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県内の農場を巡回しました。 |
6. 狩猟日記
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やさしい獣医さん、ついに動物に手をかける!?
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あの、恐ろしい波の中にみずから飛び込んでいったつわものがいました。
なぜ、そんなことを彼はしてしまったのか。 真実を知ったとき、僕なら出来たか。 自問自答してしまう。 |
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宮城に入って、実際にだるま薬局やスーパーに人が行列しているのを目の当たりにした。
情報として聞いてはいたが、こんな山沿いの田舎でさえ物資不足なので、正直ショックだった。 駅の駐車場まで車を取りに行ったが、途中のガソリンスタンドは軒並み閉店。 それどころか、閉店の看板を出しているのにもかかわらず順番待ちの車の列が出来ていて、あてもなくみんな待っている。 ほんの30分前は行列していたスーパーも、帰りがけには閉店していた。 物資不足は深刻を極めている。 それでも、電力もガスも水道も電話も回復しているのだから、私は幸せだと思わずにはいられない。 海沿いの鹿の森牧場が気になる。 ニュースでは、その浜に1000人のご遺体が上がったと言っている。 あのやさしいまなざしの農場長は元気なのか。 ケータイに電話をかけてみる。 繋がらない。 電源が入ってないのだと自動音声は繰り返している。 関連農場に電話をしてみる。 「先生!あの農場は従業員全員生きてるよ!ブルドーザーやらトラックやら、モノをどかすのに大活躍しているってよ。豚も捌いてみんなに分けてやれってオラ言ってやったんだ。」 そんな元気のいい返事が返ってきた。 うれしさで、へたり込みそうになった。 |
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長距離バスをゲットできず、JTBのカウンターに陣取ってようやく空の便を押さえた。
帰宅難民も少し長すぎた。 往診専門医は、ガソリンもなくて仕事にならないだろう。 それでも帰るころあいだ。 夜明け前に東京を出発し、予定通り朝7時すぎに一路秋田へ向けて飛行機が飛び立った。 離陸してすぐ窓際の座席から朝日を受けた富士山がほんのりと赤づき、冠雪した頂上が桃色に輝くのが見えた。 建設中の新タワー、寂しく色あせたディズニーワールドを下に見ながら飛行機は上昇していった。 本当なら心を弾ませて見る景色なのに「この高度なら福島原発から遮蔽物もなしだな」などと頭によぎってしまう。 座席は全員分埋まり、事実上満席の機内。 見渡すと、通路際の女性は被災地入りの旅程がプリントされた資料を眺めている。 後ろのほうには紺色の柄で統一されたウインドブレーカーに身を包んだ男性の一団が陣取っている。 憔悴しきったような老齢の夫婦。 そこは通勤で見かけるような無表情の人並みではなく、もっと思いつめたような顔立ちが機内にあふれてた。 全員が関係者なのだ。 秋田能代空港に到着すると、妻の両親が迎えにきてくれていた。 鷹巣という近くの街でスーパーに立ち寄り、食材を調達する。 仙台に暮らす私の弟から「コンビニですら長蛇の列だ」と、にわかには信じ難い情報を事前に聞かされていたが、自分の実家はそれほどでないだろうと思いつつも、念のため多めに買い物をした。 秋田のスーパーマーケットは並ぶこともなく、乳製品や生肉こそないものの豊富な野菜、果物、焼きたてのパンもあるほどなので、手短に玉子や乾燥パスタなどを買い込んで車に詰め込んだ。 今思えばなぜもっと念入りに買わなかったのかと後悔している。 スーパーに併設されたガソリンスタンドではさすがに長い行列ができていた。 しかしあっというまに売り切れで閉店。 目の前でそんな光景に出会ったものだから、これはとんでもないことになったぞと、きつい洗礼を受けた気分になった。 105号線を南下し、一度運よく給油ができた。 どこも閉鎖している中で、ハイオクのみを配給しているスタンドであり、車30台程度の行列へもぐりこんだ。 一台2000円までという制限がかかっていて、あふれるほどではないにしろ、小さいトヨタヴィッツにはかなりいいところまで給油できた。 遅い昼食を妻の実家でいただく。 町の左右を山脈に囲まれた雪深いこの小さい集落は、今でも薪ストーブであり、共同の沢水浄水設備で暮らしているためか、「冬の篭城」には慣れっこといった感じで、数日の停電もなんのそのであったという。 薪ストーブの火が弱くなってくると、妻が慣れた手つきで釜の中に薪を投入しつつ 「薪は三本入ってないと火が喧嘩できないからね」 などと老練なマタギのようなセリフを吐く。 ちょっとうろたえる。 比内地鶏の出汁やらキノコとゴボウのキンピラやらをいただいてると、本気で後ろ髪引かれる自分がいる。 が、急ぎ出立しなければならない。 なんとかして日付がかわらないうちに現地入りしたい。 短い滞在だったが、車を借りて山形、そして宮城へと進めることにする。 まずは角館をめざし、13号線の大曲バイパスへと進んでいく。 ここで車80台の行列と出会い、再度給油をして文字通り満タンになった。 実にラッキーだ。 と、雪がちらつきはじめた。 雪の横手。 情緒感たっぷりの町並みを通り抜け、車は一路湯沢をめざす。 車は13号線を南下し、横手から湯沢へと入ってきた。 もう日が暮れかかっているのか、雪で視界が悪いのか、その両方か。町並みを堪能するにも寒々しい景色ばかりが過ぎ去る。 ガソリンスタンドはここから先はとうとう行列さえも見ることがないままで、軒並み閉店していた。 行き交う人の姿もなく、車の往来も極端に少ない。 道路は次第に白くなっていく。 思えば、除雪車両ともすれ違わない。 前輪駆動の、車高の低いトヨタヴィッツには、降りしきる雪は天敵だ。 道路が凍結し、積雪がタイヤの登坂力を削ぎ、上り坂をあがれなければアウトだ。 これから奥羽山脈越えが待っている。 夜中にこれをやりたくない。 時間が差し迫っていた。 前日に東京から東北の情報を収集していると「宮城に来るなら県内のガソリンは一滴もないから覚悟して。携行缶に入れてでもガソリンは持って入って」となじみの整備工場のおじさんが電話で言っていた。 DIYショップをみつけるとガソリン携行缶を探したが、判で押したように「売り切れ」との返答ばかり。 いつしか立ち寄る気力さえもなくなった。 いよいよ湯沢から横堀バイパスを通り、山形県新庄市へと向かう。 道行く車は自分たちだけ。 道は白く、深い山並みの中を走る。 わだちにタイヤを取られないよう、速度もせいぜい40キロしか出せない。 時折過ぎていく電光掲示板には「112号は登りきれない大型車両により通行禁止」とか「48号はなだれにより通行禁止」など、不吉な情報しかかかれていない。 新庄のすき屋で夕食をとる。豊富なメニューが売りなのに、物資不足で牛丼かカレー単品の2択だった。山形は節電を積極的に実施しており、道路沿いの看板は全て消灯されていた。 車も少なく、本当にうらぶれた街並みであった。 山脈越えは息を殺して進む道行きとなった。 ちょっとした加速もすぐに前輪が空転し、スピードも上げられず、かといってあまりノロノロするとスタックしそうだ。道路わきの積雪の高さは4メートルを超えていた。 あまりに集中したためか、無事宮城県の鳴子に出たときには居眠り運転をしそうになってしまった。 暗い外に出て深呼吸をすると、あたりの静けさに驚いた。あまりにも静寂だ。 自宅につく頃には夜の11時を過ぎていた。 火の消えた、冷え切った我が家の電気を入れる。 テレビ台がせり出し、本棚は散乱していた。 台所では電子レンジ棚がシンク台まで散歩しており、神棚は崩壊していた。 翌朝から片付けで大変そうだ。 かならず復興するぞ!! |
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被災3日目に入りました。
初日の夜は地元スーパーでパンが売り切れ
二日目は米やペットボトルが枯渇しました。
そして今日。
カップめんやインスタントラーメンは在庫切れ。
生鮮食品、野菜も入ってきません。
トイレットペーパーも底を尽きてきました。
懐中電灯も売り切れ。
乾電池も売り切れ。
ガムテープや手袋、ブルーシートはまだあります。
しかしまだ道行く人たちは余裕の表情があります。
すごいなと思ったのが成城石井のスーパーマーケット。
超一流の食材を扱うだけあって、売り切れなし。在庫は豊富です。
高級食材なので値段も高いですが。
ウイリアムソンアンドマゴーのアールグレイが重ねてあったのには驚き。
シングルモルトがキャンベルタウンやハイランドなど地域別に陳列されているのにも驚きでした。
しだいに物資がなくなりつつあります。
物流もそうとう混乱しているのでしょう。
今日も新幹線は動かず。
私の故郷は停電中のままのようです。
残ったシカの肉も冷凍庫の中でだめになっているでしょう。
もちろん、それどころでないのですが。
みなさまの温かいレスにうまくレスできていなくて申し訳ありません。
がんばって帰宅難民を続けます。
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