|
県内の農場を巡回しました。
鹿の森牧場の場長のアパートも海辺です。
そして1000人のご遺体があがったと報道された、震源にもっとも近い被災の中心地です。
こことはあらゆる連絡が途絶えたままになっています。
20リットルのガソリン携行缶と心ばかりの食糧を救援物資として届けるつもりでした。
道路状況も考慮して寝袋も積み込み、気を張って向かおうとしていました。
その場長から巡回途中、私のケータイに着信がありました。偶然です。
被災してから二週間ぶりに見る着信履歴に私はうれしくなりました。
聞けば4号線近くの県中央部まで燃料確保をかねて買出しに来ているとのことでした。
「ローソクも沢山ほしいんです」
「電気がまったくないので夜はローソクで生活している。
一晩中灯していたい。
太いのが欲しいです」
私は道の途中で葬儀屋に立ち寄り、ローソクを入手しました。
葬儀屋の主人は「東北中の火葬場が24時間フル稼働で燃えている。山形や他の土地にもご遺体を運んで焼いている」と言ってました。
待ち合わせをしたスーパーマーケットで無事に場長と再会を果たしました。
持っていた物資を渡しながら、話を聞きました。
「地震が来てから、みんな高台に逃げました。
津波がくるのはわかってました。
でも食料を確保しなくちゃならないと思い直して、海辺に戻ろうとしてたんです。
途中で避難していたおばちゃんに声をかけられ、やれアンタんトコの豚は大丈夫だったのか、とか立ち話をしていたところで波が防波堤を超えて迫ってきたんです。
あわてて高台に引き返しました。あの立ち話がなかったら、僕は死んでました。
僕はもう少し海側に歩いていたはずです。生死を分けた1分だったんです。」
と場長は話しを続けました。
「先生と一緒に昼飯を食ったことのあるアパートはもうありません。
ぐちゃぐちゃです。
想像付かないでしょう?
買ったばかりのノートパソコンですか?
それどころじゃないです。
切るものは今着ているこの一着だけですよ。
やっと今日買い物できたんでほっとしてるんですよ。」
見れば、場長は作業用のオンボロヤッケに泥だらけの長靴姿です。
顔色もすこし血の気がなく白くなっていました。
一生懸命、生きてきたのです。
一緒に来ていた年配の従業員も話を切り出しました。
「近所の魚屋も水槽のエアが全部イカれちゃったもんだから、アワビなんか貰っちゃってね。
湯通しした大ぶりのアワビを両手に持っておにぎり食いしましたよ。
あんなこと生まれてはじめてですよ。
それでもアワビが余っちゃってるんです。
大量に。
すごい量ですよ。
先生。
豚に食わせましたよ。
豚がアワビ食ってるんですよ。
驚いちゃいますよね。
テレビが取材に来てて、何を食べてすごされましたか、なんて聞くんです。
アワビ食ってたなんてとても言えませんでしたよ。
あはは。」
と彼はにこやかに話を続けます。
「うちの家内もね、肉屋でバイトしているときに波がきちゃったもんだから、外の看板に必死に波に負けないようにしがみついてたんだって。
知り合いの消防団が巡回してたところに助けられて、運がいいですよね。
危なかったよなぁ。」
「先生、地元のみんなは誰かかれかは亡くなってますよ。当たり前ですよ。」
と場長がいいます。
「当たり前すぎて、みんな普通にほがらかに会話してますよ。
お互いに大切な人を失ってるの、知ってますもん。」
「避難所もすごいよ、先生。
替えたオムツなんか一応ポリバケツに入れてるけどさ、それだってにおうよ。
豚のは慣れてるけど、人間のはまだ慣れないなぁ。
避難所も大変だよ。
食い物はたっぷり来たよ。
うん。
人間が残したものを残飯としていただいて豚にも食わせてるよ。
無いのは電気と燃料だよ。
でもまぁ、何とか元気にしてるよ。先生も元気で。」
そう言って、彼らはまた前線へと向かっていきました。
|