り だったようで (今は知らん)
首里城と 共に 首里金城町の 石畳 散策 が コースに 入ってました。
首里の お城から 南部方面への メインルート 真玉道(まだんみち)の 旧跡の 石畳
東京で 言うたら ♪ お江戸 日本橋 七つ立ち ♪ って とこでしょうか?
( ちなみに この歌って ダークダックスが 歌ってますか? 私も 後の歌詞を 知りません )
この 石畳は 坂道じゃけえ 歩きにくい 言うて 特に 女性の 添乗員さんには
不評で 足のご不自由なお客様も 敬遠されてた ようですが・・・
橙兎と 我々カープファンは 敵対しとる
その 旅行社の 名誉回復もあり 力説致しますが
いちゃんだ じゃけえ 言うて バカに できんのよ
その時 初めて 行った 首里金城町の 石畳
以来 私の お気に入りの 場所の 一つに なりました。
この時は 炎天下、でも その苦労に 勝るほど 癒され その後 何回も 訪れて
夕刻 まだ 日が 西の空に ある 時分の風情も また良し。
(天と地の利を得て、皆さんとカープ沖縄キャンプに行く折りには必ずここもご案内します)
石畳を 少し 奥に 入ると 鉄の暴風と 言われた 如く
第二次世界大戦の折りに 首里周辺に 降り注いだ 米軍の艦砲射撃や 爆撃を 免れ
( 少し谷間みたいになってて、角度も幸いしたかと思われる )
奇跡的に 昔と変わらず 残った 赤田の フクギ林 も あります。
ここは 正に 今ハヤリの パワースポット。
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大学の 卒業旅行以来の 那覇の街・・・ 定宿の まるきホテルに泊まって
翌朝 国際通りや 市場街を ブラブラ
驚いた事に
モノレール建設で 工事中 景色が 一変しておりました。
これには さすがに ショック大
農連市場 ってとこが あります。今でも ここは 同じ 日本とは 思えない
どう考えても 東南アジアの 世界です。
沖縄に 行かれたら ここも見て来てつかあさい これぞ 沖縄の 本来の 姿なんかもしれん。
路線バス(那覇交通)で 首里城へ
首里城の 正殿が 復興したんが 確か 1990年だったと 思います。
守礼之門は 観光名所ですが 他の門は その時 (1998年) には 工事してるとこも ありました。
手抜きで 失礼 続く
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これを 書くんは ずいぶん 久しぶりの ような気がします・・・
さあ 仕事辞めて 後腐れになるような 女の子も おらんし さあ 沖縄移住じゃぁ
とは 思ったものの 辞めてすぐ と或る 工場に バイトで 来んか?と 誘われ
まあ 沖縄も 逃げるもんでも ないし ほいじゃあ と思い バイトに行きました。
皮肉にも 電車を降りる駅は 辞めた会社の 最後におった 職場と 同じ駅
違うたんは 駅から トコトコ 歩いとったんが 送迎用の バスが ある 事くらいで。
石油給湯器なる 製品の 組み立てラインに 入りました。
今は その会社は 人材を 派遣する 会社に なったようで 工場も 閉鎖された と思われます。
世の中には いついつまでに こうしてああしてと 目的を決めて それをドンドン 実行していく
素晴らしい方も たくさん おられますが、悲しいかな カープファンやんばるは その頃から
成り行き任せの 風任せ
勤めを辞めたら 金は消えゆくのみ されど 時間は 売るほどに ある ・・・
それを ええ事に 怠けて ブラブラ 昼と夜が 逆転する 生活を 送り
自分でも さすがに こりゃあ いけんわ〜
その頃は バー(酒好きが静かに飲める店)を経営しようかと(ノウハウも資金も足りんのに) 思うとったけえ
白Tシャツに 黒ペイントで 名前だけ 決まった店の 名を 染め抜いたんを
参加人数分(2名) 作り
いつまでとは決めず 沖縄に 出掛けました。お供は 辞めた会社の 同期で やはり ドロップアウト組
(そいつとも音信不通。私には 沖縄移住の夢があったけど、彼は辞めて何する言うビジョンもなし)
やはり 離陸の際に 宇宙戦艦ヤマトを 口ずさみ 那覇空港に ついたんが 日没後
( この時も 確か 那覇空港は 古い建物だったはず )
タクシーで 定宿と 勝手に決めた まるきホテルへ
ホテルの前の 川沿いには モノレール建設工事が 始まっており 景色が一変
でも 嘆いとっても しゃ〜ないけえ 思うて すぐに 沖縄料理を 食べに出掛けました。
続く
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大学の 卒業旅行で 行った 沖縄に 住むんじゃ と 決意はしたものの
新卒学生が 新社会人になって 第一歩を 踏み出す
会社じゃったけえ しばらく 沖縄の事は あまり考えずに 黙々と 仕事してました。
たまに 沖縄料理店で 沖縄料理を つついて 飲んで 身中の 沖縄への 思いを 宥めるのが 関の山
仲村清治さんという 作家の方が ないちゃ〜( 所謂 日本本土 北海道 本州 四国 九州 の人を
内地人とする 沖縄の言葉 ) が 沖縄に憧れて 何回も通ったり 重度になると 移住してしまったりする、
そういうのを 沖縄病 と 自書の中で 書いておられるのを だいぶ 後に 読みました。
ワシゃぁ もろに それに 罹っとった 訳じゃ と 大いに 笑えました
行ってた 会社は たまに 土曜日出勤が ある位で 日曜は 休めたんですが 不幸なことに
その業界では 至極 普通なはずの 1週間〜10日の 連続休暇が ウチの会社だけ なかった
あるのは 8月の 盆休み 又はその 代休で 2〜3日
土曜の 朝早くに出て 沖縄一泊 日曜の内に 戻るか、 盆前後の 多客時に 沖縄に 飛ぶか、
どっちもせんと いろいろ 迷いはしましたが 結局 3年9ヶ月で 勤めてた 会社を 辞めました
旅 ( 普通の旅行ではなく ) 打てるんは 若いウチだけ じゃろうし
このまま しよったら 普通に 結婚して 子供が出来て 少ない小遣い
そうなったら ずっと後悔し続けるじゃろうし 嫁さん子供連れでは 沖縄は 行けんよ〜
さあ 会社は 辞めました 後遺なく 沖縄に 長期滞在の 積もりで 飛びましょうかいの
そうは なりませんでした・・・
勤め辞めた 言うたら ウチに バイトで 来てくれんか? 言われて
皮肉にも 前の会社の 最後にいた 勤務地にも ほど近い 工場で 結局は 半年ほど
一定の 期間が 終了するまで 働きましたかね。
それから 1月ほど フラフラ プータローして やっと 沖縄に 行けたんが 8月の 20日過ぎ
実に 4年8ヶ月ぶりの 沖縄 でした。
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