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「誕生日のプレゼント」に、頂戴しました。 なんだかちょっと粋で、微笑ましい贈り物。 ありがとうございます。 しみじみと読み耽っていたとき、携帯電話が鳴りました。 「待ちに待っていたメール」でした。 お誕生日のプレゼントや、旅行先からのお土産。 いつも優しいお心遣い、本当にありがとうございます。 でも実は、いつも心を痛めていました。 私、彼氏がいます。 会社では、誰にも知られたくないので言えませんでした。 だからこれは、皆さんには内緒にしておいてください。 これからも、今までのように接して頂ければ幸いです。 「俺には、むずかしいことはよくわからねぇけどね、あんた、幸せになってくれりゃいいと思ってるよ」 「そりゃこっちが惚れてる分、向こうもこっちに惚れてくれりゃ、世の中に失恋なんてなくなっちゃうからな。そうはいかないもんな」 「男ってものはな、引き際が肝心よ」 「泣きな。いくらでも、気のすむまで泣いたらいいんだよ」 「寂しさなんてのはなぁ、歩いてるうちに風が吹き飛ばしてくれらぁ」 日本の男は、そんなこと言わないよ。 何も言わない。眼で言うよ。 お前のこと愛してるよ。 すると向こうも眼で答えるな。 悪いけど、私あんたのこと嫌い。 するとこっちも眼で答えるな。 わかりました、いつまでもお幸せに。 そのままくるっと背中を向けて、黙って去るな。 それが日本の男のやり方よ 「男が女に惚れるのに、歳なんかあるかい」 「自分を醜いと知った人間は、決してもう醜くねぇって」 「クサちゃん、元気出せえ! じゃあ、例のお見合い話、進めよっか! ね!!」 会社の先輩(♀)です。 ありがとう。 まだまだ全然、「醜いアヒル」のまんまだけど。 頑張りますよ。 ブログも、本格的に再開します。 ご無沙汰ばっかり。 返信も出来てません。 本当に本当に、ごめんなさい。 頑張ります。 何卒、よろしくお願いいたします。 「思ってるだけで何もしないんじゃな、愛してないのと同じなんだよ。愛してるんだったら、態度で示せよ」 「私は好きになった人には、みんな告白したよ。だから駄目だったものも、みんないい思い出だよ」。 オダちゃん、ありがとう。 とりあえず、アホはアホなりに、頑張ったつもりです。 俺はやっぱり、「寅さん」なんだな。 いや。とんでもないな。 寅さんの言葉には、「人間が人間として人間らしく生きていくために必要なもの」がぜんぶ、詰まっている。 その言葉を受けたすべての人を幸福にする、「ぜんぶ」が。 修行がぜんぜん、足りない。 いい歳をして。 「困ったことがあったらな、風に向かって俺の名前を呼べ」 呼ぶよ。 本棚に、「ぜんぶの寅さん」が入ってるからね。 頑張ります。
頑張ろう。 |
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2011年07月18日
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90年の11月4日、それは冷たい雨の日曜日だった。 その日、三菱は89−90シーズンの日本サッカーリーグ第2節、NKKとの試合を東京の西が丘サッカー場で行っていた。 三菱にとってはこのシーズン初めての「ホームゲーム」だったが、観客はわずか300人。 三菱は広瀬治のゴールで1−0で勝った。 2部から復帰後の初勝利だったが、試合は押しまくられ、寒々としたスタンドは2年後にプロになることなどとても想像できないものだった。 Jリーグ「浦和レッドダイヤモンズ」が本格的なスタートをきったのは、1992年。 私は、新卒の社会人1年生として、東京・池袋から埼玉県への通勤を開始していました。 通勤途中、いつもラジヲで「NACK5」(埼玉FM)を聴くようになった。 「浦和レッズは、県民みんなのクラブです。みんなで育ててやってください」。 人気のパーソナリティ氏が毎朝毎朝、「浦和レッズ・浦和レッズ」と、連呼する。 「浦和レッズ」。 プロ野球のチーム名がみな企業名であることにウンザリしていた身にとって、この名前はとても新鮮で、親しみを覚えるのにもそう時間はかかりませんでした。 いいな、浦和レッズ。 「観客数は、おそらくスタンドの6割か7割。プロ野球のパリーグより、少し多い程度になるだろうと思います。皆さんの力が必要なんです」 よし。応援しよう。応援しますよ。 「監督は森」「エースは福田」「ヴェテランの名取」「テクニシャンの広瀬」・・ 一生懸命、監督や選手の名前を憶える。特徴を勉強しました。 いくら「サッカー音痴」でも、川崎(読売)や横浜(日産)が強豪であることくらいは、知っていました。 「我が浦和レッズは、2強に対抗しうるに充分なクラブです!」 おお!すごいじゃないか!! そういえば三菱って、たしかサッカー界では名門だったはず・・だよな。 プロ野球は、タイガースとオリオンズのファン。 「万年Bクラス」。 「揃って最下位」なんて、日常茶飯事。 せめてサッカーくらい、強くて格好良いチームを応援したいもん・・なぁ。 嗚呼!なのに・・。 「3年分、負けた!」 ダントツの「最下位」。 来る日も来る日も、負けばかり。 やっぱり俺は、「こういうチーム」を応援するのが「さだめ」なのか・・。 いや、でも、怒れない。怒らない。 むしろどんどん、「浦和レッズ」が好きになっていきました。 ヴェルディ許せない。 今にみていろ。 森孝慈さんの苦悩の表情をみるたび、いつもいつも、そう思いました。 「プロになるって言ったって、今日のウチの試合、観衆300人だったんですよ・・」 そんなところから、「いまのレッズ」は生まれました。 「産みの親」は、森孝慈さん。 だから、負けても負けても、サポーターは我慢した。 「負けているから同情した」んじゃない。 「森さんだから我慢した」んだ。 元・日本代表監督。 日本サッカーが、史上初めてワールドカップをあと一歩のところまで手繰り寄せたときの、監督さんです。 「ドーハの前」。 まだ、「プロなんて考えられなかった時代」のお話です。 7月18日。 「なでしこ」が、日本サッカー史上初の大快挙。 これ、たぶん「偶然」じゃないと、思います。 日本サッカーを支え、守り、大きく育ててくれた功労者への、「はなむけ」だったんだ。 きっと、そうだ。 そう思います。 「サッカーなんか大嫌い」で育った私に、その素晴らしさを教えてくれたのは、浦和レッズでした。 だから「自分の誕生日が命日」、 あえて「誇りに思います」と、哀悼の意を表したいと思います。 石原裕次郎さんと「おんなじ」なんですよ。森さん。 今週末は、「浦和レッズVSヴァンフォーレ甲府」。 埼玉スタジアム。 行きますよ。 「浦和レッズを倒したい。泣きたい」が、私の最大の「夢」だから。 「憎い」んじゃないよ。 憎いわけなんか、ないでしょう。 「浦和レッズへのオマージュ」「森さんへのオマージュ」です。 合掌。 |
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