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筑紫鴻臚館

 今週の日曜日の福岡の空、それは雨が時折り降る梅雨の鈍色の空。福岡の「舞鶴」という地区にある「舞鶴公園」をちょっと散策。

 舞鶴の地名の由来ははっきりとは知らないですが、その地にかつてあった福岡城の別名は「舞鶴城」。その城の優美さが、その由来となったそうです。

 わたしが散策したコース、その入り口は舞鶴公園の東南側。舞鶴公園の歴史史跡とその地域が案内板に。

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 その道は未舗装で、周りを囲むのは緑の木々達。桜の季節には桜色の色合いでの出迎えがあるのか。

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 この道の北側は裁判所。その裁判所も六本松に移転し、全体が歴史公園として整備されると聞きました。

 その道を、桜の太い木を眺めながらしばし、ちょっと小高い丘にさしかかる辺りに至ると、ちょっと広い空間があります。

 それが筑紫の鴻臚館の跡。それは北館と南館に分かれ、発掘調査が一応住んだのが南館。

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 その発掘品などを展示しているのが、鴻臚館跡展示館。

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 その発掘品の画像は多いので後日別の記事に。

 筑紫の鴻臚館は、その以降が残っている唯一の鴻臚館。その前身の筑紫館の由縁をウィキペディアから転載。

 
磐井の乱(527年 - 528年)の後、宣化元年(536年)に那津のほとりに宮家(遠の朝廷:とおのみかど)を設置し、九州支配と外交の役目を果たす。推古17年(609年)には筑紫大宰(つくしのおほみこともちのつかさ)の名で『日本書紀』に登場。白村江の戦いの翌年(664年)に行政機能は内陸の大宰府(現在の太宰府市)に移転、那津のほとりには大宰府の機関のひとつとして海外交流および国防の拠点施設が残された。

この施設は筑紫館(つくしのむろつみ)と呼ばれ、唐・新羅・渤海の使節を迎える迎賓館兼宿泊所として機能し、海外使節はまず鴻臚館に入館して大宰府や都へ上ることとなっていた。筑紫館と大宰府の間は約16キロメートルだが、そこを最大幅10メートルの側溝を完備した直線道路が敷設されていた。ただしこの道路は8世紀内に廃道となる。持統2年(688年)には筑紫館で新羅国使全霜林を饗したと『日本書紀』に記されている。また海外へ派遣される国使や留学僧らのための公的な宿泊所としても用いられた。天平8年(736年)に新羅へ派遣される遣新羅使が筑紫館で詠んだ歌が『万葉集』に収録されている。律令制においては治部省玄蕃寮の管轄であった。筑紫館はまた外国商人らの検問・接待・貿易などに用いられた。


 福岡で鴻臚館の発掘がされたのは、四半世紀ほど前か。それはまだ平和台球場が残っていて、その外野部分の整備されている際に見つかったのか、その記憶は曖昧。

 四枚目の写真は、鴻臚館跡の南門から海を望んだ光景。そこに見えるのはいにしへとは違ってビルの数々。

 平和台球場が建設される前、この地は陸軍の駐屯地からアメリカ軍の駐屯へ。様々な歴史を経ながらもその遺構が残され、忍ばさせるかつてのいにしへびとの息づかい。

 舞鶴場の堀に拡がる意麺の蓮の葉と花も、そんな雰囲気を彷彿とさせるようです。

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閉じる コメント(12)

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こんばんは。

福岡城の別名は「舞鶴城」〜 昔の お城は優美なお城が多い(多かった)
ですね。 福岡城も そうだったのですね。

発掘品、興味深いです! 蓮も そろそろ咲き始めますでしょうかね〜

ナイス! 蓮も、とても日本的!な花ですネ。

2013/6/24(月) 午後 11:53 マリウス

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童夢さん、おはようございます ♪
嘗ての平和台球場跡地に、この様な立派な歴史的資料の宝庫が埋っておるとは誰が思いましょうか?!
発見された人の功績は大で、国の宝となっているのですか地元の方の誉と云っても過言ではないでしょう!

2013/6/25(火) 午前 5:37 [ tatsu ]

マリウスさま

ありがとう゛ざいます。実は、福岡城の別名が舞鶴城ということは、今回散歩に行って初めて知りました。平和台という名称にも、由縁があるかもしれません。

ここのお堀と蓮はずいぶん長い間通っていますが、じっくり見たことないので、咲く頃に取材に行きたいと思っています〜

2013/6/25(火) 午前 5:40 [ 童夢 ]

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外国からのお客様お迎えする大事な入り口
歴史は物語る。。。ですね
福岡 舞鶴 蓮のお花咲くころ もう一度みたいな
ぽちん

2013/6/25(火) 午前 6:55 ろあべ

童夢さん * おはようございます。

≪ 鴻臚館 ≫
歴史の中では 重要な役割を果たして来た 建物 だったんですね。
素晴らしいです。一度 拝観してみたいものです。福岡城 を 別名 舞鶴城と 呼んでいたのは ?・・・興味深いです。

主人の転勤で 23年前 福岡に 住んでいました。飯塚 ですが ・・・その頃から
この公園は あったのかしら ・・・
2年前に 長崎へ 旅行に行き 福岡も 少し観光しました。あの頃とは だいぶん様変わりし 驚いたものです。
私達の 歳も 歴史を重ねましたが (笑)

2013/6/25(火) 午前 7:02 [ toko ]

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こういうところがあるのですね^^
ハスの花が好きなので夏になると景色がまた一段と
良くなるでしょうね^^
機会があればぜひ行ってみたいです♪
ないす^^v

2013/6/25(火) 午後 1:34 fmy

鴻臚館跡の南門からは、海が望めたんですね

東京湾周辺もビル群に占領され、海を望む為にどんどん高くなっているような気もする風景
そして、潮風の流れも昔と今では違ってしまったのでしょうか

2013/6/25(火) 午後 2:03 loveP-sorami

tatsuさま

ありがとうございます。平和台球場が建設される前から、説はあったようです。
九州大学の教授が、鴻臚館がこの地にあることをす論して発見に繋がったようで、日本で残された唯一の鴻臚館遺構。
北門の調査が進んでいるようです。

2013/6/26(水) 午前 6:05 [ 童夢 ]

ろあべさま

ありがとうございます。ここでお迎えして太宰府政庁から都へ。
その接待の心はどんなものであったのか。
想像が膨らんできます〜

2013/6/26(水) 午前 6:07 [ 童夢 ]

tokoさま

ありがとうございます。福岡城には天守閣がなかったというのが定説だったようですが、一説によるとあっととの説も。
鶴が舞う姿には天守閣が似合うような木がします。
舞鶴公園はわたしがこどもの頃から、鴻臚館は25年くらい前位か。

この辺り大濠公園もあり、心落ち着けるスポットです〜

2013/6/26(水) 午前 6:11 [ 童夢 ]

fmyさま

ありがとうございます。最後の写真の堀、その東寄りに狭い堀がありますが、そこは蓮で一面覆われています。
蓮の花が咲く時期に、写真を撮りたいと思っています。
この近辺は、広大な公園でいいところです〜

2013/6/26(水) 午前 6:14 [ 童夢 ]

soramiさま

ありがとうございます。北門側が博多湾を望む地。いまだ調査中ですが、資料室にあった古地図を見ると、海が望めたのではとの想像。
来し方を振り返る・・・・そんなことも想像させる遺構です。

2013/6/26(水) 午前 6:17 [ 童夢 ]


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