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「空白の一日」。 当時、「野球の”やの字”も知らなかった」読売・渡辺某氏は、トレードを正式通告する場に同席した際、小林繁の顔すら、わからなかったのだそうです。 世間一般の評価が、急上昇。 「小林は男の中の男だ」「正義のヒーローだ」・・ 僕らはプロの世界にいるわけだから、力がなきゃ捨てられてもしょうがない。 だから、人気があるのはひとつの能力かもしれないけど、スタートの形として、同情されてスタートするのはなんのプラスにもならない。 同情されて、応援されて、それで勝負に勝てるわけじゃないんだもの。 そういう声援というのは、こういう言い方をするとちょっと語弊があるかもしれないけど、ちっとも嬉しくない。 やっぱり、自分の野球スタイルに人気があって、応援してくれる人がいる。 そういうものであれば、選手にも敏感に伝わるものなんだよね。 だから、僕の気持ちの中では、あのトレードによってできたファンというのは本当のファンじゃない。 でも、それ以降の僕の野球に対して支持してくれたファンには、本当にありがたいなぁと思ってた。 今でも感謝してる。 考えてみれば、ジャイアンツにいたときは「小林、この野郎」だった人たちなんだから。 「元・巨人 ジャイアンツを去るということ」(廣済堂文庫・刊) 私はただただ、「格好いいから」「ジャイアンツをやっつけてくれるから」、「ファン」だっただけです。 「壁当てひとり野球」のタイガースの先発投手は、いつもこの人でした。 2段モーションの、ちょっとギクシャクしたフォーム。 上級生の「少しデカイ帽子」を借りてきて、わざと帽子を落とす。 決して「美しい」フォームではなかったけれど、格好良かった。 当時、まだ無名だった某・お笑いタレントも、この人の「ものマネ」で一躍有名人になりました。 阪神で「大阪の野球」というものを経験できたことは、結果的に僕にとって非常に大きなプラスだったと思う。 それまでやってきたものとは野球の質が違ったわけ。 やはり野村さんが関西(南海)にいたことで、関西の野球というものは、情報戦なんかも含めて、関東の野球より進んでいた。 それまで、ジャイアンツは最高の野球をやっていると思っていたのが、とんでもないってことに気づいたよ。 こっちのほうが全然細かな野球をやっていたんだって。 (同) 中西太さん。良かったね。 タイガースのベンチは、「アホ」なんかじゃなかったんだ。 57歳。 早過ぎます。「引退発表のとき」と、おんなじで。 合掌。 (育ての親・武宮寮長にも) |
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2010年01月17日
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