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1988(昭和63)年8月14日。 生まれて初めて、結果的に「最初で最後」の大阪球場に野球観戦に行きました。 お盆の墓参りの「ついで」。 親父と、近鉄ファンだった弟も一緒でした。 南海線・なんば駅にあったグッズ・ショップで、ファンブックとメガホンを購入。 ふと、店員さんの後ろを見ると、なんとなんと「レプリカ・ユニフォーム」が飾ってあります。 ビックリ仰天!・・でした。 当時はまだ、現在のようなレプリカ・ユニフォームを販売するような球団は、ひとつもなかったから・・です。 値段札をみて、さらにビックリ。「1万円」。 ユニフォームには、背番号35・吉田博之さんのネームも入っていましたが、番号・ネームは「別料金」。 当時高校生だった私には、とてもじゃないが手の届く金額ではありませんでした。 「アルバイトしてカネ貯めて、来年絶対買う。買いに来る」。 新聞では、当時「毎年恒例のネタ」だった「南海身売り!」の話題がチラホラ出てはおりましたが、どうせ今年もガセだろう・・と、来年も南海ホークスは存在するのだろうと勝手に決めつけて、心ははや、「来年ユニフォームを買うこと」でイッパイになっておりました。 まさか、それからわずか1か月後に「ダイエーに。福岡に」などと”正式表明”があるなどとは、思いもしなかった。 球団の身売りそのものは、仕方がない。 貧乏で選手が可哀相やったし、球場も無くなるんやし。 良かったやん。 関西に3つは多すぎやし、福岡の人も喜んでくれはるやろ・・。 けど、「あのユニフォームが、もう買えない」。 それだけは、本当に残念で、悔しくて、仕方がありませんでした。 「キサマ、阪急ファンだったくせして、なんで南海のユニフォームなんかを・・?」。 アンサー。 「野球ファン歴約40年、ひとつだけ好きなユニフォームを挙げなさい」と言われたら、これまでもこれからも、私はずっと「南海の最終型です」・・なのです。 だから、オールドユニフォーム復刻祭と、それに関連してのグッズ商品販売が盛んないま、「”アレ”はいつなのか、”アレ”はまだなのか」と、ずっとずっと待ち続けておりました。 そして「そのとき」が来たら、”用意”する。 そう心に決めて、「ホークス75周年」の今年、実行いたしました。 ネットオークションで製作者を募っていることは、ずっと以前から知っていました。 あらゆる復刻商品を片っ端から調べて、それがもっとも完成度が高いことも、確信していました。 けど、「発表」があるまでは、買えない。 「着ていく機会」が出来るまでは、買えない。 ひたすら、「我慢」していました。 4月19日・20日・21日。「近鉄バファローズVS南海ホークス」。 75周年記念事業にバファローズが「乗っかった」、「ナニワ・クラシック」。 http://special.buffaloes.co.jp/osakaclassic/2013/ 「ついに来た。とうとう来た」。 徹底的に、「節約」の日々を送りました。 休日は、出かけない。カネを使わない。 お昼はカップ麺&スーパーの激安サラダ・・。 金2万円、ついに手に入れることが出来ました。 袖のラインも、巻き付けではなく「付け足し」。 マークの刺繍も、かつての製造工場に依頼しているのだそうです。 徹底的な、「こだわり」。 久保田運動具店のタグがないこと以外に「違い」を見つけることが困難な、素晴らしい出来栄えです。 マリーンズのコーチ時代に大変親切に応対してくださった井上裕二さんのユニフォーム(背番号12)を作ろうと、ずっと思っていました。 けれど、悩みに悩んで、注文の直前まで迷って、「南海ホークスで一番好きだった選手」を、選びました。 だって、「近鉄VS南海」に着ていくんだものね。 「あの人」しかいないでしょ。おらへんやん・・。 来てくれないかな。 来てほしいな。 どっちのファンにも愛された、否、野球ファンなら嫌いな人などひとりもいない大選手。 あとまだ、帽子も手に入れないと・・。 残り、約ひと月。 楽しみで楽しみで仕方がない、「長い長いひと月」・・です。 「最強時代の・・」とか「優勝時の・・」の復刻が多い中、「弱かった弱かった時代」の復刻ユニフォーム。 孫さん、ありがとう。 長谷川勇也選手。頑張れ。 「南海・長谷川」にきっと会えること、祈っています。 |
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1ヶ月が待ち遠しいですね。グリーンのユニフォームとの四半世紀振りの再会に、今から心臓バクバクです(笑)
2013/3/10(日) 午後 2:04 [ aout58 ]
私もこっちにいくことも考えています。
あと9月のオールドユニシリーズが待ち遠しいです!でもその日は絶対休めないです。。。
2013/3/11(月) 午前 0:52
このユニフォームが採用された昭和59年の南海ホークスは、チームもどん底の状態で、球団経営も最早どうにもならない所まで追いつめられていたと思われます。
パ・リーグの他の5チームのユニフォームがいずれも色鮮やかで派手なデザインだった中で、敢えて深緑一色のシンプルなユニフォームを採用したのは、「誰からも『これぞ南海ホークスのユニフォーム』と認められるようなものを…」という、当時の球団サイドの切実な、しかし並々ならぬ思いがあったのかも知れません。
「これが最後になったのは残念」ですが、今では「これが最後で良かった」とも思います。
「ナニワ・クラシック」。
相手チームの監督も「南海ホークスOBにして最終年メンバー」であることも、実現するきっかけの一つになったんでしょうね。
素晴らしいイベントになることと期待しています。
2013/3/15(金) 午後 10:47 [ mannennetaro2005 ]
>aout58さま
「門田さんに会いたいですねえ」が、土曜日のトークショーで「実現」。
まだまだ我々にも、「ヤキュウのカミサマ」が付いていてくださっているよう・・ですね。
金曜日のドラ山本さんにもぜひお目にかかりたかったのですが(涙)、門田さんのトークを拝聴出来るだけでも「大変なこと」。
楽しみで楽しみで仕方ありません。
2013/3/17(日) 午後 11:40
>ファイティさま
「オールド・シリーズ」(涙)。
なぜか、わざとらしくファイターズは「東京ドーム」(涙)。。
「優勝時の」に拘らず、ココはぜひ「アストロズ」を観たいですね。帽子は「パンティ版」(爆)で・・。
「大阪球場」、声かけてください。
2013/3/17(日) 午後 11:42
>mannennetaro2005さま
「袖口にラインがあること」(必須)
「前ボタン式が望ましい」
「色は1色か2色で良い」(必須)
「全体的にシンプルでスッキリしたデザインが良い」
私の、極私的な「理想のユニフォーム像」です。
それはやはり、この「南海最終型」から、大きく影響されています。
それゆえに、現在のユニフォームには、ひとつも「そそられるもの」がありません。
(マリーンズは、袖にラインが無いのがダメ!笑)
5年前、復刻盤として発売された「鶴岡時代版」も、若い女性を中心に大変な売れ行きだったそうで、球団がリサーチしたところ、「シンプルなのに恰好良い」。
南海球団の「願い」は、20年後にきちんと認められた、ということなのでしょうか。
嬉しい様な悲しい様な、でも仰る通り、「これが最後で良かった」と、私も改めて思います。
試合開催のほか、なんばで山本ドラさん&門田さんのトークショー、堺市でも南海ホークス展が開催されています。
「なんばのホークス」が今も愛されていること、本当に嬉しく思います。
2013/3/18(月) 午前 0:00
はじめまして。
私もこのレプリカ手に入れました。
どうしても実物を確かめたくて東北から大阪までお店を訪ねてしまいました。
お店の方々にすごく優しくしていただいてまた訪ねたくなってしまいました!
私はホーム(背番号0)、ビジター(背番号60)をお願いしましたが確かに出来が
良いですよね!
ちょっと難があるとすればホームのユニフォームは袖が短目で少し幅広気味のため
私の体格だと袖ラインがちょっと浮いてしまう感じになっちゃうところでしょうか・・・
今年は南海75周年で色々グッズが発売されてお財布に厳しい年になっています(笑)
ホークスショップのダイエーのメット、帽子、ユニフォームも湯上谷で作っちゃいました!
ちなみにキャップですが、ホークスショップのミズノプロの他にこのお店でも
レプリカキャップを作っていらっしゃいます。
他では神奈川県の辻野帽子店さんではいわゆる昔ながらの「野球帽」を売っていますよ〜。
南海は残念ながらレプリカですが、1970年代の明るいグリーン(白天なし)の帽子です。
プロモデルも良いですけど、昔ながらの野球帽も味があります
2013/9/27(金) 午前 0:07 [ なりきち ]