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私にとっての「成人の日」は、1992年(平成4)でした。 東京・新宿の文化センター。 三枝成彰さんのコンサートだかがあった記憶はあるのですが、イベントはほとんど無視(笑)。 ロビーでの「同窓会」で盛り上がっておりました。 6〜7人が集まって、居酒屋ハシゴ&カラオケ大会。 歌舞伎町で、西武電車の初電が出るまで大騒ぎしてました。 最後の締めに、織田裕二の「歌えなかったラヴソング」を大合唱・・(苦笑)。 「成人式」自体は1992年ですが、「20歳」になったのは、1991(平成3)年。 「なにがあった年なのか」を、ウィキぺディアで拾ってみました。 ●東京23区の電話番号が10桁に(03の後に3が付いた)。 (慣れるまでが大変でした) ●湾岸戦争、多国籍軍がイラク空爆開始 ●東京都庁が丸の内三丁目から新宿副都心に移転 (「税金返せ!コール」しました) ●牛肉とオレンジの輸入(自由化)が開始 ●信楽高原鐵道信楽線で同社の普通列車とJR西日本の臨時快速列車が列車衝突事故、42人死亡 ●横綱・千代の富士が現役引退 (「体力の限界!」。印象的な引退会見) ●NHKの看板キャスター松平定知アナが泥酔してタクシー運転手を足蹴にする事件を起こす (週刊誌で叩かれまくってましたね) ●ジュリアナ東京オープン (バブルの産物。象徴) ●東北新幹線上野駅-東京駅間開業 (上野が「心の駅」ではなくなった) ●海部俊樹首相、退陣表明→ 宮澤喜一内閣発足 ●ソビエト連邦崩壊。ゴルバチョフ大統領辞任 ●大相撲(幕内最高優勝) 初場所 霧島一博 春場所 北勝海信芳 夏場所 旭富士正也 名古屋 琴富士孝也 秋場所 琴錦功宗 九場所 小錦八十吉 戦国乱世。群雄割拠。 小兵力士の健闘が目立ちますね。 「角界のアランドロン」。懐かしいです。 1991年の流行 宮沢りえ「Santa-Fe」 流行語 新語・流行語大賞 年間大賞 - 「…じゃあ〜りませんか」(チャーリー浜) 新語部門 - 金賞:火砕流、銀賞:ひとめぼれ、銅賞:八月革命 流行語部門 - 金賞:若貴、銀賞:「重大な決意」、銅賞:損失補填 大衆部門 - 金賞:「僕は死にましぇ〜ん」(武田鉄矢)、銀賞:「ダダーン ボヨヨン ボヨヨン」、銅 賞:「ダンス甲子園」(日テレ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』) 表現部門 - 金賞:川崎劇場、銀賞:「地球にやさしい」、銅賞:紺ブレ 特別部門 - 特別賞:チャネリング(大川隆法)、連鎖語賞:「雅美さん 雅子さん たぬき顔」 「サンタフェ」は、学校内でも「回し見」したりしていましたが(笑)、私は「なんだ、この程度か」でした。 やっぱり、なんといっても「川崎劇場」だよなあ・・・(涙) ●プロ野球 セ・リーグ優勝 広島東洋カープ パ・リーグ優勝 西武ライオンズ 日本シリーズ優勝 西武ライオンズ(4勝3敗) 高校野球 第63回選抜高等学校野球大会優勝 広陵高校(広島県) 第73回全国高等学校野球選手権大会優勝 大阪桐蔭高等学校(初出場初優勝)(大阪府) ●ロッテオリオンズ、本拠地の千葉移転発表。シーズン終了後、「千葉ロッテマリーンズ」に球団名改称 「さようなら・オリオンズ」。 突然の土砂降りで、「最終戦」はコールド・ゲームに。 最後の最後まで、「川崎らしい幕引き」でした。 「ロッテのファンは、もう辞めや。川崎でもオリオンズでもないロッテなんか・・」と、悔し泣き・・。 92年以降、1度もリーグ優勝がないのは、12球団で広島カープだけになりました。 ●ベストセラー 陳舜臣 『諸葛孔明』 さくらももこ 『もものかんづめ』 ビートたけし 『だから私は嫌われる』 シドニィ・シェルダン『血族』 山崎豊子『大地の子』 竹下龍之介 『天才えりちゃん 金魚を食べた』 さくらももこさんの著書は、何冊か友人に借りて読みました。 ●1991年の音楽 ・小田和正「ラブストーリーは突然に」 ・CHAGE and ASKA「SAY YES」 ・KAN「愛は勝つ」 ・槇原敬之「どんなときも。」 ・B'z「LADY NAVIGATION」 ・中山美穂「Rosa」「遠い街のどこかで…」 ・今井美樹「PIECE OF MY WISH」 ・長渕剛「しゃぼん玉」 ・嘉門達夫「替え唄メドレー」シリーズ ・バブルガム・ブラザーズ「WON'T BE LONG」 ・JAYWALK「何も言えなくて…夏」 ・「Can't Stop!! -LOVING-」でSMAPがデビュー。 ・「Good-bye My Loneliness」でZARDがデビュー。 ・ASKA「はじまりはいつも雨」 ・X「Silent Jealousy」 ・とんねるず「情けねぇ」 ・大事MANブラザーズバンド「それが大事」 ・プリンセス・プリンセス「SEVEN YEARS AFTER」 ・ニルヴァーナ「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」 ・PERSONZ「True Love-涙にぬれて-」 私の学校(専門校)では、「遅刻をした場合、一人で”それが大事”を歌う」という恐ろしいペナルティーがありました。 2回、歌わされた・・(苦)。 皆さんの「20歳の年」は、どんな1年だったでしょうか。
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Σ(・ω・`ノ)ノ 松平氏のキックはこんなに歴史があったのですね…
(o^v^o) 織田さんの”歌えなかったラヴ・ソング”名曲ですね♪
ヽ( ^∀^)ノ 90'sのラヴ・゙ソングを贈ろう〜♪ ヽ(´(・)` )ノ 消えちまったあの涙に 俺の中でそっと、そっと〜♪
2009/1/14(水) 午前 0:03 [ art*0*02 ]
私の二十歳は1997年でしたね。この年は大手証券会社の倒産が相次ぎました。その中でも山一證券の野沢正平さんは「社員は悪くないんです!彼らは優秀です!私が全て悪いんです!」と涙ながらに謝り、社員全員の再就職先の面倒や履歴書の書き方のアドバイスまで一生懸命になってくれました。私は野沢さんを見て「トップはこうでないといけないんだ・・」と共感しました。
カラオケはビジュアル系の全盛期で友達とGLAYとか歌ってました。まさにビジュアル系はR−30世代の歌ですね。
ここ数年の成人式はマスコミが一部の荒れる成人を大げさに取り上げて「これが今の若者だ!」みたいに煽ってますが自己中心な大人がいるからこそこう言うことは起こるんですね。企業の不祥事・打算的な役人が多い中、旧成人も「大人とは何か?」考えたほうが良いですね。長々と失礼いたしました・・。
2009/1/14(水) 午後 5:51 [ N.A ]
「成人式」には出席しませんでした。。昔からこういった類の「式典」が苦手で・・。
20歳は1984年に迎えましたが、「さあ今から大人だ」などといった実感など全く無くだらけた学生生活を送っておりました。
「稲尾オリオンズ」1年目、野球ばかり観て(聴いて)いた記憶があります。
2009/1/15(木) 午後 6:20 [ nirogi88 ]
貴殿とは3つ違いですからワタシの二十歳の時は平成元年になるんですね。
高校生の時から酒も競馬もやってましたし(呆)野球も忙しかったですので,もうそのまま二十歳になっちゃった・・みたいな感じでした。
成人式など初めから出るつもりもなく,其の時に何をしておったかはまったく記憶が有りません。
一応,当時は霞ヶ関で役人をしておりましたが,覚えた中で一番有意義な事はと言えば,有楽町のガード下での呑み方を少々覚えた事でしょうか^^。
2009/1/16(金) 午後 3:31 [ shin137n ]
1992年(平成4)って上の流行の図で振返ると華やかなイメージがあります。
カープの優勝はあの年以来・・・・(嘆)
いつか甲府さんと飲みにいって”路上で”『 歌えなかった・・・ 』をデュエットしたいです♪(笑)
2009/1/18(日) 午後 3:09
>ヨーロ様
宮沢りえの「新聞広告」、懐かしいですね。
実物を見たときよりも、むしろあの「一面広告」のほうがインパクトがありました(笑)。
図書室から・・とは、大胆ですね(笑)。ある意味、「いい時代」だったとも言えるのかも・・です。
2009/1/19(月) 午後 11:57
>mannennetaro2005様
「事情により・・」の「もうひとり」は、どなただったでしょうか・・? 恐らく、「嗚呼!そうか!」という人物なのでしょうが、なかなか浮かんできません・・。頑張って?みます。。
「SMAPって、5人だったんですか?? そうでしたっけ??」と言って、周囲から大笑いされた女の子が、会社におります(21歳)。。「18年」。「大したもんだ」と、思います。
(「もうひとり」も、ソコソコ頑張っていますよ)
1995年の、お話。
改めましてゆっくりお邪魔して、拝見させていただきます。ありがとうございます。
2009/1/20(火) 午前 0:02
>りえすぽ様
りえすぽさんも、1995年〜96年あたり・・なのですね。
「がんばろう神戸」の、時代。あの頃は、ブルーウェーブ人気がタイガースに迫ろうか・・とも言われたんですよね。それが何故、わずか数年であれほどまでに・・(嘆)。情けないこと・・です。
2009/1/20(火) 午前 0:04
>aout58様
「広瀬南海の1年目」・・・(涙)。
「名門凋落のはじまり」ですよね・・。
「川崎オリオンズのはかなさ」も「似たようなもの」ではありましたが、心中、お察しいたします・・。
しかし、「関西での学生生活」、羨ましいです。私は「大学行くなら関西へ。それがダメなら就職で・・」で、結局は「永住」になってしまいました。
2009/1/20(火) 午前 0:09
>ハム太郎さま
つい先日、TBSチャンネルの「クイズダービー」に、「91年春の武豊」がゲスト出演しておりました。
(はらさん並みの回答率でした。凄い・笑)
「武さんは今年、21歳でしたっけ・・?」
「競馬場に女性客が増えましたよねえ・・」
「オグリキャップ、感動いたしました・・」
徳光さんの言葉が、ひとつひとつ懐かしかったです・・。
関西から、はるばる中山へ・・。羨ましいです。
私が競馬を本格的に(笑)始めたのは、「当然ながら」翌年からでしたが、当時は「わかんないときは、武を買っとこ」でした。お恥ずかしい限りの時代・・です。
2009/1/20(火) 午前 0:15
>たいし様
「全盛期」では、ありませんでした。ちょうど「下降期」が始まったころ・・でしょうか。
ただ、「職探し」については、ほとんど苦労のない時代・・ではありましたね。それだけでも、幸福な時代では、ありました。
2009/1/20(火) 午前 0:17
>N.A様
実は、92年当時交際していた女の子が、まさに「証券レディー」でした。<山●証券
社会人になってからは、もう会うたび会うたび「会社自慢」。
「結婚するなら、やっぱりエリート系かな・・」とかなんとか言い放って(苦笑)、変わっちゃったなあ。こりゃ、もう終わりかな・・と思っていたら、なんとその子の会社、倒産です(苦笑)。
(でも結局、「エリート」と結婚しましたけど・・ね・涙)
同じ「山●」でも、野沢さんはご立派でしたね・・。
「いまどきの●●」というフレーズは、どの時代でも必ず存在しますし、所詮は皆「そうだった」んですよね。
私は、申しません。「言われた身」ですので・・・。
2009/1/20(火) 午前 0:31
>アーツ様
実は、(ウソかマコトかはわからないのですが)、10年ほど前にTBSから乗ったタクシーの運ちゃんから、「●●に蹴られたのは、俺なんだよ」と言われたことがあったんですよ(笑)。
「あの人、もの凄く大柄なんだよ。”俺を誰だと思ってんだ!”とか言ったりね。場所を間違えた!って大騒ぎになったときがあったんだけど、私は”貴方が仰ったのはここですよ”と言ったのに、”お前、俺のせいにすんのか!!”って・・。酷い人だったよ」・・。
「真相は闇の中」・・です。
2009/1/20(火) 午前 0:32
>nirogi88様
84年、私はまだ「中学1年生」でした・・。
阪急ブレーブスの「最後の優勝」のシーズンですね。そうです、「稲尾オリオンズ」との、優勝争い。当時は「妙な」プレーオフがありましたから、ゲーム差が離れている割に、変にハラハラしたりしたことを憶えています。
「今から大人だ」などとは、私もまったく・・でした。
「とりあえず、喫煙していても捕まらないんだな」・・(呆)。
今でもまだ、大人になりきっていないかも・・です(嘆)
2009/1/20(火) 午前 0:36
>shin137n様
ホークス選手の「納会事件」など、全然可愛い・・という「武勇伝」・・ですね(笑)。
私の場合、「法違反」は煙草を19で・・という程度でしたが、流石は師匠、「馬券」「新橋」とは恐れ入りました・・(笑)。
「霞ヶ関」「新橋」。
「大人の世界」をすでに熟知なさっていたからこそ、「気がついたら通過していた」のだと、思います。私は「勉強不足」が祟って、未だ「なり切れていない」ように・・感じます。
2009/1/20(火) 午前 0:40
>せなぱぱ様
デュエットなど、とんでもありません。
私は基本、「車でひとりカラオケ」が限界の、「音痴オヤジ」なんですよ・・(笑)
91年の日本シリーズ、所沢に観に行きました。
「勝てば日本一」という状況下、ライオンズに逆転負け。
しかし、2日前に完投したばかりの川口和久さんが登場したときは、鳥肌が立ちました。「岸なんかより、絶対格好良かった」と、今でも思いますよ。
2009/1/20(火) 午前 0:44
私は、成人の日と阪神大震災はどうしてもかぶってしまいます。15日成人の日、16日振替休日、翌朝『ドッカーン!』と下から突き上げる振動と同時に家がミシミシ『壊れるーっ!』と思いました。幸い家は無事、でも学生時代過ごした神戸の町が…交通機関が回復したので見に行きましたが、大阪から神戸に行くまでに、淀川、神崎川、武庫川と三つの大きな川を渡ります。川を渡る毎に周りの風景が一変します。武庫川を渡り終えたら、まともに建ってる家は稀でした。母校は避難所になってて、後輩の学生さんがボランティアで真っ黒になって働いてました。
『ここは神戸市内と比べたらましですよ!』と学生さん。でも私の青春は瓦礫と共に無くなりました。
大阪に着いたら、何事も無かった様な都会の日常、僅か30.40キロ離れてるだけで別世界の様なギャップはどうした事でしょう?因みに我がボロ家は一月後に震災時に防水個所がズレ、雨漏りで天井の一部が抜け落ちました(笑)
2009/1/20(火) 午後 10:07 [ くーちゃん ]
>くーちゃん様
寝太郎様も直接的な被害に遭われた・・とのことでしたが、くーちゃん様も・・だったのですね。今更ながらも、お見舞い申し上げます。
95年、私も神戸に2度、参りました。
三ノ宮のアーケード街に屋根が無かったこと・新長田駅のホームがベニヤ板だったこと・ホテルの窓から仮設住宅が見えたこと・・。
首都圏在住で「よく実態がわからないかったこと」、心より申し訳なく思いました。
真弓監督も、「死を覚悟した」とおっしゃっていましたね。家族と離れ、合宿所での生活。引退があの年だったこと、決して偶然ではないのかも知れませんね。
もう、あれから10年以上が経ったんですね。
そう考えるとやっぱり、90年代は「遠い過去」なのかも、しれません。
2009/2/1(日) 午前 0:18
どんなんだっただろう?
甲府さんと逆で、ロッテファンになった年(笑)
千葉に移転してきてくれたが嬉しかった千葉県民でした
2009/2/4(水) 午後 0:58
>コマ様
遅くなってすみません。コメント、ありがとうございます!
そうなんですよね(笑)。あの移転は、どう考えても間違いなく「大成功」でした。
ただ、「理屈じゃない」んですよねえ・・。「あんなオンナ、どこがいいんだよ??」「いや・・。アレでも、結構いいところもあるんだよ・・」・・こんなところでしょうか・・・(苦笑)
2009/2/15(日) 午後 7:27