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サッカー・ヴァンフォーレ甲府から、メールマガジンが届きました。 今日のホーム開幕戦・試合前に、堀内恒夫さんが始球式を行うのだとか。 「甲府の小天狗」(笑)。 今更言うまでも無く、山梨県の生んだ偉大な投手。 甲府商業高校は、小瀬スポーツ公園すぐそばにあります。 「山梨県出身のプロ野球選手は?」というと、おそらくほとんどの方が最初にイメージされるお方。 日本人初のメジャーリーガー・マッシー村上(村上雅則)さんや小林雅英投手(ともに都留市出身)といった「隠れた大物」?も存在するのですが、残念ながら「ジャイアンツの選手」の知名度は、やはり別格。 (晩節の失態ぶりによっても・・笑) 私もずっと、「山梨=野球=堀内さん」というイメージが一番強烈・・でした。 しかし・しかし。 おりました。「同格の、大物」が・・。 梶本隆夫さん。 「山梨県・甲府市生まれ」。 ずっと、「岐阜県出身のお方」というイメージしかありませんでした。 実際、幼少時に岐阜県多治見市に移り住んでいらっしゃるので、純粋な「山梨県人」というわけではありませんが、しかし「生まれ」は、紛れもなく「甲府市」。 阪急ブレーブス&ヴァンフォーレサポの私としては、今更ながら・・の謝罪と敬意を・・です。 「254勝255敗」。 「史上最強の負け越し投手」です。 (トンビ東尾氏は、広岡&森氏に救われました・笑) 新人の年、20勝をマークしながら、新人王を獲得できず(!)。 4年連続リーグ優勝のチームを引き継ぎながら、わずか2年での監督退陣。 いろいろな意味で、「悲運の人」というイメージがあります。 しかし、「ヨネ・カジ時代」と言われるブレーブス時代のご活躍、「好々爺」という表現がピッタリな、優しさと愛情に溢れていた晩年の野球解説。 心から尊敬を抱ける、偉大な野球人でした。 「昭和10年・4月8日生まれ」。 お釈迦様と、誕生日がおなじ(笑)。 仰木彬さん・野村克也さん・杉浦忠さん・土橋正幸さん。 「同級生」の顔ぶれも、錚々たるもの。 「花の10年組」ですね。 この昭和10年は、阪急グループの総帥・小林一三翁が「西宮に野球場を作れ」と指令を出した年でも、あります。 小林一三翁もまた、山梨県・韮崎市のご出身。 梶本さんとブレーブスは、「生まれたときから赤い糸で・・」だったのかも、しれません。 そうそう、「阪急黄金期」の正捕手・中沢伸二さんもまた、甲府工業高校卒・・でした。 そういえば、堀内さん。 甲府商業高校のエースとして全国大会出場を果たしたときの舞台は、甲子園ではなく西宮球場でした。 ご本人はたいそう残念だったそうですが、思えばこれもまた、「運命」だったのかも・・ですね。 「山梨と阪急」は、シッカリ繋がっていた。 なんだかとっても、感慨深いです。
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「梶本隆夫」、この本は私をいつも吸い寄せます。「根本陸夫」の新刊かと勘違い・・・ 毎回です。。。
2009/3/22(日) 午後 2:44
「同格の、大物」どころか、梶本さんは「悪太郎」氏など足元にも及ばない偉大な野球人です。
共通しているのは、「わずか2年で監督退陣→前・監督が復帰」ということぐらいでしょう。
昭和56年に出た『プロ野球大百科』(ケイブンシャ)の中では、「上田復帰に潔く退陣した男の中の男として評判は高い」と紹介されていますが、本人の胸中は如何なるものであったのか…。
「悲運」「不運」のイメージばかり強調されているような感もありますが、ブレーブスでは後年日本一のメンバーに加わり(米田さんは「間に合わなかった」)、通算勝利数も同い年の杉浦さんや土橋さんよりも遥かに超えている点から考えると、決してそれだけの人ではなかったと言えます。
因みに、梶本さんのルーキーイヤーに新人王になった南海ホークスの宅和本司さんは、通算では56勝しかしていません。
2009/3/22(日) 午後 10:39 [ mannennetaro2005 ]
(続き)
「昭和10年生まれの野球人」には、ここに挙がっている人の他に、梶本さんとは長年ブレーブスで僚友だった中田昌宏さんもいますが、中田さんは「早生まれ」だそうです。
更に、昭和11年2月20日生まれの「あの方」とは「同学年」。
図らずも同じ年に監督を退いたこの人が、監督復帰後も常にスポットライトを浴び続けたのに対して、梶本さんは古巣の「後身」の育成コーチやドラゴンズの二軍コーチとして、選手名鑑での写真や人物紹介も小さい扱いだったのが、今思えばあまりにも対照的で寂しいものがありました。
>「梶本隆夫」「根本陸夫」
小学生の頃に父の知り合いの方から頂いて今でも大切にしているカープ関係の本の中で、根本さんのことが「根本隆夫」と紹介されています。
2009/3/22(日) 午後 10:52 [ mannennetaro2005 ]
梶本さん。現役時代の事は全然、知りませんけど、
監督時代の「寂しげ」な表情は、何となく記憶にあります。
同時期に「コーチから内部昇格」という同じ道を辿った、
バファローズの「ホトケのセキさん」同様、コーチとしては
優秀でも、監督としてはどこか非情になりきれなかった。
当時のブレーブスには、実績ある選手が揃っていたが故に、
選手のプライドを大事にしすぎた。そういう印象ですね。
考えて見れば、あの「幻のアーチ」の煽りで前任者が急に辞任して
「3連覇チーム」を引き継いだ訳ですから、その重圧や
いかばかりだったか・・とも思います。
堀内さん。彼の「復帰」は、もう2度とないのでしょうか。
他球団で「悪太郎野球」にチャレンジするだけの「度量」は
彼にはないのでしょうね・・・。
2009/3/22(日) 午後 11:07 [ - ]
阪急の帽子をかぶっていた人が多摩川競艇場にいたのにびっくりしました。。。
2009/3/23(月) 午後 7:13
当時の熱狂的なオリオンズファンからすれば,「上田さんの後の監督?一体どんな人なんだろう?」と,かなり脅威に見ておりましたが,采配や対オリオンズの成績などは残念ながらウロ覚えです。
ただ,「阪急は誰が監督をやっても強いな」この様な覚えは有りますです。
そうですか,梶本さんは甲府の方だったのですね。
2009/3/25(水) 午後 11:58 [ shin137n ]
>himebow様
なるほど、実によく似ていますね・・(笑)。
根本さんの本というと、「球界地図を変えた男」(日経)が面白かったですね。
2009/4/5(日) 午後 6:31
>mannennetaro2005様
私は昔から、何となく「投手で新人王を獲ると、後年あまり良いことがない」というイメージを持っているのですが(無論そうでない選手もいるんですけどね)、それには幼少時代に聞いた、「梶本さんと宅和さんの話」も、少なからず影響しているところがあります。
なので、「石川(S)と吉見(B)は、獲った方が損するかも」などと思ったりもしたのですが、ものの見事に「大ハズレ」でした・・(笑)。
「同格云々」は、確かに失礼だったかも・・ですね。
堀内さんは、なんといっても「9連続日本一」のイメージが強烈ですから、「陰と陽」でいうと、やはり「陽」のイメージ。それも少し、考慮しました。
「灰色球団などというのは、嘘のイメージ」(玉木氏)
梶本さんは、やっぱり「不運の人」だったように、思います。
2009/4/5(日) 午後 6:44
>mannennetaro2005様
中田昌宏さんも、現役時代は無論、引退後も長く阪急でコーチ等をなさっていましたね。
「あの人物」。
思えば、あの方と同じ時代を共有した方々は、多かれ少なかれ「不運」だったように、思えます。少なくとも、「直接の対戦が無かった」方は、ただただ悲運なだけだったなあと、思いますね。
「根本さん繋がり」のエピソードで言うと、関根潤三さんが現役時代、「もっとも速い!と思った投手は、阪急の梶本」と、仰っていました。
2009/4/5(日) 午後 6:51
>ハム太郎様
「梶本さんの印象」としては、私も同じようなことしか浮かびません。
「非情になりきれない」「優しすぎる」。
昭和55年に発行された「プロ野球の100人」という本を当時熱心に読んでいたのですが、そんなことが書かれていたことは、今でも印象に残っています。
「254勝255敗」などという(大)記録を見ても、ある意味そんな性格が良く出てしまっているなあと、思えますよね。
晩年の、最弱ブルーウェーブを優しく見守るような解説、大好きでした。
堀内さんは、政界進出云々が、数年前からずっと取り沙汰されています。
(無論、「山梨県から・・」です)
「ヴァンフォーレを”悪用”するなよ」とだけ、言っておきます。
2009/4/5(日) 午後 6:58
>ファイティさま
私は昨年、甲子園球場で「阪急帽を被った”小学生”」を見て、仰天しました(笑)。
多摩川にも、ステキな方がいらっしゃるんですねえ・・。
2009/4/5(日) 午後 7:00
>shin137n様
梶本さんが監督をなさっていた時代というと、仁科さんがエースだった時代・・ですよね。
当時、大事に持っていた「プロ野球の100人」という本が、ありました。
パリーグの選手は、この本で覚えた・・と言っても過言でない本だったのですが、故にこの本で知った選手のことは、今でもハッキリ記憶しております。
「コイツのために・・と、ナイン全員に思わせる投手」(仁科さん)「元銀行マンだったためか、カネには細かい。だから、ナインともあまり付き合いが良くなく、チーム内では・・」(弘田さん)。
後年、弘田さんのトレードを聞いたときも、あまり驚かずに済みました・・(笑)。
2009/4/5(日) 午後 7:06