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私の故郷は新潟県の西蒲原群のとある小さい町です。そこで私は小学6年生まで住んでいたので当時のことを、定年を機会に記憶を反芻してみようと思いました。
私は1948年、昭和23年生まれ、今でいえば団塊の世代ということですが、その当時はちっとも気がつきませんでした。ただし、小学校〜中学校歌とクラスが8クラス程度あったと記憶しています。それも、席はすし詰め状態で、一クラスで50人程度ですから、一学年で400人なんていう学校が殆どだったのでしょう。今でいえば、中学校では全体数に値するほどマンモスでした。
いわば私は戦後っ子と言われた世代です。田舎だったのか、私の母親が片親のせいか、勉強しろという話は殆どなく朝から晩まで、近所の兄ちゃん友達と遊びっぱなしでした。
その当時の遊びを思い出すと、「ちゃんばら」「べーごま」「野球」「ぱっちゃん」「魚釣り」「海水浴」「」山登りと本当に自然の中で戯れると感じ、今の子のようにゲーム機はなかったが今でいえばアウトドアーで自然の匂い、風を感じながら過ごす贅沢な時だったことを思いだします。特に小さな小川を塞き止め水を抜いたときに八つ目ウナギ、フナ、ナマズ、ライギョ等を取った日の興奮が甦ります。
そして、夜はぐったりですが、ほとんどの家は内風呂がない時代、お風呂にみんなで行き、又、そこでゆっくりと風呂に入り遊ぶというなんとも遊びだらけで、親の苦労がなにも知らない時を過ごしました。これは今思うと、私は利口でなく親の苦労を感じる感性をもっていなく、同じ年代の子供はもっていたのではないかと感じることもあり、鈍だったのでないかと反省しきりです。
それにしても当時は何を食べて過ごしてか分からないほど、貧困であり貧しかったのではないかと思いますが、病気にもならず感謝しています。この時に御馳走と思ったものをいくつかあげるといかに、時代は食糧難だったか推測できます。
卵なんかは日常では食することはできず、運動会の朝、近所で鶏を飼っている家に行き、2個とか3個分けてもらう、そして生で飲んで一等賞になれと祖母ちゃんから励まされたことを覚えています、今なら、生玉子を飲むと行ったら危険だよという感じですね。それほど、卵は貴重品でした。
また、お祭りになると、どういうわけかイカのリング揚げやカレーライスが出てきました、いつもカレーライスは肉が入っていなのですが、この日だけは小さいお肉が入っていて本当に嬉しく思いました。
また、当然ですが、外食なんて日常はなく全くの非日常です、一度、新潟の万代橋付近でやる花火大会に連れていかれ、帰りに生まれて初めて花火と五目ラーメンを食べ、こんなに楽しく、美味しいものかと興奮したことを覚えています。
この時のことを考えと、日本は高度成長を遂げ、本当に物質的には豊かになったと思いますが、精神的には退歩しているのではないかと危惧されます。
私も還暦間近ですので、自分史の整理と現代の問題点を少し考えてみたいと思います。
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