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史上最低の「結末」(日本シリーズ)
プロ野球
史上最低の「結末」(日本シリーズ)
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史上最低の「結末」(日本シリーズ)
プロ野球
[ aout58 ]
2014/10/31(金) 午前 1:36
「大勝利」(川崎戦)
ヴァンフォーレ甲府
「10.19」
懐かしのプロ野球
>mannennetaro2005さま
当時開場したばかりの東京ドームは、「日本初の両翼100M球場」として、話題を振り撒いていました。
私も初めて来場したとき、「凄い!誰もホームラン打てなくなるんじゃないか!?」と思ったりしたものですが、そんなことを振り返っただけでも、いかに年月が経ってしまっているかを”実感”(笑)することが出来ます。
「南海VS近鉄が”最後”だったなら」。
想像するだけで身震いし、でもちょっぴりゾッとするような・・ですね。
翌年の「リヴェンジ優勝」の際の相手は”新生ホークス”でしたが、ラジオ解説の豊田泰光さんは「八●長ですよ。ダイエーのバッター、みんな打つ気ないもの」などと、仰っていました(笑)。
「オリオンズの監督が稲尾さんだったなら」と、私は時々、思ったり・・します。
「10.19」
懐かしのプロ野球
[ mannennetaro2005 ]
2014/10/26(日) 午後 0:00
考えてみればマー君やマエケンたちが生まれた頃の出来事ですから、つい最近とはいえ、やはり「時の流れ」というものを実感してしまいますね。
「10・19」と翌年のバファローズの逆転優勝は、仰木さんや中西さん、それにサードコーチだった滝内弥瑞生さんが持つ「野武士軍団のDNA」とバファローズの「いてまえ魂」が融合した結果だったと思います。「10・19」はまさしく「昭和プロ野球の総決算」と呼ぶに相応しいゲームだったのかも知れません。
優勝争いという「記録」の上ではライオンズに負けたが、このゲームのお陰でバファローズは「記憶」の世界では後世に残る「大勝利」を収めたのだと思います。
その一方で、この試合の4日前に行われた「南海ホークス・大阪球場ラストゲーム」がもしも昭和63年10月19日の試合だったら…と、最近思うことがあります。
「壮絶且つ異様な試合」になったかも知れませんが、果たして半世紀以上経っても語り継がれていたかどうか…。
三原脩さんと「クライマックス」
プロ野球
>mannennetaro2005様
「魔術師」は、単に三原さんご自身の回想録に留まらず、日本野球界の「歩み」についても丁寧に振り返っている名著なのですが、全編にわたって出されている「結論」は、「日本野球は企業の倫理に翻弄され続けてきた」ということ・・でした。
「チームは野球の為に存在するのではなく、あくまでも企業のためにのみあるもの」であり続けてきた。
それが三原さんの「流浪の野球人生」の顛末であると、筆者は訴えているように感じられました。
「世間で野球界が”盛り上がっていた時代”」というのは、逆を言えば「読売の思惑どおりに世間がコントロールされていた時代」と言えなくなくもあり、それはそれでやっぱり、「哀しい時代だった」と言えるようにも思ったり・・します。
三原脩さんと「クライマックス」
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