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「チャゲアス」には、昔からあまり興味がありませんでした。
だから、こんなにも素晴らしい「名曲」があったことも、知らなかった。
1958年・福岡県生まれ。
チャゲさんの少年時代を歌っています。
「稲尾和久デー」。
試合終了後のグラウンドで横になって拝聴していたら、なんだかしんみりしてしまいました。
数々のハンディ・キャップを背負いながら、豊かな生活に憧れ、貧しくも元気が漲る町のパワーを後押しに、史上最強の快進撃。
当時の博多の町とライオンズの映像が、ものの見事に「曲」にマッチしている。
なんだか、目頭まで熱くなってしまいました。
まだ小学生だったころに亡くなった私の叔父は、「生まれも育ちも石川県」であるにも関わらず、「熱狂的な西鉄ファン」でした。
夏休みで石川・金沢に行くと、何度も何度も「西鉄は強かった。今の野球はつまらん」と言っていた記憶があります。
戦争前に父親を亡くし、長男として5人の兄弟の父親代わりとして中学卒業と同時に猛烈に働いて大家族を支えた叔父にとって、「当時の博多とライオンズ」には、なにか親近感のようなものがあったのやも、しれません。
そういえば、「今も昔もトラ一筋」である私の母も、「今までに見た野球選手の中で一番好きだったのは稲尾さん」です。
「西鉄ライオンズの時代に生まれたかった」。
改めて、そんな思いにかられました。
貧しくてもいい。
「あの時代の空気」を感じてみたかった。
そう、思いました。
「西鉄ライオンズのようなチームは、もう二度と現れないと思う。でも、現在のライオンズにも、そのDNAだけは脈々と受け継がれているはずです」。
チャゲさん。ありがとう。
「ライオンズ」の名前が残っていてくれて、本当に良かった。
「阪急のファン」として、心から羨ましく、ちょっぴり寂しく、でも「ありがとう」と、思いました。
CD、探してみよう。
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懐かしのプロ野球
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ライオンズは古い時代のすべての部分を見直していますね!面白いです!
あのチームは過去の忌まわしきことを隠してばかり(爆)
2012/7/2(月) 午後 6:41
「NとLの野球帽」。何よりも「豊田泰光・作」というのが素晴らしいですね。
豊田さんのセンスの良さと、豊田さんを含めた当時の西鉄ライオンズナインのチームと勝負に対する熱い思いが、この帽子に凝縮されているように思います。
平成19年の8月、豊田さんが静岡県の熱海で講演に行き、その後の懇親会で「あのNとLの帽子が欲しい」と要望を受けたそうです。豊田さんはその時、スポーツ店も経営していた稲尾さんのことを真っ先に思い出し、電話で帽子を30個頼んで、世間話もしたそうです。
そして、それが稲尾さんとの最後の会話となったそうです。
今回の「稲尾和久デー」で残念だったのは、帽子が「Lだけ」だったことです。
もっとも4年前に復活済みなので、「NとLではない野球帽」が復活したという意味でこのイベントは貴重だったとも言えます。
2012/7/2(月) 午後 10:59 [ mannennetaro2005 ]
>ファイティさま
オールドユニフォームでのイベントについてはいろいろな意見をよく見かけます。
「なんでこんなことするの?」とか、「オジンの懐古趣味に付き合うのは嫌」とか、「単なる商売目的」だとか・・。
正直、「こういった認識」こそが、この国の野球と「本場」との文化格差を一向に縮めることの出来ない「元凶」であるように思えて、寂しくなってしまいます。
プロである以上「商売目的」であることはまったく問題ではありませんし、「需要」があるのならばそれに応えることは、むしろ喜ばしいこと。
そして何よりの「開催意義」は、「いまのチームは”かつての貴方のチーム”と繋がっているんですよ」ということを「球場から離れてしまったひと」に伝えることであり、現代のファンに対しては「偉大な先人がいたことを誇りに思ってあげてください」という大切なメッセージを伝える
ことにあります。
ファイターズには、「”いま”はまだ出来ない理由」があるのでしょうね。
2012/7/15(日) 午後 11:40
>mannennetaro2005さま
改めて「NL帽」を観てみると、誤解を恐れずに言うならば「別段どおってことのないデザイン」では、あるんですよね。
妙な意味合いでは決してなく、「別段奇をてらってはいないのに、飽きの来ない素晴らしいデザイン」であるように、思います。
平和台球場そばに今もあるという「ライオンズベースボールショップ」では、今もNL帽を販売しているのだそうです。
「オールドキャップ頒布会」にも「NEWエラ」にもNL帽がありますが、やっぱりどうせ買うなら藤本元広報さんのお店で・・と、思っています。
2012/7/15(日) 午後 11:53