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「ドーム球場は嫌い。ボールが見えづらい」。 エエなぁナカタ! 最高やなぁ! 泣かせるなぁ・・!! そう、思っていたんですが・・。 どうやら、呑気に喜んでいる場合ではなくなってきました。 現在のパ・リーグは、ドーム球場がホームの球団が4つ(→嘆)。 ファイターズが「野外で」ゲームをするのは、アウェイのマリーンズ戦&イーグルス戦と、わずかな地方主催ゲームのみ・・。 なんだかやっぱり、「寂しい時代」。 ナカタもまた、「生まれた時代が悪かった」のでしょうか。 いやもちろん、コメントを額面どおりに解釈して将来を悲観しているわけではないのですが、やはり「現在のパリーグ」、なんだか切ないなあと、あらためて・・。 今度の日曜日、ファイターズ戦を観に行く予定です。 神宮球場。 青空がいっぱいに広がる、オープン・エアのスタジアムです。 それまではなんとか、一軍に残してやってほしかったよ。梨田さん・・。 |
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2010年03月10日
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4歳のとき脳膜炎でろう者になった輝一さんのために、母は線香の火で筆談し、空襲を知らせた。 当時の日本は、米軍機による夜間攻撃を避けるため、灯火管制下にあった。 闇の中では、相手の唇を読んで対話する口話も手話も役に立たない。 警報解除までの間、防空壕の中で妹たちと線香を使ってしりとりをして遊んだ。 いつも「カ、イ、ジ、ヨ」で終わった。 自宅は神田区(現・千代田区)にあった。 45年3月10日未明、眠っていると妹が馬乗りになってきて、身ぶりで窓を見ろと必死に訴える。 光が滝のように降り注いでいる。 美しくさえ思え、立ち尽くした。 (略) 通りに戻ると、熱気で息すら出来ない。 電信柱が燃えて、次々に倒れてくる。 神田川に飛び込もうとして、目を疑った。 川面には、胸から上だけを出す顔・顔・顔・・・。 炎が背後からどんどん迫ってくる。 飛び込み、石垣にしがみついて降ってくる火の粉を払い続けた。 5人家族の中で、助かったのは自分一人だった。 障害のある児童らも学童疎開の対象となったが、戦時下でどのように暮らし、どれほどの被害を受けたかについての資料は乏しい。 (毎日新聞 「子供は見ていた 警報下・線香の火で筆談」) 先日会社仲間と、最近話題の「歴女」の話をしました。 「”歴代の戦国武将のなかで誰に一番憧れるか?”なんて話で盛り上がったりするんだと(笑)。そんな、”観たこともない人間の話”でワーワーキャーキャーって、なんか可笑しいよね(笑)」・・。 「観たこともない人間&史実の話で盛り上がる」こと自体は、決して悪いこととは思いません。 興味を持ち、調べ、盛り上がる。憧れる。 いいことじゃないですか、と答えました。 野球の歴史の話をしているとき、「実際に観たことがないから話が出来ない」と言う友人が、います。 本だって資料だって、沢山あるじゃん。 俺だって、西鉄ライオンズも鶴岡南海も、当然知らない。観たことなんかあるわけない。 でも、資料はある。本や記録映像もある。 語り継いでくれる「生き証人」の先輩だって、いる。 自分で観たことにしか語る権利がないのなら、誰も恐竜の話が出来なくなるよ・・。 太平洋戦争については、やっぱりこの国に生まれた人間なら、少なからず関心を持たないといけない。 私はそう、思っています。 「実体験」なさった方が、年々減少しています。 我々はもっともっと、知りたい・知ろうと思わなければいけないと思います。 合掌。 |

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