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土曜日の所沢ドーム、行って参りました。 「ライオンズ・クラシック」。 今季は、「1979年からの”埼玉ライオンズ”」がテーマです。 土曜日の「スペシャルOB・トークショー」は、田淵幸一さん。 今井雄太郎さんも、特別参加なさいました。 お二人を拝見出来ることは大いに楽しみにしていたのですが、正直、トークショーにはあまり期待をしていませんでした。 「広岡ライオンズ黄金期の話ばかりなのだろう」と、思っていたのです。 杞憂でした。 インタビュアーさんの話の引き出し方が、非常に上手。 次から次に、懐かしい・嬉しい・貴重なお話が飛び出しました。 超・満員のギャラリーの皆さんも、大盛り上がり。 トーク・ショーが終わった瞬間、「もう今日の試合なんてどうでもいいから、帰って酒を呑みたいな」と、思いました。 「至福のひととき」でした。 憶えている限り・・で、抜粋します。 (誤記がありましたら、ご指摘願います・・<aout様) (阪急・近鉄・旧ライオンズのユニフォーム着用者がたくさん) こうして、皆さんが懐かしいユニフォームを着てくださっているのは、凄く嬉しいよね。 ライオンズの(旧)ユニフォーム、格好いいよねえ? ビジターはダメでしたけどね(笑)。 ”清掃局”とか、よく言われましたよ(笑)。 (474本の中で、一番印象に残っているホームランは?) 最後のホームランは、この球場で、右方向に打ったんです。 そのときに使ったバットを、記念に・・と思ってツ○○オーナーにプレゼントしました。 あのホームランが、一番印象深いね。 (広岡ライオンズ) 酒ダメ・煙草ダメ・肉ダメって、きた。 東尾と一緒に、野菜ジュースに酒を入れて飲んだことがありましたよ(笑)。 なのに広岡さん、フロリダのキャンプのとき、自分だけ肉食べて痛風になっちゃった(爆)。 (埼玉ライオンズ・黎明期) 監督は、根本さん。 なんだかんだ言っても、根本さんは後の黄金期の土台作りをちゃんとなさっていたと思います。 まず、しっかりと補強した。 松沼兄弟・森繁和。工藤公康も獲ったし、熊本から秋山も連れて来た。 しっかり育てて、戦力にしたよね。 根本さんが畑を作って種を蒔いて、広岡さんが丁寧に花を咲かせたんですよ。 球団というのは、フロントと監督・現場がしっかり繋がっていないと、絶対に勝てるチームにはならないんです。 今のライオンズのフロントも非常に頑張っているし、渡辺久信ともコミュニケーションが取れている。 今年も、ライオンズは大丈夫ですよ。ぜひ、渡辺と秋山で優勝争いをしてほしいね。 (忘れられない選手&思い出の名勝負) やっぱり、阪神タイガースに入って、江夏豊という凄い男と出会えたのが、一番印象深いよね。 名勝負と言えば、長嶋さん&王さんと何度も戦えたことが、やっぱり一番かな。 (引退を決意した理由) 村田兆治と対戦したとき・・かな。 物凄い速いボールが、どこに来るのかわからないくらいに荒れてたんです。 私は今まで、何度も何度も死球禍に泣かされてきたんだけど、あの時初めて「恐怖心」を感じたんです。 「もし、俺の身に何かあったら、どうやって家族を食べさせればいいのか」と。 あとは、秋山幸二ですよ。 アイツが出て来たときにね、「球団がほしがっていた若い大砲が現れた。もう、自分の居場所はないな」と、思ったの。 それにね、秋山のお母さんが、酷いこと言ったんだ。 「田淵さん、早く辞めてください」って・・(爆)。 (がんばれ!タブチくん) アレは、永久不滅ですよ(笑)。 長嶋さん・王さんでも、劇場アニメになったことはないでしょ(笑)。 主演でスクリーン・デビューしたのは、私だけなんだから(笑)。 3作も作られたんだからね。凄いですよ。 ・・ 「タイガース・OB会長就任」。 「お世話になったタイガース。こういうお話を貰って、良かったです。」 「嬉しい」ではなく、「良かった」。 ”おぼっちゃん”だ。やっぱり(笑)。 「和解」、正式に成立。 よかった。本当に。 二宮清純さん風で。 「強打者」とか「スラッガー」と言われる打者は過去に何人も存在したが、「アーチスト」と称された打者は、田淵幸一ただひとりである。 ・・ 「背番号・22」。 私にとっては、「永遠の憧れ」です。 |
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2009年07月12日
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