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福岡の平和台、そのちょっと高みから発掘された、日本で唯一の遺構が残っている「鴻臚館」。 その発掘物が展示されてある鴻臚館展示館。その発掘物の数々。道具や食器類、建築物の礎石の跡の写真を幾つか。 それは時代を遡ること千数百年。福岡城の築城、戦時中の陸軍の駐屯と終戦後のアメリカ軍の駐屯。そして、その後の平和台球場の建設を経ても、奇跡的にか残されたその遺構と遺産。 薄暗い建物のなか、遺構と出土品が壁にあるスポットライトのなかで輝きを見せる構図。以下の画像はその数々。 次の画像は割れた食器の捨て場の跡か。その積み重ねられた割れた食器からは、その生活の様子も垣間見えるよう。 その展示物には、いにしへびとのおもてなしの心や、かつての貴賓をもてなした幾多の人々の息づかいをも感じるもの。 それはいつしか人間の記憶のように薄れて朧気になり、そのありかの記憶も語り継がれなくなり、歴史のページのなかの一行として埋もれてしまったもの。 それは後年の幾多の研究家などの浪漫をかき立て、そして奇跡的に歴史と土の中に埋まっていた遺構と発掘品。 その姿を現したいまは、遠く奈良や平安、そして遠く大陸の香りが微かにするよう。この展示館の静謐さのなかには、いにしへびとの想いや出来事の数々を偲ばせる、静かな佇まいと気品とがあるようです。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 江戸時代に福岡藩の学者青柳種信・長野種正・伊藤常足らが鴻臚館の位置を博多部の官内町(現在の福岡市博多区中呉服町付近)だと唱え、この説は大正時代まで広く信じられていた。しかし、九州帝国大学医学部教授の中山平次郎が、万葉集の記述[1]などを検討し福岡城址説を提唱した。当時、福岡城址には帝国陸軍歩兵第24連隊が駐屯していたが、1915年の博多どんたくによる同連隊の開放日に中山は兵営内を踏査し、古代の瓦を表面採集。1926年から1927年の「考古学雑誌」に論文を発表した。さらに、同連隊で兵役についていた鏡山猛が、弾薬庫の歩哨のかたわら古代瓦の破片を採集したことも中山説の傍証となった。この2人はのちの1930年に九州考古学会を立ち上げている。 |
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なんかこの様な写真に収まっていますと大陸の在る陵墓の発掘場を箱物にして、展示場館にしているみたいですね!?
器物にしても綺麗な状態で出土されていて、大変宜しい状況ですね!
2013/6/28(金) 午前 8:28 [ tatsu ]
こんにちは。
・・・時代を遡ること千数百年・・・ロマンを感じますね。
綺麗な状態で 残った(発掘)されたもの結構 ありますね!
割れていたとしても、ヒビが入っていても 大変、貴重!!
こうして今、目にすることができる。。。!
・・・幾多の人々の息づかい。。。この展示物を見ながら 想像〜
やはり 歴史は いいですね! ナイス!
2013/6/28(金) 午前 10:36
tatsuさま

ありがとうございます。この辺りの年代になると、さすがに年季が入った遺構となっています。
磁器や陶器類も奇跡的な状態で残っていました。
2013/6/28(金) 午後 8:29 [ 童夢 ]
マリウスさま

いにしへの奈良の都の八重桜・・・・ そのような時代の遺構と出土品。
ウィキにもあるように、その状態は軌跡の世に良好なものも。
割れたものも歴史の一コマですね。
大陸と繋がる浪漫、歴史の醍醐味という感じもしました〜
2013/6/28(金) 午後 8:31 [ 童夢 ]
食器が、あまりにピカピカで驚きました
どんな方が料理し、どの様な料理が盛られ、どの様な日に、どんな方が食べて…
想像が膨らみます
2013/7/7(日) 午前 5:13
soramiさま

ありがとうございます。釉薬なども良いものなのでしょうね。この器に盛られていた当時のおもてなし。
想像が膨らみます〜
2013/7/14(日) 午前 9:22 [ 童夢 ]
内緒さま

ありがとうございます。ちょっと久しぶりにパソコン開きました。
新記事、しばし考えてアップします。
2013/7/14(日) 午前 9:22 [ 童夢 ]