野球は、小学校の時から中学・高校と続けてたけど、近所にオリオンズの成田がいてさ。 そのスピードの凄さにドギモを抜かれて、とてもじゃないけど勝負になんないわけ。 それでやめた。 (北野武さん) 通算・175勝。 3年連続20勝利&無安打無得点試合も。 オリオンズ(マリーンズ)の歴代選手の中で、「最多勝利投手賞2度」は、成田さんだけ。 ファイターズ時代を含め、リーグ優勝に3度貢献。 打者としても、通算15本塁打。満塁弾も。 文句なしの、大選手&大投手です。 なのに、世間的には無論、野球ファンの間ですら、知名度はいまひとつ。 かくいう私も、パリーグ野球に親しみ始めたころには「ファイターズの中継ぎ投手」になっていた成田さんの記憶は、あまり多くありません。 こんなことを言ったらなんですが、「お前ら、ナンボのもんだよ」と思ってやっていましたね。 どんなに頑張ってもマスコミの扱い方が違うんですよ。 当時の阪急もそうですが、パ・リーグの選手というのは結構、イラついていたと思います。 セ・リーグの選手に対して。 オレのほうがあいつより絶対に良いピッチャーなのに、とか、アイツはなぜそんなに騒がれるんだろうとかね。 (山田久志さん) 「悲運の時代」。 成田文男さんもまた、そんな時代のパ・リーグを支えてくださった野球人でした。 サンフランシスコ・ジャイアンツに、「お前がほしい」と言われたことがありました。 正式契約の寸前まで、いった。 でも当時は、日本人選手がアメリカで・大リーグでプレーするなんて考えられなかった時代。 なんだか怖くなって、逃げるようにして帰ってきました。 「後にも先にも、あんなに凄いスライダーは観たことがない」(佐々木恭介)。 ひとりでも多くの野球ファン・パリーグファン・マリーンズファンの方々が、「過去との交信」をしてほしい・楽しんでほしい・誇りに思ってあげてほしいと、心から願います。 合掌。 |
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この訃報、知らなかった。
カネやんが監督になってから、下って行ったなぁ・・・
当時の詳細は知らない。小学4年とかだった。
カネやんから褒められたり、けなされたり・・・
子供心に可哀相だと思った。
S40年中ごろの大エースだったんだね。
ご冥福をお祈りいたします。
2011/4/26(火) 午前 0:13
まだ若いのに。。。ご冥福をお祈りします。
2011/4/26(火) 午前 0:55
>himebowさま
ご無沙汰ばかりで、本当にすみません。
貴重なお話、ありがとうございます。
カネやんとの確執は、有名ですね。
今で言うところの「叱られ役」だったのかもしれませんが、ご本人は随分傷ついていたようで、思い出話というと東京球場時代のお話ばかりだったのが印象深いです。
大リーグに入っていたら、その後の「扱われ方」も大きく違ったかもしれません。それがやはりちょっと、残念です。
2011/4/26(火) 午前 0:58
>ファイティさま
若いですよね。
後楽園球場で、何度か投げているのを見た記憶があります。
「凄い投手だった」と知ったのは、ずいぶんと後・・でした。
惜しいことをしたと思います。
2011/4/26(火) 午前 0:59
現役時代はぼくにはちょっと分かりませんが、先日の田中好子さんもそうでしたが、本当に若いですよね・・・。
ご冥福をお祈りいたします。
2011/4/26(火) 午前 3:18
自分はリアルタイムではありませんが、37年前にロッテのが日本一になったころの大投手ですからね。
今のように、パリーグがスポットライトを浴びることが少なかった時代に大活躍した投手のご冥福をお祈りします。
2011/4/26(火) 午前 11:27 [ ゴロー ]
私事で恐縮ですが、自分が「オリオンズの成田」を初めて知ったのは、小学生の頃、当時連載されていた某超人野球漫画がきっがけでした(呆)。後にオリオンズ、木樽、成田、有藤、アルトマン等が「実在の球団、選手」である事が分かって知らぬ間に応援し始めていたのが昨日の事のように感じられます。
76年オフだったか・・10勝10敗の成績を挙げながら「給料泥棒と同じ」などと金ヤンに言われたり、頑張っている割には評価が低い、影が薄い投手だったような印象があります。全盛時代の投球を一度見てみたかったです。心よりご冥福をお祈りします。
余談ですが、メディアに元「ロッテ」投手と書かれているのは、現役時代の晩年に「●売リーグ」に移籍しなかったからでしょうね・・。
2011/4/26(火) 午後 1:35 [ nirogi88 ]
何ヶ月か前に「ベースボール・マガジン」で成田さんの近況とインタビュー記事を読んだばかりでした。この頃既に体調は悪かったのでしょうか。
「静かな後半生」→「ひっそりとした最期」→「数日後に公表」というのは、良くも悪くも「伝説のプロ野球人」らしさを感じました。
「自由競争最後の年」にプロ入り。「46回目の甲子園」に出場したことに肖って付けられた最初の背番号「46」は、あの小山正明さんの「前」。その次の「18」は、金田留広さんの「後」。
故障などもあって成績が下降線を辿った現役最晩年、大沢親分に拾われる形で移籍したファイターズでは、江夏豊・高橋一三という同世代のサウスポーとチームメイトでした。
成田さん自身が偉大なピッチャーであったことは言うまでもありませんが、オリオンズで「ライバル」だった木樽正明さんや後輩の村田兆治さんも含めて、各時代・各チームで偉大なピッチャーと同じユニフォームを着たことも、成田さんの「凄い所」だと思います。
言い換えれば、日本プロ野球が「最も凄かった時代」に活躍した一人だったのかもしれません。
御冥福をお祈り致します。
2011/4/26(火) 午後 7:08 [ mannennetaro2005 ]
ワタシの父親がオリオンズを語る時には,何かに付けて「成田,木樽は凄かった!」耳にタコが出来る程聞かされたものです。
ワタシは成田投手の投球は全く記憶が無く,残念な思いでいっぱいです。是非見てみたかった・・・。。。
心より御冥福を御祈り致します。
2011/4/26(火) 午後 8:01 [ shin137n ]
カネやんやノムさんは毀誉褒貶の激しい人物として有名ですが、ノムさんにおける今岡や、カネやんにおける成田さんのように野球人生に監督との不和が影を落としてしまうのは何とも残念です。
成田、木樽の2本柱に現役最晩年の小山、荒削りな若手の村田兆治、速球派の野村収、サウスポー水谷、ベテラン八木沢…昭和48年、カネやんロッテ1年目の投手陣は素晴らしいメンバーでした。ジプシーになったオリオンズは、良く神宮球場で試合をしてくれました。スタンドには南千住の残党が多くいて、中学生だった私にはちょっと怖かったです。成田さんはその中で21勝を挙げた絶対的なエースで、地元下町出身の「俺たちのエース」でした…ご冥福をお祈りいたします。
2011/4/27(水) 午後 3:50 [ aout58 ]