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「プロ野球ファミリースタジアム」という、大ヒットしたファミコンゲームがありました。 「ファミスタ」という愛称のほうが、はるかに有名かもしれません。 実在のプロ野球チームをモチーフにした、本格的な野球ゲーム。 なのに、球団数は「10球団」。 セ・リーグ球団と思しきものが、6つ。 販売元・ナムコのキャラクターをメンバーにしたチームが1つ。 あれ?「パ・リーグは・・?」 ライオンズと思しき球団が、1つ。 残るは、「2つ」のみ。 オリオンズ&ファイターズの”合併球団”・「フーズ・フーズ」。 もうひとつは、ブレーブス・バファローズ・ホークスの”合併”で、「レール・ウェイズ」でした。 なるほど、そのネーミング・センス(?)には一応、一目は置くけれど。 当時の「パ・リーグの立ち位置」「世間のパ・リーグへの扱い」が少年心にも切ない、楽しくも悲しいゲームでした。 「関西レールウェイ・シリーズ」。 どこかで、聞いたことがあるネーミングやな。 そう、思いました。 「近鉄VS南海」「阪急VS西武」。 ゴールデン・ウィークの、特別企画。 4年ぶりに、参加しました。 「南海の○○(背番号)って、誰でしたっけ??」 「近鉄の○○(背番号)、最後は誰だったかなぁ・・」 ゲーム中は、そんな話ばかりで盛り上がり。 「村田辰美さん、スラッガーになっちゃったんだ(笑)」とか。 「今宮君の”2”は、どう見ても”真逆”だよなぁ(笑)」とか。 「南海ホークスの”最後の3”って、誰だっけ??」だけが、どうしても出てこない。 定岡さんのあと・・。定岡さんのあと・・。 「ひょっとしたら、清原さんが背負っていたかもしれない背番号」・・。 「出て来なかった」のは、正解でした。 「いなかった」。 88年のドラフト、南海ホークスが最後に1位指名した選手は、「立浪和義さん」だったから・・です。 本人も、指名されれば行くつもりでした。 「だから、3は空いていた」・・んですね。 来て良かった。 こういう「復刻イベント」は、賛否両論。 でもとにも角にも、「みんな、また球場においでよ」なのです。 「近鉄vs阪急はないんかい!」は、とりあえずは・・いいのです。 ○○回忌で親戚一同が集まって、故人の話で盛り上がる。 みんな疎遠になっていたけれど、故人が引き寄せてくれた。 会ったこともないおじいちゃん・お婆ちゃんのお話に、孫たちが耳を傾けたり、興味を示してくれたり。 そういうこと。 それでいいのだと、思います。 昭和63年10月19日。 野球ファンならばすぐにピンとくる、「あの日」です。 でも、同じ球場の「昭和63年10月20日」は、あまり語られません。 「南海ホークス・球団ラストゲームの日」でした。 この2つのユニフォームは、いろんな「悲しみ」も背負っている。 でも、格好良いな。ほんとにいいなぁ。 改めてやっぱり、そう思いました。 近鉄のユニフォームを「10・19ユニ」と書いている方をあちこちで見かけました。 なので私、「オリオンズ帽子」を被って、参加しました。 だれかわかってくれへんかな・・と思っていたら、数十秒間・じっと私を睨む「猛牛おばさん」が・・。 ありがとう。 「睨まれて」いるのだけれど・・(笑)。 企画してくださった球団の皆さん。 「昔のファンの方が懐かしいと思って楽しんでくだされば・・」と言ってくれた、バファローズの山岡泰輔投手。 そして、参加されたすべてのオールド&若い野球ファンの皆さん。 ありがとう。
ありがとうございました。 |
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京都府京都市東山区。 今は亡き我が父の実家があり、私にとっての生まれ故郷でもあります。 小学生のころ。 お盆の墓参りで東京から訪れた際、父と近所を散歩することに。 「面白いところに行ってみるか」。 そう親父が言い、連れて行かれたのは、我が生家から徒歩数分の場所。 何の変哲も無い住宅街の中に、「珍しいけれどよく耳にする名前」の表札がありました。 「衣笠」。 き・ぬ・が・さ・・・・?! 「そうだよ。ここが実家なんだ。アイツは東山の誇りだな」・・ 通算2453安打・504本塁打・1448打点・266盗塁。 そして、「2215」。 物凄い数字ばかりがズラズラと。 しかし、なのに、「年間打率3割」は1度だけ。 通算三振・1587 通算併殺打・267 しみじみ、素晴らしいなぁ・・と、思います。 「いつ何時も、フルスウィング」。 サチさんはやっぱり、「記録なんかよりも記憶のひと」と、改めて思います。 私は1971年7月17日に、京都・東山で生まれました。 「江夏豊・球宴9奪三振の日」です。 「俺もすぐに行く。また向こうで野球談義をやろう」。 江夏豊。 私にも隅っこでいいので、いつか拝聴させてください。 合掌。
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三原脩さん。 西本幸雄さん。 星野仙一さん。 「3球団で優勝監督」。 プロ野球史上、達成されたのは上記お三方のみ。 「共通していること」が、他にもあります。 「グラウンドでは、とにかく怖かった」 「ユニフォームを脱ぐと、別人のように優しくて」・・。 「星野さんは、10のうち7つは怒っているんです。いや9かな(笑)。で、残りの1つでフォローするんです。その、1のフォローがあるから、9のお叱りを純粋に受け止められるんです」(鈴木孝政さん) プロ野球の選手とビジネスマンを結びつけたりするのは好きではないのだけれど。 サラリーマン生活を26年も続けている身になって考えると、「フォローの1」、素晴らしいな、羨ましいなと、ピュアに感じます。 私が物心ついてプロ野球の世界の虜になったのは、昭和50年代の前半からでした。 「巨人にあらずはプロ野球にあらず」の時代。 首都圏のテレビの野球中継は、「巨人・巨人。以上」。 タイガース・ファンの一家に育った私にとって、テレビ野球中継の唯一最大の楽しみは「どこでもいい。巨人をやっつけろ」。 80年代後半まで続いた「ダサ格好良い」ブルーのユニフォームを身に纏い、後楽園やナゴヤ球場で巨人のユニフォームに闘志剥き出し・仁王立ちする星野の仙さんは、文句なしのヒーローでした。 マリーンズ・ジョニー黒木の全盛期、マウンドでの表情や居ずまいを観るたび、「懐かしいな、星野さんみたいだ」なんて思ったりしたこともありました。 「阪神・星野」には正直、あんまり魅力を感じなかった。 そればっかり(メイン?)の報道が何だかちょっぴり寂しい、40歳後半の元・野球少年です。 星野さん、ありがとうございました。合掌。
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「日本復帰の黒田に米国ファン悲鳴『うそだろ!ヤンキースは彼が必要!』」(スポニチアネックス) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141227-00000088-spnannex-base 「黒田博樹の広島復帰は『ヤンキースに大打撃』米メディアが報じる」(Full-Count) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141227-00010001-fullcount-base 「日本プロ野球・80年」。 かつて、これほどまでに「アメリカ→ニッポン」で本場の野球ファンを「悲しませた・嘆かせた」ベースボール・プレイヤーがいたでしょうか。 いない。「いるはずがない」。 凄い。 「日本一ボンビーな球団」が「世界一のオカネモチ球団」に、大打撃を喰らわせた! ニッポン野球史上、最強の「ジャイアント・キリング」です。 いや、でも。 「カープが喰らわせた」んじゃ、ないよね。厳密には。 「黒田のオトコギ」ですよね。 「カープ愛」。 嘘偽りでも、建前でも、なかった。 凄いな。 凄いとしか、言いようがないです。 2015年。「緒方カープ」。 ♪ この一打に 闘志燃やして 勝利の地へ 駆け抜けろ ・・ 好きな応援歌でした。 大好きな選手でした。 ついでに言うと、「奥さま」も(笑)。 かつてない、「大きな風」が吹いてきた。 やれる。やるしかない。やろう。 2015年。「緒方カープ」。 「男気」に、応えなければならない。 がんばれ、カープ。 黒田博樹を絶対に、「漢(オトコ)」にしよう・・!! |
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見た。 いや。 正確には、「見たことにはならない」のだろうと思います。 ライオンズ球場。 昭和55年だったと思います。 ライオンズがセーフティ・リードしていた状況で、山口さんは投げていました。 メッタ打ち。ストライクも入らない。 そんな記憶だけが、残っています。 ケイブンシャ。「プロ野球大百科」。 生まれて初めて自分で買った、選手名鑑。 12球団各選手の簡単なプロフィールに、記者さんの「ひとこと紹介」が添えられています。 山口高志さんの欄を、観る。たったの6文字だけ。 「夢よもう一度」。 小学生でも強烈に伝わる、「物悲しさ」。 一種の、「トラウマ」。 いまも、忘れることが出来ません。 「父ちゃん、山口ってどんなピッチャーなの?」 「凄かったんだけどな。こんなんじゃなかった。ニッポンいち、すごいスピードボールだったよ・・」 ライオンズ球場から帰ると、箪笥の引き出しをゴソゴソ。 「あった! コレ、やる。大事に読めよ」。 「阪急VS巨人 1976年日本シリーズ」という、ムック本でした。 「速い速い! 山口特急」 「褒めても褒めても褒めても足りない足立」 残念ながら、貴重なムック本は、消失。 でも、名フレーズの数々と迫力満点の山口さんのピッチングフォーム写真は、今でも鮮烈に思い出すことが出来る。 文字通り、ボロッボロになるまで、読んだから。 「涙目の小林繁さん」「怒り狂う”クレージー”ライト」なんていう写真のことまで、憶えています。 「たぶん、日本の野球で一番だったと思うよ」。 親父はそう、言いました。 2007年・甲子園球場。 相当な無理をして、ネットオークションで「年間席」を購入しました。 3塁側。バッテリー間を、ほぼ真横で観られるポジション。 「解雇寸前だった藤川球児に”奇跡”を起こした男」という、ラジヲのニュース・コラムを聴いてしまったから・・でした。 「山口高志が乗り移った」藤川球児。 「”本物の”山口さんを見たかった」という叶わなかった願いを、球児に託したかった。 身震いするほどの、「火の玉剛速球」。 夢、叶えてもらった。 これがきっと、「ほんとうの山口さん」だったんだ。 そう、思いました。 甲子園、来た甲斐があった。 2枚の値段、「新幹線の片道分以上」だったけれど(苦笑)。 でも、惜しくない。惜しくありません。 2014年・神宮球場。 「いつ以来やろう・・?」というほどに久々の、山口さん。 身長・174センチ。 藤浪晋太郎と並ぶと、「オトナと小学生」のよう。 よくぞ、こんな小さな体で・・と、改めて敬服・・でした。 阪急言うたら、山口高志やったねぇ。 速い! むっちゃくちゃ速かった。 広島の津田(恒実)が速い・速い言われたけど、ぜんっぜん違ごたね。 山口は別格やった。ホンマ、メチャクチャ速かった。 なかなか信じてもらえへんのやけどね。 史上一番やで。山口は。 昨年、大阪でお会いした「南海ファンおじさん」。 ウチの親父とおんなじこと、言うてたな。 ありがとう。 「夢よもう一度」。 いま思えば、「ちっとも悲しくなんかない」。 「細く長く」よりも、「短くてもぶっとく」のほうが全然、格好良い。 「レジェンド」になれる。 それでこそ、「プロ中のプロ」だ。 「君は山口高志を見たか」。 じっくり、拝読します。 |






