高知の宿毛でキャンプをしているとき、(ヤクルトの)監督を辞めて評論家になった広岡君が姿を見せたので、「ホラ、キミ(マニエル)の大好きな人が来たぞ」とからかったら、「あの後ろにいる人(森祇晶氏)には、もっと会いたくない」って(笑)。 ヤクルト時代は、何時に起きて朝食には何を食べろって、全部命令されていたらしい。 それに比べれば近鉄はプレーしやすかったのかもしれないね(笑)。 あのリーグ優勝した頃、北海道の女学生からファンレター、もらいましてね。 それが今でも忘れられんのですよ。 「私は、勉強も出来ない、顔も美しくない、スタイルもよくない。日頃、落ち込んでいる」と書いてきた女の子です。 それが「近鉄の選手の姿を見ていたら、コツコツ積み重ねていけば、いつか何かができるんだと思うようになりました」と書きつづっていた。 うれしかったですよ。 「エリートではない、無名の人たちが固まって一所懸命にここまで来たことに感動します。私も頑張ってみます」と。 そりゃあ、もっと勝ちたかった。 でも、その女学生が感動してくれたようなチームでやってこられたことを、私自身が何よりも感謝していますね。 (西本幸雄さん) 近鉄というチームは記憶にすごく残るミラクルが多い。 何をしでかすか分からんチームでした。 弱いときはとことん弱いし、いいときは僕らが何もせんでも選手が踊って勝っていく。 日本一がないのに、これだけ印象的なシーンが多い球団も珍しいんじゃないですか。 (梨田昌孝さん) 近鉄は最高です。誰が離れますかいな。こんな雰囲気のいいチームを。 (北川博敏) 近鉄というチームは、12球団でも一番選手がプレーしやすいチームだったんじゃないかと思います。 上から選手を押さえつけたり、規則で縛られることもほとんどなかったですしね。 ユニフォームを脱いだらみんなバラバラでも、試合になって勝つと抱き合って喜べる。そんなプロらしいチームでもあったと思います。 (中村紀洋) 当時は、西武が管理野球で勝っていた。 あれが西鉄の流れをくむサムライの集まりと言われてもピンとこなかった。 一度、二軍監督をしていた滝内(弥瑞生)さんに食事に連れていってもらったとき昔の西鉄の話を聞いたんですけど、そこで思ったのは関口(清治)さん、仰木さん、中西さん、滝内さんはみんな西鉄OB。ああ・・・近鉄みたいなチームが昔で言う西鉄の野武士野球なんだな、と。 (立花龍司さん) いろんなことがありましたけど、やっぱり近鉄に入ってよかった。 最初は眼中になかった、「No Like」やったチームが、入ってみたら好きになって 「Like」に変わり、10年、15年と過ごしていくうちに、好きを通り越して 「Love」になり、そして最後は、「感謝」の一言に変わったという、そういう感じなんですよ。 (鈴木啓示さん) しょっちゅう代走をさせられました。 ある時には”偵察投手”というのも。 僕の先発と分かったら、相手が偵察選手をパタパタと左打者に代える。 すると三原さん、僕が一人打者を討ち取っただけで左投手と交代を告げるんです。 あそこで打たれて敗戦投手になるかもしれないのに。酷いことするなあ(笑)。 試合前の練習でもプンプンに酒臭い。先輩たちは門限破りは当たり前。 僕がその手助け役でした。 夜中にコウジ、コウジと呼ぶ声がして、土井さんたちが塀をよじ登って2階の僕の部屋に侵入するんです。 近鉄はそんな逸話を持つ最後のチームだと思います。 (太田幸司さん) 俺は、西本さんに向かっていったことがあったなあ。 日生球場で俺がセカンドランナーにいた時にセンター前ヒットでホームに帰れないことがあった。 西本さんにしたらホームへかえって来れると思ったらしくて、ベンチに戻ったら「この野郎、手抜きしやがって!」って怒鳴るから「抜いてないです」って答えた。 そしたら、また「手抜きしやがって!」って怒鳴るから「抜いてないです」。 それでも、もう一回「手抜きしやがって!」って来たから思わず「抜いてねえって 言ってんだろ、この野郎!」って(笑) (栗橋茂さん) 僕は、相手球団のヤジっていうのは意外と大丈夫だったですよ。 それより近鉄ファンから一斉攻撃でやられる方がきつかった。 (10月19日は)もうね、ゲッツーにになった瞬間は、ベンチに帰りたくなかった。 乗り物でもあったら、そのままベンチに帰らんと、どっか行きたかった。 (羽田耕一さん) 三原(脩)さんが近鉄の監督になる時(68年)、実は助監督で戻ってこいと誘われた。 その時はこの人の真意が分からんので断ったが、いまにして思えば引き受けるべきだったなあ。 三原さんはワシに”やり残したことをやってみろ”というサインを出してくれたんや。 (千葉”猛牛”茂さん) 周りからはお荷物だとかいろんなことを言われて、世間の風当たりは強かったけど、それで反発したり、奮い立ったり、中での結びつきは強かったですね。 僕はパールスと言うチームに愛着を持ってました。学生自分からバッテリーを組んでいた根本(陸夫)は、「ボロはまとえど心は錦」なんてよく言ってましたよ。 パ・リーグで今まで親会社が変わらなかったのは、近鉄だけです。 あの弱いチームをよくずっと我慢して、継続してきてくれたなと思います。 今回、近鉄の人たちは本当につらい思いをして球団を手放すんだと思いますよ。 喜んで手放しているわけではない。これは僕が一番よく知っています。 いい思いをしたのは何回もないのに、それでも続けてくれたことには、感謝しなきゃいかんなと僕は思います。 (関根潤三さん) 「さらば大阪近鉄バファローズ」(ベースボールマガジン社・2004年刊)。 何度読んでも、どこから読んでも、快哉を叫びたくなる。泣けてくる。 「絶版」。無念。 ひとりでも多くの野球ファンに、読んでもらいたかった・・と思っていたら、もうまもなく「改訂版」、発売の予定なんだそうです。 嬉しいなあ。ありがとう。 2012年・8月4日。「近鉄バファローズ復活祭」。 多くの人びとの「それぞれのバファローズ」を想いながら、”奇跡の軍団”をいま一度、偲んでみたいと思っています。 「いまはまだええで。10年もたてば、いまの子供が南海を知らんのと一緒で、バファローズがパールスの世界になってしまう」(光山英和さん)。 頑張ります。 命ある限り、語り継ぐために。 |
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2012年08月01日
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