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わたしが住んでいるところ、そして勤めているところは「文教地区」ともいわれているところ。 大橋と西新には、多々の学校があり、日頃の通勤などで学生の話しぶりなどを聞き、やはり若いなと思う時は多々。 止めどもない話や嬌声などに、過ぎ去った日の自分を感じることも。 去ること35年ほど前にそんな気質を持った会社。それはよく語られていますが、旧VAN JACKET INC.。トレーナーやスウィングトップなどの命名でも知られていますが、数々のキャンペーンなどでも現されているのは、よく言われる遊びこごろ。 画像は1970年代の「VAN MINI」の切り取り式のステッカー。その中央にあるのは「WESTERN753」。 それはアメリカの方行く時代を彷彿とさせる「ウエスタン」という言葉と、日本の暖冬行事である「七五三」を掛け合わせたもの。 そんなちょっとした遊び心は、商社が経営に加わってからちょっと違ったといわれる時代にも健在。 1960年代と1970年代、旧VAN JACKET INC.の輝きの違いはよく言われるようですが、学生気質といったものは70年代にも引き継がれているようです。 今日通ったのはかつての学舎で、祈りを捧げたところ。フェニックスの刺々しさ、そしてなだらかな上り坂は高校時代に日々通ったところ。 中学時代の入り口は天神側にあり、ちょっと高校生になった気分を感じた校門正面の伝統ある建物。 歌のとおりに蔦の絡まるチャペル。その時代は数十年を経ていますが、つい先日のようにも思える建造物と光景とが残されていました。 |
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それは元々、呪術的なものから発展したものなのか。梅雨となりながら夏を感じさせる気温で、「清涼」という言葉が似合う季節。 夏の風物詩の一つに「風鈴」があります。その素材は金属やガラスなど。路地の風に吹かれる数々の風鈴が置いてある店を見た記憶も奥底にあります。 クーラーがなかったこどもの頃。その風の音でちょっと涼しさを感じたり、うちわで扇いでちょっと涼しさを得たりしたもの。 縁側の軒下を飾っていたのは、箱崎に住んでいた頃。その夏の記憶は凸凹ながら幾つかの記憶が。 電気冷蔵庫がなかった頃、氷を買ってスイカを冷やしたり、削って口の中に頬張ったり。扇風機の風を姉と争ったり。 縁台に座って冷やしたスイカの種飛ばしをしたり、蚊帳を吊ってそのなかで従兄弟達と暴れたりしたりと記憶は切れ切れに。 その頃に縁側に吊して、吹いてくる風を音に現し、清涼を感じたものが「風鈴」。それはわたしの家では、縁側や縁台と共に消えていったもの。 画像はトラッドメーカーVAN JACKET INC.のノベルティの風鈴。トラッドメーカーでVAN JACKET INC.以外につくっているところはないかもしれません。 画像の中にあるうちわは、いまでも夏祭りの風物詩の一つ。風鈴は少なくなっていく風物詩の一つか。その音色に含まれる清涼さと、身近から遠くなっていく音色。 夏も近いうたた寝、その際に風鈴の音を聞くと、路地端にあった風鈴屋さんの数々の音色。そして、遠い夏の日の隠れていた記憶が夢の中にうかんでくるかもしれません。 |
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天鵞絨(てんがじゅう)とはびろうどの別名。ポルトガル語のベルペットを中国で当て字したものだそうです。その時代は中世頃なのか。 ということで、びろうどはベルペットの別名。というと何だかややこしくなってきました。 記事の中身は額装のこと。過日からいくつかのポスターなどを額装したものを記事にアップしていますが、額装する店を変えました。 この頃お願いしているのは、福岡・天神の新天町にある店。明治通り側の「かねしょう」という額縁の専門店。この店はまさに専門店で、額縁の数々と額装した絵画が販売されています。 店の中を色々と見ていると叙勲の額も。向かって右側に賞状、左側に勲章を入れる専門の額もあり、その加工も受けているようです。 先週額装を御願いしたのは、「Boat House」のペーパーウェイト。数百グラムある変形したもので、まっすぐ立たずに箱のなかに仕舞っていたもの。 その額装は変形もので重量もあることから如何にかと思いきや、提案されること幾種か。さすがに額装の専門店。 結局は、マット紙をベルベット調のものにしてダブルマット加工。その上側のマットには金色の窓枠を付けてちょっと真鍮の色合いを合わせるというもの。 変形したペーパーウェイトは、マット紙にトレースをして切り抜き、その切り抜いた部分のマット紙でも重みを支えるというもの。 こう書いていくとちょっと意味不明ですが、出来上がりは次の画像のとおり。 真鍮の輝きを増すような、黒のビロード調のマット紙。そしてその中に浮かぶ、金の縁取りと金色のペーパーウェイト。 その出来映えはさすがに専門店というところ。その技術と技法、そして店員の方の物腰柔らかさには、「天鵞絨」という言葉のような高級感と気品をも感じたものでした。 |
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近頃、ちょっと時間があるのでいえの片付けを。 わたしの部屋の片隅の一コーナーです。ものものは1960年代後半から、現在までのグッズやディスプレイ用品。 位置を変えて幾つかを出したり直したり、すべてビニール包装などをし直しました。不均衡のようで、一応均衡を保っています。 そりぞれの背景には、ストーリーが幾つか。 ちょっとイージーな記事ですが・・・・ 片付け記念のために記録のアップ。いずれ埃まみれになる日が来ます。 笑 「富士には月見草」ですが、VANにはペコポコがちょっとに合いそうな気がしています。 右上のペコに囲まれたパステルカラーの額。三丁目の夕日のペコ、それに合わせて額を選びました。 博物館というほど、特にペコ・ペコの種類はないです。 笑 |
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それは1999年。世紀末の年の前年。 ちょっと規模が小さなエクシビションの記念品。いまでもこのような記念品を作っているのか。 それは磁器のセット。1978年に倒産し、その後に再建したVAN JACKET INC.。当時のブランドの各ロゴがプリントされたもの。 1970年代末期に多々開いたブランド、そのうち商標が他へと亘ったのは既になく、この時期にプリントされたブランドも残るは二つ。 十五年足らずの磁器に、変わってくものごとのひとつの形態がここにも見えるよう。 白い磁器の用途は湯飲みかどうか。それに注ぐのに似合うのは、白い背景に薄く拡がる緑色の緑茶か。 その頃、父方の叔父叔母はすでに鬼籍へ。当時、母方の叔父叔母はまだまだ元気。 母が、叔父叔母とかんぽの宿などに季節毎に近郊旅行に行っていた写真、イージーアルバムが多々あります。 そこのなかに詰まっているのは、小旅行と行ってもお金を大切にしていた、父と叔父叔母の小さな家族と親類のなかだけの小さなエクシビションの軌跡。 その楽しさが詰まっているよう。それは苦しい時代、その労苦を共有した故の絆の強さか。 母の兄弟は姉妹ばかりで、末娘が入り婿。黒木町から八女に来て、その縁で時折送ってもらっていた黒木産の八女茶。 その包装はシンプルで、自家製用として栽培していた無農薬のもの。 そのお茶を点て写真を眺める時間帯。 母と叔父叔母の楽しさのフレーバー、その間に過ぎてきた日々の一部が蘇ってくるかもしれません。 |

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