「戦場に輝くベガ」

プラネタリウム番組「戦場に輝くベガ」の上映情報や感想を紹介するページです。

全体表示

[ リスト ]

みなさま
シゲモリです。

以下、戯れ言です…。が、大事なことも言葉の裏腹にあるかとも思われ書きました。
10月31日から11月3日のサイエンス・アゴラの宣伝でもあったりします。

:::::::
「星の街」について

“いちばんホッとしたのは、夜の街に光が灯されたのを見た時。もう暗闇の中に居る必要がないことを安堵として感じたのが、「戦争が終わった」という私の素直な“実感”でした。”

…戦争が終わったと感じた時の気持ちを、経験者の方々にお聞きする時に、異口同音に聞こえてくるのがこんな言葉。


第二次世界大戦を遡る少し前、航空機に、まだ自動操縦など無い時代に、砂漠の夜空を飛ぶ飛行機の操縦士が、こんなことを言っています。

「夜があまりに美しいとき、人は我を忘れ、操縦するのをやめてしまう。
飛行機の機体は少しずつ、左に傾いていき、右の翼の下に街灯りが見えたときも、なお水平だと信じている。
砂漠に街などあるはずがない。
ならば、あれは海のいさり火か、いや、サハラにいさり火のあろうはずがない。
では、あれは・・・?
そのとき、人は自分の思い違いに気づいて、苦笑する。そして、ゆっくりと機体を立て直す。すると、街灯りはあるべき位置に戻る。
誤って落とした星座を、もとのフレームにかけなおす。
あれが街灯りだって? そう、星の街だ。
飛行機から見下ろせば、凍りついたような砂漠と動きのない砂の波が続くだけ。そして、空にはちゃんと星座がかかっている・・・」(サン テグジュペリのことば…『人間の土地』砂漠で…より)

イメージ 1

(サン テグジュペリ 模写:kyoさん)

「星の街」。砂漠の夜空に映える光の、街のごとくきらめく姿を描いた言葉。

私には、砂漠で…サハラで星空を見上げた記憶があります。
チュニジアの南部のサハラのなかで。
地上は、砂漠に設えられたキャンプ場で、赤々とキャンプファイアーの灯火があがっていました。
砂漠のオアシスに設置された人工の地。観光客向けのキャンプ場。
隣にはフランス人、スペイン人が集い、私には理解できない言葉が行き交うなかで見上げた星空は、あまりに現実離れをしていたので、私には、記憶に薄い情景の様です。
いま、思い出せと言われるとはっきりと描写できないものなのです。

なぜでしょう?
なぜ?…きっと、美しい星だったのだろうに。。。。

おそらくは、私の自分史上、最も自然に近い星の光だったのだと思います。でも記憶に薄い。私がサン  テグジュペリの様に文才が無いから…とは、いえると思います。

しかし、上に書いた「星の街」や「光」についての描写を良く良く吟味してみて気づいたことがあります。

最初の多くの戦中体験者に共通する感慨は、戦争が終わり、街に灯りを取り戻した時の何とも言いがたい安堵感でしょう。

それは安直な「平和」とか「反戦」とかいうコトとは全く別の、経験した者の、心の底からの感慨だったのだろうと想像します。

砂漠の夜を飛ぶ郵便配達機上の作家が見た星空。
道標も無く、上下左右の感覚を失う機上の不安。
イメージ 2

「光」に「街」を思い、それが勘違いだったとしても、不安な心持ちの中、飛ぶ身に訪れる「星の街」への気づきと方向感覚を得た安堵感。

私も子どもの頃読み、何とも言えない気持ちになった『星の王子様』の発想は、テグジュペリの「不安」と「安堵」の交差のなかに「街の灯り」をみた思索の中で、そこに暮らす人びとへの想像のなかで生まれたものだとも聞きます。

イメージ 3


「不安」があり、その後に訪れる「安堵」があった時、人にはある「想い」がうまれ、自分を見直し、立て直す、強い「情動」になり得る…そんな風に思ったりもします。

チュニジアのサハラの真っただ中の私には(いち探訪者ではあれ)、「不安」はありませんでした。すべて予定の行動であった(出張だから)のです。
そういった気持ちのままに見上げた星空は、私の心に何も語りかけなかったのかもしれません。

「不安」があることを人は誰しも好みません。
たとえば、「戦争」ということがもたらす「不安」も、人は誰しも好みはしないでしょうが、その時々の立場などで、誰もが巻き込まれることです。
この状況は(自分にとって)「○○のため…」といい聞かせ、何も思わずに淡々と過ごしながらも、その状況過ぎ、まったくちがう「光」に気づいた時に、記憶に消えない「安堵」が訪れる…。そんな気持ちの動きだったのかもと思ったりします。

かつての飛行機乗りが、たとえ「航法」を知っていても、それが実際の「街」なのか、本来、頭上に輝く「星の街」なのかに気づいた時の「安堵」。それに勝るものは無いのかもしれません。

「不安」と、その後に、訪れる「安堵」……。

さらに、突っ込んで考えると、夜の海、夜の空に見渡す限りの星空だからこそ、人は自分の位置に星を重ねて来たとも言えるのかもしれません。

遠く、ポリネシアの人びとは、自分の島の守り星を決めて、それを目指して航海をしたと言います。そして、いわゆる西洋の科学の生んだ「天文航法」…星を目当てに、自分の位置を知る方法…は、古くから人類の「不安」と「安堵」のなかで形づくられたのだろうとも想像します。

そして、それは、占星術的な暦のあり方というメンタルな「不安」から「安堵」へという道筋の伝統的な時間から、実体験としての自らの「位置を探索」し、よりフィジカル(?)な「不安」から「安堵」へと自らを自らの居るべき場所へと誘う手法や技術としての「天文航法」を生み出していったのだとも言えないだろうか?と思うのです。

「不安」に思うから「安堵」への道筋を探る。
いつの時代もそのことに取り組む「ヒト」の営為が「科学」の一つの道を創ってきました。いえ…「創り続けている」としたら…その合間にある「社会」がどんな「不安」を抱えていたのか?…「社会」のみならず「人びと」がどんな「不安」を抱え、そのなかで、ある「安堵」を得ていたのか?ということを、時間のベクトルを少し戻して、過去からの視野で、未来である「これから」自分たちがどうするのか?どうあるべきなのか?を「重ねて」考えることが実は大事ではないか?と思っています。

「個人的なことがら」と「社会的なことがら」の「差分」と「重なり」を視野に置いた時に、過去から現代と未来が見えることもあるでしょう。

さて、冒頭で述べた様に、10月31日から11月3日まで、ベガ委員会は、サイエンス・アゴラに展示ブースを出し、11月1日には、過去から未来を見据えようという趣旨で天文航法を題材としたワークショップを開催します(詳細は前の記事で)。
もし、こんなことに関心のある方は、会場でお会いできればと思います。

長い文章を読んで下さって、ありがとうございます。


※「天測体験」のアクティビティもありますよ〜!
※サン テグジュペリの経験は、山梨大学の高橋智子先生(科学技術論)からサジェッションをいただきました。サイエンス・アゴラでは、高橋智子先生とも協力して現在いろいろまとめています!

閉じる コメント(1)

顔アイコン

>飛行機の機体は少しずつ、左に傾いていき、右の翼の下に街灯りが見えたときも、なお水平だと信じている。

私も経験があります。夜間飛行や雲中飛行、雲上飛行を経験した人は皆あるかもしれません。これが酷くなると空間識失調、SPATIAL DISORIENTATIONいわゆるバーティゴとなります。人間の感覚などよいうものは如何に不正確かということが分かります。夜間や低視程状態ではとにかく計器だけを信頼しろと教わりました。

漁村のぽつぽつとまばらに光る灯火が星に見えることもあります。

2013/4/14(日) 午後 0:08 [ RED BARON ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事