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私の職場の、イトウ君。 会社では先輩に当たりますが、年齢は3つ下。 大柄で、ややメタボ体型。顔も「コワモテ」。 仲間とも、必要以上には群れない。一匹狼タイプ。 感情の起伏が激しくて、機嫌を損ねると手がつけられない。 周囲とのトラブルも、少なからず起こしました。 「みんなと協調出来ないなら、もう辞めてもらいたい」。 温厚な上司・ノダさんも、ついに決断。 全員を集めて、話し合いを行いました。 本当は、寂しがりやだったんだ。 ウソが嫌い。つけない。 人に媚びない。媚びたくない。 ヨイショなんかしない。 家族思いで、情にも厚い。 でも不器用で、表現が下手。 ただ、それだけだったんだ。 すぐにそう、わかりました。 以後、すっかり別人のように明るく・爽やかになって、みんなと打ち解けています。 「イトウ君って、なんとなくロッテにいた伊良部のイメージなんですよね」。 野球好きの先輩にそんなことを言って、「ああ、わかるわかる(笑)」なんて同意されたことが、あります。 「米国に住む父に、ひと目会いたい。だから、メジャーリーガーになりたいんです。有名になれば、新聞記事が父の目にも留まるかもしれない」。 そう。 きっと伊良部秀樹も、「ほんとうは・・な人物」だったんじゃないかな・・と、ずっと思っていました。 帽子もグラブも、スタンドへ。 ファン?への唾吐き。倒産。逮捕歴。 「傍若無人」。 メディアが作り上げた、イメージ。 売れますからね。そのほうが雑誌も新聞も。 「メジャー移籍の際のトラブル」。 どのメディアも、意図的に「マリーンズ球団擁護」で一致。 「真相」をきちんと理解しているファンは、とても少ない。 でも本当は、そんなことすべてが「どうでもいい」んです。 我々野球ファンが選手に求めることは、「野球そのもので魅了してくれること」だけ。 紳士である必要なんかない。 いや、紳士なんかでなくていい。ないほうがいい。 そのほうが、ずっと面白い。 1989年10月13日。川崎球場。 負ければ、優勝の可能性がほぼ無くなる状況に追い込まれた、ブレーブス。 2点ビハインド。 8回表・1死満塁。 4番・門田、5番・石嶺。 最後のチャンス。 ペナントのすべてを決める場面で、伊良部秀樹が登場しました。 門田さんに投げた、渾身のストレート。 ボッテボテの、投手ゴロに討ち取られました。 複雑な思い。 「悔しさ」と、「凄いボール投げるじゃないか!」とが、交錯して。 今でもハッキリ、思い出せる。 忘れられません。 「伊良部を何とかしたい。一人前にしたい」。 監督就任会見で、八木沢荘六さんはそう、仰った。 だから彼は、「名監督」だ。 私は今でも、そう思っています。 1995年8月。 マリンスタジアム。ブルーウェーブ戦。 「一生の思い出になる対決」を確信して、ネット裏5000円の席を奮発。 VSイチロー。「145キロのフォーク斬り」。 天を仰ぎ、笑顔のイチロー。 「エエもん観た。5000円、高くなかった」。 今でもときどき、「自慢話」にします。 シアトルのバーでこの話をしたら、誰かがお酒をご馳走してくれるかもしれません。 1995年・秋。神戸グリーンスタジアム。 8時間も並んで、「仰木監督の胴上げ」を観に行った。 試合が進むにつれて、気持ちがどんどん、変化した。 鬼気迫る表情。 文字通り、孤高のマウンド。 「伊良部頑張れ! 負けるな!!」・・。 どのシーンも、忘れられない。何年経っても。 すべてが、私の「一生のたからもの」です。 誰がなんと言おうと、それだけは変わらない。 なんの慰めにもならんだろうけど、「同じ思い」を抱いて生きている野球ファンは、きっと大勢います。 馬鹿野郎だ。貴方は。 合掌。 |
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2011年07月30日
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