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「お粗末な引退会見」でした。 ア●●オ氏には、もはや人様の子供を預かる資格など皆無のような気がします。 (何を今更・・ですが) 「引退」という扱い自体が、本当は大甘で寛大な処置です。 「秘書を殴りました」 「実は誰も殴っていませんでした」 「秘書が責任を取ることになりました」 「潔さ」なんて、微塵もありません。 「もはや、世論に抗いきれなくなった」だけです。 最後の最後まで、「頓珍漢」でした。 「土俵外の醜聞」ばかりが騒がれたけれど、本当に問題にされるべきだったのは「土俵内の所作」だったように、思うのです。 「ガッツポーズはいけない」という批評の「真意」は、「みっともないから」などという短絡的・道徳的な意味合いのものでは無かったはずです。 ところが、「では、真意とは何ぞや?」という部分まで考える人が、あまりにも少なかった。 結果、「喜びを素直に表現するのは悪いことではないと思う」(ダルビッシュ)などという類の頓珍漢な意見が次々に飛び出し、「だから相撲界は駄目なんだ」「面白くていいじゃん」「堅苦しいこと言うなよ」などという脱線意見を助長してしまいました。 挙句の果てが、「相撲界にもヒールは必要」「朝青龍がいないと相撲はつまらない」・・。 「稽古しようがしまいが、巡業サボってサッカーしようが、手刀をどう切ろうが、ダメ押ししようがガッツポーズしようが親方を殴ろうが、要は勝ちゃぁいいんだろ」。 朝青龍の犯した最大の「罪」は、ここにあったように思えてなりません。 ム●●ガワにも、心底失望しました。 「大相撲は大好き。でも組織は大嫌い」。 これ、「プロ野球」とそっくりおんなじです。 ひとつだけ違うのは、「昔好きだった野球人は、いつまでもずっと好き」でいられること。 「昔嫌いだった野球人も、月日経ってみたら好きになっていた」なんてことも、ままあります。 (私、松本匡史さんの解説が結構好きだったりします) 「昔好きだったお相撲さん」で、「今は大嫌いになってしまった人」が、大勢います。 これはただただ寂しく、残念でなりません。 「体力の限界!」。 千代の富士という力士を、私はあまり好きではありませんでした。 なのに、引退会見での姿。潔さ。 なんだか、「申し訳ありませんでした。お疲れ様でした」という気持ちになったものでした。 朝青龍は、とうとう最後の最後まで、微塵もそんな気持ちにさせてくれなかった。 「来るべきときが来た」「やはり”こう”なった」「遅すぎた」。 大相撲界そのものの惨状ともども、やはり哀しく・切なく・・です。 |
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