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京都府京都市東山区。 今は亡き我が父の実家があり、私にとっての生まれ故郷でもあります。 小学生のころ。 お盆の墓参りで東京から訪れた際、父と近所を散歩することに。 「面白いところに行ってみるか」。 そう親父が言い、連れて行かれたのは、我が生家から徒歩数分の場所。 何の変哲も無い住宅街の中に、「珍しいけれどよく耳にする名前」の表札がありました。 「衣笠」。 き・ぬ・が・さ・・・・?! 「そうだよ。ここが実家なんだ。アイツは東山の誇りだな」・・ 通算2453安打・504本塁打・1448打点・266盗塁。 そして、「2215」。 物凄い数字ばかりがズラズラと。 しかし、なのに、「年間打率3割」は1度だけ。 通算三振・1587 通算併殺打・267 しみじみ、素晴らしいなぁ・・と、思います。 「いつ何時も、フルスウィング」。 サチさんはやっぱり、「記録なんかよりも記憶のひと」と、改めて思います。 私は1971年7月17日に、京都・東山で生まれました。 「江夏豊・球宴9奪三振の日」です。 「俺もすぐに行く。また向こうで野球談義をやろう」。 江夏豊。 私にも隅っこでいいので、いつか拝聴させてください。 合掌。
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自分は直接見なかったのですが、4月19日のBS-TBSの中継で解説をした時の様子がネットでも大きく取り上げられた矢先の訃報で、最初「まさか!?」と思ったのですが、「『鉄人』もやはり人間だったのか…」という思いを強く感じています。
衣笠さんは昭和22年1月18日生まれで、星野仙一さんとは僅か4日違い。生まれたのが自分よりも4日遅い星野さんが自分よりも先に亡くなるとは思っていなかったでしょう。ましてや、同世代の「戦友」に相次いで先立たれた浩二さんや田淵さん、江夏さん達の胸中を思うと…。
ただ、一昨年の山本一義さん、昨年の上田利治さんと同様、「強いカープ」を見届ける形で旅立ったことがせめてもの「救い」になったのかなとも思います。
遺言代わりとなった『昭和プロ野球の裏側』、必ず手に入れて読みます。
それにしても、平成も30年になっての半年足らずに「星野仙一と衣笠祥雄のいない日本プロ野球界」と「大杉漣のいない日本映画・ドラマ会」という想像だにしなかったことが共に現実になってしまったことは、暗澹たる思いを感じています。
2018/4/30(月) 午前 1:56 [ oc5***** ]
↑のコメントは万年寝太郎です。念の為。
2018/4/30(月) 午前 1:57 [ oc5***** ]
>寝太郎さま
サチさん&仙さんが「誕生日4日違い」とは、全く存じませんでした。
さすが寝太郎さんです(笑)。ありがとうございます。
仰るとおり青天の霹靂、残念無念ではあるのですが、「でも、間に合って良かった」とも、感じました。
カープの新・黄金時代を届けてくれた選手のみんなに、感謝の念を抱きました。
大杉漣さんのお母様は、京都・銀閣寺そばの学生寮の娘さん。
至近の京大の学生さんだった漣さんのお父様とはそこで知り合い、結婚なさったのだそうです。
キヌさんと漣さんも、「京都繋がり」。
不思議な縁を感じると共に、なんとも残念な気持ちに・・です。
2018/4/30(月) 午後 10:22
1975年にカープが初優勝したのは懐かしいな。今は無き後楽園球場でリーグ初優勝を決めた時、鉄人と言われた衣笠祥雄さんが頑張ったおかげだ。衣笠さんが2018年に亡くなり、本当に残念な気がする。きっと天国で応援してるだろうな。
2018/9/30(日) 午後 2:54 [ タクロウ ]