|
マリーンズのゲームを生観戦出来る機会は、今シーズンこれが最後。 土曜日。行ってきました。 「力負け」「完敗」。 納得しました。 前日のエースでの敗戦で、精根尽き果てたのではないでしょうか。 なんだか元気がなく、精一杯が空回り・・という印象でした。 総合力。底力。 ライオンズは、1枚も2枚も上手でした。 厳しい戦力格差。 ここまで本当に、頑張ってくれました。 まだシーズンは終わっていないけれど、「大目標」については、潔く・・です。 あくまでも「個人的な願望」なのだけれど、「CSなんたら」には一切、関わってほしくありません。 なので、「3位がどうの」「Aクラスがどうの」には、まったく興味なし。 「優勝チームこそが、リーグを代表して日本シリーズを戦ってほしい」。 そう、願っています。 「太平洋クラブライオンズ・初(笑)優勝」を祈念しつつ、マリーンズの残り試合での健闘も、心から応援します。 定期券を電車内で落とし、コンタクトレンズを紛失。 「欠陥ドーム」のせいで頭がクラクラ、熱中症になりかけて。 散々な一日でしたが、試合後に「日本一のマリーンズ狂」である師匠にお会いして、楽しいお話をたくさん拝聴させて頂き、すべてをチャラにする美味いお酒が飲めました。 「川崎暗黒時代」「合併騒動」。 あの時代を思えば、少しも寂しくない。悔しくもない。 堀さんの思い出話。荻野貴司の経過レポート。 shinさま&aoutさま、本当にありがとうございました。 そう。 あえて「残念だったこと」を挙げるとしたら、「荻野貴司」だけ。 「100盗塁するんじゃないか」。 私が知る限り、福本さん以外でそんなことを言われたプレイヤーは、荻野しかいない。 1年通して、観たかった。 それだけが本当に残念・無念・・でした。 ありがとうマリーンズ。楽しいシーズンだったぞ。 リラックス。 残り試合も元気に、頑張ろう。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2010年09月12日
全1ページ
[1]
|
「コーチ・フロント入りの打診はしない」 「もし解説者として何年か過ごしたとしても、再びウチのユニフォームを着てもらうつもりはない」 チーム一の人気者・佐伯貴弘さんへの、アホ球団の対応。 信じられない。 「歯に衣着せぬ物言い」。 チームとファンを思っての、「悪者役」。誰からも愛された「わるもの」。 「正真正銘のわるもの」によって、チームを去ることになってしまいました。 「こんな球団、頼まれたって戻りゃせんよ」。 そう、言ってやってください。 やっぱり「最低の球団(フロント)」だ。あのアホ・チームは。 「平塚競輪のファンファーレ」は、もう聴けない。 寂しい。悔しいです。 これだけ長い間、ロッテにお世話になり、様々な良い思い出と経験をさせていただいたことに、今は感謝の気持ちしかありません。 球団からはフロントとしてロッテに残って欲しいというありがたいご提案を頂きましたが、自分の中では、まだ現役選手としてグラウンドに立ちたいという気持ちがあります。今後はトライアウトを受けるなどをして、現役続行の道を探していきたいと思います。 ロッテファンの皆様には23年間という長い間、スタンドから熱いご声援を頂き、心より感謝をしています。 来年も現役選手としてユニホームを着ることが出来るように、そして自分の中で悔いが残らないように精一杯頑張っていくつもりですので、今後も見守っていただければ幸いです。 「詳しい経緯」は、わかりません。 ただ、「ほぼ同じアホ」でも、”打診された”だけ、「よっぽどマシ」だったのかもしれません。 そう捉えるように、します。 そのほうが余程、「救い」がある。 「5月5日に、5打数5安打」。 「背番号45・堀幸一」の名を初めて知ったのは、藤井寺球場での「プチ鮮烈」からでした。 「川崎球場には、あまりいい思い出がない」。 そりゃ、そうでしょう。 雨が降ったら、ベンチに浸水。 バットをロッカーに置いて遠征し、戻ってきたらカビが生えている。 マッサージ室で寝転んでいたら、頭上からアスベストが。 グラウンドはボロボロ。スタンドには、数えられるほどのお客さんしかいない・・。 でも私は、「川崎球場時代の掘幸一」が、今でも大好きです。 「800万円の4番打者」。 ホームラン・20本。 20本目は、特大のサヨナラ・ホームラン。 さわやかな笑顔。女性ファンにも人気があった。 「将来のオリオンズを、背負ってくれよ」。 「苦節」・23年。 よく頑張ってくれました。耐えてくれました。 「堀は非常に優秀な野球人。ぜひともほしい」。 タイガース監督・ノムさんからの、打診。 サイン会で握手をしていただいたとき、思わず言ってしまった。 「もし阪神に行っても、頑張ってください。応援します」 「苦笑い」。 「まんざらでもないのかな」と・・でした。 「日本には、メジャーでも通用するプレイヤーが大勢いる。イチローもそうだが、私ならホリがほしい」 ニューヨークメッツ・ボビー。 「日本人初のフィールド・プレイヤー」になる可能性も、ありました。 今でも、「行ってほしかったな」と、思う。 残念で仕方がありません。 いや・・・。 「初」ではなくなったけれど、まだ「なる可能性」なら・・あるよね。 「アメリカの野球を体験出来たことは、本当に大きな財産になりました」。 仁志敏久。 WWEプロレスで大ブレイクした、ヨシ・タツ選手との対談。 穏やかな、とてもいい顔をしていました。 「逆転満塁ホームラン」。 密かに・コッソリ、期待しています。 「オリオンズの残り香」。 初芝清さんと堀幸一さんは、私にとって「特別な選手」でした。 どこに行っても、これからもずっと、応援します。 |
全1ページ
[1]






