|
ずっと未読のままだったのですが、読み出したらアッという間。 3日間で、読了。引き込まれました。 史上初めて「安打製造機」と称された、天才打者。 同時に、数々の「奇行」により球界から姿を消した「謎の野球人」としても、知られています。 「超」のつく、極貧の少年時代。 5歳のときに、太平洋戦争が勃発。 集団疎開に出発する日に、33歳の母が病死。 出征した父は、終戦後もシベリアに抑留されたまま戻らない。 祖母&幼い弟との、3人暮らし。 雨漏りを放っておくと、屋根に穴が開いた。 寝室に、雨が降ってくる。 畳には、茸が生えてきた。 家の中で傘を差し、立ったまま朝を迎えることも・・。 絶望的な空腹と、極寒の日々。 喜八少年の「希望」は、職業野球。 友人の姉に連れて行かれた、後楽園球場。 沢村栄治・呉 昌征・苅田久徳・青田昇。 でっかくて美しい、後楽園球場。 「ストライク」も「アウト」も、禁止。敵性語だから。 でも、夢が詰まっていた。光り輝いていた。 「ばあちゃんを楽にしてやりたい。絶対に野球選手になる」。 高校の先輩、荒川博に土下座する。 無理矢理に組まれた、入団テスト。 別当薫・西本幸雄が、たったの数打席で「仰天」した。 圧倒的な打撃力。新人王。 「プロの壁」に、ぶち当たる。 「3割を打たなければ給料が上がらない。ばあちゃんを楽にしてやれない」。 合気道。「臍下丹田(せいか たんでん)」。 奇行。 誰とも会話を交わさなくなる。山内一弘以外とは。 なにを言われても構わない。「球道」を極める。 極めた。圧倒的に・・。 「ボールを見送るとき、頭がピクリとも動かない。表情も変わらない。王のほうが、よほど扱いやすかった。 あれほどに恐ろしい打者には、後にも先にもお目にかかったことがない」(野村克也) 「僕が対戦した全ての打者の中で、もっとも強烈な印象が残っているのは榎本さんです」(稲尾和久) 「王と榎本とを比較したら、そりゃあ榎本の方が全然、上だった」(荒川 博) 「38勝4敗」という、無敵の大記録を誇った、南海ホークスの名投手。 4敗のうちの2敗は、オリオンズから喫したもの。 「榎本と対戦しなければならないと思うと、前日から嫌〜な気分になったものでした」。 「前田智徳は、平成の榎本喜八だ」(二宮清純) ”奇行”も含めて・・ですね。 いやでも、たぶん、「ぜんぜん適わない」んだろうなと、思う。 格が違う。”機械”が違う。 東京都中野区・上鷺宮在住。 極貧の時代、近所を走る西武電車に乗ることに、憧れた。 近所に住む”青島幸男君”はボンボンだから、いつもいっぱいベーゴマを持っていた。 初めて本格的に野球をやったのは、中野区・哲学堂公園。 私事ですが、私が初めて少年野球のゲームに出場したのも、哲学堂球場。 いまでも時々、散歩やジョギングの際に、草野球見物をしています。 「近くを流れる川(妙正寺川)にボールが飛び込むと、拾いに行かされた」。 私も、やりました。やらされました。 いまはじめて、「誇り」に思います。 弘田澄男・西村徳文・大村三郎。 「オリオンズ・職人魂の系譜」は、受け継がれている。 根元俊一にも、継いでほしい。 いやその前に、知ってほしい。 「偉大なる先達の存在」を。「軌跡」を・・。 プロ野球は、素晴らしい。
「過去との交信」だけでも、じゅうぶんに幸福な気分になれます。 |
プロ野球の本
[ リスト ]





>ファイティ様
全然、羨ましくなんかないデス!!(笑)。空気悪い・住民税高い・駐車場は30分400円・・(怒)。
ただ、「プロ野球に関しては」、なにかと縁が多いんですね・・。sそれだけはちょっとだけ、嬉しいです。
2009/1/12(月) 午前 0:23
>安曇野仰木様
身に余るお言葉、ありがとうございます。光栄です・・。
「杉浦VS榎本」なんて、想像するだけで身震いがいたします。
大坂球場では、「エノケン呼ばわり」されていたそうですね(野次・笑)。昭和30年代の野球、本当に体験してみたかったです。
2009/1/12(月) 午前 0:25
>himebowさま
私も当然、実像は存じません・・(笑)。
勉強など、とんでもありません。お付き合い頂き、ありがとうございます。
私も近年はすっかり、「過去との交信」ばっかり・・です。
ドラえもんがほしい。昭和30〜40年代に行きたいです・・。
2009/1/12(月) 午前 0:28
>ゴロー様
歴史的な大打者なのに、あまりにもスッパリと球界から縁を切ってしまったために・・なんですね。
名球会からも、除名されているそうです。「迷宮会」といったところ・・なのでしょうか・・。
2009/1/12(月) 午前 0:31
>mannennetaro2005様
白石勝巳・金山次郎・古葉竹識・大下剛史・山崎隆造・・。
なんとも、「恐れ入りました・・」ですね。<「カープの1」
ぜひとも「欠番・”封印”」をと・・思います。
「相手のウイニングショットを打ち崩さなければ、勝負に勝ったとは言えない」(榎本)
「どうにも調子が上がらない”ので”、甘い球だけを狙った」(前田)
「侍伝説」。やはり「継承された」と言ってよいかも・・ですね。
山本八郎さんの武勇伝も、至る所で拝読して参りました。
「暴れん坊集団」の、いわば象徴的な存在。なによりその「名前」からして、素晴らしく「駒澤」「東映」なんですよね。
「名人」苅田久徳さんも、晩年は寂しい(小さな)アパート暮らしだったのだとか・・。現代の野球人、やはり「もっと本を読むべき」です。
2009/1/12(月) 午前 0:39
>mannennetaro2005様
(連続ですみません)
そういえば、「オリオンズの系譜」には、「慶大の首位打者」も含まれていた・・んですよね。
左打ちの、職人肌。大いに期待していたのですが、遺した記録は「プロ1・2打席連続サヨナラ打」のみ・・。
今思えば、改めて残念やったなあ・・です。
2009/1/12(月) 午前 0:45
現役時代はもちろん知りませんけどその伝説は有名ですよね。引退後もあまり人と交わらないイメージの神秘的な方ですね。
2009/1/12(月) 午前 11:29
>「オリオンズ・職人魂の系譜」
現中日監督のあの方も・・ですね。もっともオリオンズ晩年は「職人肌」が肥大化し過ぎてしまった面がありました。
が、彼はセ・リーグへ行くべきでなかったと今でも思っております。
話それました、すみません。
榎本喜八、山内和弘、葛城隆雄、東京スタジアム・・・
「もう少し早く産まれていれば」と思う事があります(笑)。
2009/1/12(月) 午前 11:33 [ nirogi88 ]
>スリング様
コメント、ありがとうございます。
引退後もそうですが、現役時代も早稲田の先輩&山内さん以外とは、会話すらほとんどなかったんだそうです。
まさに、「孤高の天才」ですね。
2009/1/12(月) 午後 1:55
>nirogi88様
「オリオンズ・職人魂・・」は、榎本さんと同じ「背番号・3」の選手をピック・アップしてみました。思えば、渡辺正人や喜多隆志も・・なんですよね(嘆)。どうせなら、福ちゃんに着けさせたかったです。サブローには、さらに奮起してほしいですね。
そういえば、以前なにかのインタビューで「チームの後輩だから、落合のことはよく聞かれるんだけど、私には答えようがない。彼とは”機械”が違いますから」と、仰っていました・・。
「もう少し早く・・」は、私もいつも思います。
東京スタジアムは、実家から車で30分弱の距離で、小学校に入学した年までは、まだ存在していたんですよ・・(涙)
2009/1/12(月) 午後 2:01
以前、記事の中にもある二宮さんのコメントを耳にした時に、気になって榎本さんの事を調べました。
詳しく調べた訳では無いのですが独特の個性を感じましたね。
現役時代を知る父に聞いてみた時も『 多くの意味で独特の選手だった 』と・・・
僕は個性が強い選手が大好きな口なんで、榎本さんには惹かれますね〜♪
2009/1/12(月) 午後 5:51
>せなぱぱ様
二宮さんがこのコメントをしたのは、「ナンバー」でのインタビューのとき・・でしたね。
まだ弱冠20歳そこそこなのに、驚異的な打撃センスと、一風変わったコメントをするところを指して「榎本再来の予感がする」と、仰ったんです。
この号、広島県ではプレミアになっているようで、市民球場そばの古本屋さんで2千円で販売されていました。私、大事に持っていたのですが、どこかに行ってしまいました・・(嘆)。
(掛布さんとのビッグ対談もあったんですよ・・)
「変人」「奇人」、大歓迎!ですよね。プロはそれくらいでイイ!です。
2009/1/12(月) 午後 8:55
東京スタジアムが取り壊されると決まった時、球場の周りを一人ランニングしている榎本さんの姿があったそうです。子供の頃の記憶では、安打製造機というより[ヒットマシン榎本]という新聞の見出しを覚えています。山内や榎本、そして山内とトレードで 来た小山等の現役姿は辛うじて記憶の片隅にあります。まさに昭和そのものでしたね。
2009/1/13(火) 午前 1:07 [ aout58 ]
>甲府様
「背番号」の系譜の事だったのですね。失礼を致しました。
「喜多」は本当に残念でした。結局貧打のチームカラーに染まってしまった感があって・・
あと私見ですが、この球団「背番号」をあまり大事にしないように思います。。(嘆)
2009/1/13(火) 午前 9:52 [ nirogi88 ]
この方の事は、正直、名前や記録でしか存じていませんでいた。
自分なりに、榎本さんの事を色々と調べてみたんですが
「個性派」が、まだ大手を振って存在することが許された
古きよき時代の名選手だという事が、言えますよね。
前にも似たような事を書きましたが・・
この世界は「イエスマン」以外の野球OBを、大切にしない。
これじゃ、いつまでたっても業界の発展はありません。
榎本さんにしても、ちゃんと「リスペクト」されないと
いけない野球人だと思います。
(そういう意味でも「マ○ダ」とは、違うのかも・・苦笑)
良きものは「継承」していく、という、当たり前の努力を
この球団のみならず、球界全体に望みたいと思います。
2009/1/13(火) 午前 11:12 [ - ]
「臍下丹田に自分のバッティングフォームが映るようになった」。
稲尾との対決に闘志を燃やす中,ついに究極の脱力状態を体験した,,と「マリーンズ球団50年史」(貴殿に頂いた本です^^)に書かれております。
良くバッティングは力を抜け,,などと言いますが,ココまで来ると天才などといった言葉では形容出来ませんね。
現在のタダ来た球を振っておる選手や,ダラダラ練習を繰り返す選手に特に言いたいです。
貴殿が仰るように「偉大なる先達の存在」を。「軌跡」を。と。。
今度↑の本を見付けて,少し差し出がましいですが,佐藤賢治か神戸にあげたいと思います^^。
2009/1/16(金) 午後 3:10 [ shin137n ]
>aout58様
aout様と「三ノ輪探訪」させていただいたとき、少しだけ、両親を「恨み」ました。「もう5年、10年、早く産んでほしかった」・・(苦笑)。aoutさんの「たった一度の東京球場観戦」が、羨ましくて仕方ありませんでした。
山内さん・葛城さん・小山さん・榎本さん。
「辛うじて」でもご記憶がおありなのもまた、羨ましすぎます。
榎本さん、実は「今でも」鷺宮から三ノ輪まで「時々走っている」(!)そうですよ。
2009/1/19(月) 午後 11:24
>nirogi88様
とんでもありません! ご丁寧に、ありがとうございます。。
喜多については、もうあまり語りたくは・・ありませんね(涙)。。
「今江も獲れた! 喜多も獲れた!!」と歓喜したドラフトが、今となっては哀しすぎます・・。
小野晋吾が「背番号29」を着用することが決まったとき、それを残念に思う・・と某掲示板(辛口ではありません)に書いたら、女性ファン数人に「小野さんが嫌いなんですか??怒」と、書かれました。
なんとも寂しい・哀しい思い出・・です(涙)
2009/1/19(月) 午後 11:31
>ハム太郎様
同じ時代、張本勲さんは「ピッチャーゴロだと一塁に走らず、サッサとベンチに退いた」のだそうです。
そのさらに昔だと、「気分が乗らないと、飛んできた打球を追わずに仁王立ちしていた」(景浦将)なんていう、話も・・(笑)。
そこまではさすがに大袈裟だとしても、「大らかな古きよき時代」・・ですよね。
昭和30年・40年代は、選手の自主トレやキャンプなどはほとんどメディアで報じられることもなく、長嶋さんですら「自主トレと言って山に籠り、ずっと本ばかり読んでいた」とも・・。
西鉄の「朝までドンちゃん騒ぎ」もそうですが、そういったことをいちいち「くだらない」マスコミが穿り返すようになってから、野球から「本当のダイナミズム&個性」が失われた・・と言えるのかも、しれません。
榎本さんは、ある意味「幸福」だったのかも・・ですね。
2009/1/19(月) 午後 11:41
>shin137n様
正直、いきなり「臍下丹田」などと言われても、何が何やらサッパリ・・ですよね(笑)。
私もずっと「??」のままだったのですが、この本では「貴方もやってみましょう」とばかりに、簡単な説明がなされています。試しにやってみましたが、やはり全然ダメでした・・。
読んで字の如く、「臍(ヘソ)の下に全ての力を集中させると、肩から無駄な力が抜けて・・」なんですね。「達人」、恐るべし!です。
ジャイアンツのウ●ミは、なんと「金田正一」という名前すら、知らなかったそう・・です。
PL学園野球部は、高校在学中、TVを一切見せない・・とも、聞きました。これでは、「先達の偉大な・・」などと言っても・・ですよね。
衣笠祥雄さんも、「最近の子は球団の歴史を知らなすぎる」と、嘆かれておりました。
まずは、「マリーンズミュージアム見学」から・・ですね。。
2009/1/19(月) 午後 11:51