人生いろいろ

せなぱぱさん、ありがとう。3年ぶりのブログです。これからまた、宜しくお願いします。

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「人生に、寅さんを」

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「誕生日のプレゼント」に、頂戴しました。

なんだかちょっと粋で、微笑ましい贈り物。
ありがとうございます。


しみじみと読み耽っていたとき、携帯電話が鳴りました。
「待ちに待っていたメール」でした。



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お誕生日のプレゼントや、旅行先からのお土産。
いつも優しいお心遣い、本当にありがとうございます。

でも実は、いつも心を痛めていました。

私、彼氏がいます。

会社では、誰にも知られたくないので言えませんでした。
だからこれは、皆さんには内緒にしておいてください。

これからも、今までのように接して頂ければ幸いです。



「俺には、むずかしいことはよくわからねぇけどね、あんた、幸せになってくれりゃいいと思ってるよ」

「そりゃこっちが惚れてる分、向こうもこっちに惚れてくれりゃ、世の中に失恋なんてなくなっちゃうからな。そうはいかないもんな」


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「男ってものはな、引き際が肝心よ」

「泣きな。いくらでも、気のすむまで泣いたらいいんだよ」

「寂しさなんてのはなぁ、歩いてるうちに風が吹き飛ばしてくれらぁ」


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日本の男は、そんなこと言わないよ。

何も言わない。眼で言うよ。

お前のこと愛してるよ。

すると向こうも眼で答えるな。

悪いけど、私あんたのこと嫌い。

するとこっちも眼で答えるな。

わかりました、いつまでもお幸せに。

そのままくるっと背中を向けて、黙って去るな。

それが日本の男のやり方よ




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「男が女に惚れるのに、歳なんかあるかい」

「自分を醜いと知った人間は、決してもう醜くねぇって」


「クサちゃん、元気出せえ! じゃあ、例のお見合い話、進めよっか! ね!!」

会社の先輩(♀)です。

ありがとう。
まだまだ全然、「醜いアヒル」のまんまだけど。
頑張りますよ。


ブログも、本格的に再開します。

ご無沙汰ばっかり。
返信も出来てません。
本当に本当に、ごめんなさい。

頑張ります。
何卒、よろしくお願いいたします。



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「思ってるだけで何もしないんじゃな、愛してないのと同じなんだよ。愛してるんだったら、態度で示せよ」


「私は好きになった人には、みんな告白したよ。だから駄目だったものも、みんないい思い出だよ」。

オダちゃん、ありがとう。
とりあえず、アホはアホなりに、頑張ったつもりです。

俺はやっぱり、「寅さん」なんだな。

いや。とんでもないな。

寅さんの言葉には、「人間が人間として人間らしく生きていくために必要なもの」がぜんぶ、詰まっている。
その言葉を受けたすべての人を幸福にする、「ぜんぶ」が。

修行がぜんぜん、足りない。
いい歳をして。


「困ったことがあったらな、風に向かって俺の名前を呼べ」

呼ぶよ。
本棚に、「ぜんぶの寅さん」が入ってるからね。


頑張ります。
頑張ろう。

森孝慈さん

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90年の11月4日、それは冷たい雨の日曜日だった。

その日、三菱は89−90シーズンの日本サッカーリーグ第2節、NKKとの試合を東京の西が丘サッカー場で行っていた。

三菱にとってはこのシーズン初めての「ホームゲーム」だったが、観客はわずか300人。

三菱は広瀬治のゴールで1−0で勝った。

2部から復帰後の初勝利だったが、試合は押しまくられ、寒々としたスタンドは2年後にプロになることなどとても想像できないものだった。


Jリーグ「浦和レッドダイヤモンズ」が本格的なスタートをきったのは、1992年。

私は、新卒の社会人1年生として、東京・池袋から埼玉県への通勤を開始していました。
通勤途中、いつもラジヲで「NACK5」(埼玉FM)を聴くようになった。

「浦和レッズは、県民みんなのクラブです。みんなで育ててやってください」。

人気のパーソナリティ氏が毎朝毎朝、「浦和レッズ・浦和レッズ」と、連呼する。


「浦和レッズ」。
プロ野球のチーム名がみな企業名であることにウンザリしていた身にとって、この名前はとても新鮮で、親しみを覚えるのにもそう時間はかかりませんでした。


いいな、浦和レッズ。

「観客数は、おそらくスタンドの6割か7割。プロ野球のパリーグより、少し多い程度になるだろうと思います。皆さんの力が必要なんです」

よし。応援しよう。応援しますよ。


「監督は森」「エースは福田」「ヴェテランの名取」「テクニシャンの広瀬」・・
一生懸命、監督や選手の名前を憶える。特徴を勉強しました。


いくら「サッカー音痴」でも、川崎(読売)や横浜(日産)が強豪であることくらいは、知っていました。

「我が浦和レッズは、2強に対抗しうるに充分なクラブです!」

おお!すごいじゃないか!!
そういえば三菱って、たしかサッカー界では名門だったはず・・だよな。


プロ野球は、タイガースとオリオンズのファン。
「万年Bクラス」。
「揃って最下位」なんて、日常茶飯事。

せめてサッカーくらい、強くて格好良いチームを応援したいもん・・なぁ。


嗚呼!なのに・・。


「3年分、負けた!」

ダントツの「最下位」。
来る日も来る日も、負けばかり。

やっぱり俺は、「こういうチーム」を応援するのが「さだめ」なのか・・。

いや、でも、怒れない。怒らない。
むしろどんどん、「浦和レッズ」が好きになっていきました。

ヴェルディ許せない。
今にみていろ。

森孝慈さんの苦悩の表情をみるたび、いつもいつも、そう思いました。




「プロになるって言ったって、今日のウチの試合、観衆300人だったんですよ・・」

そんなところから、「いまのレッズ」は生まれました。

「産みの親」は、森孝慈さん。
だから、負けても負けても、サポーターは我慢した。

「負けているから同情した」んじゃない。
「森さんだから我慢した」んだ。


元・日本代表監督。
日本サッカーが、史上初めてワールドカップをあと一歩のところまで手繰り寄せたときの、監督さんです。
「ドーハの前」。
まだ、「プロなんて考えられなかった時代」のお話です。



7月18日。
「なでしこ」が、日本サッカー史上初の大快挙。

これ、たぶん「偶然」じゃないと、思います。
日本サッカーを支え、守り、大きく育ててくれた功労者への、「はなむけ」だったんだ。

きっと、そうだ。
そう思います。


「サッカーなんか大嫌い」で育った私に、その素晴らしさを教えてくれたのは、浦和レッズでした。

だから「自分の誕生日が命日」、
あえて「誇りに思います」と、哀悼の意を表したいと思います。

石原裕次郎さんと「おんなじ」なんですよ。森さん。




今週末は、「浦和レッズVSヴァンフォーレ甲府」。

埼玉スタジアム。

行きますよ。
「浦和レッズを倒したい。泣きたい」が、私の最大の「夢」だから。

「憎い」んじゃないよ。
憎いわけなんか、ないでしょう。

「浦和レッズへのオマージュ」「森さんへのオマージュ」です。



合掌。




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