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石川県在住の叔母が、亡くなりました。 オフクロの妹さん。まだ68歳でした。 母方の兄妹は母を含めて6人ですが、訃報は30年前に亡くなった伯父以来でした。 あまりに急な出来事で、金沢に向かうことになった、オフクロ。 東京駅まで送る道すがら、亡くなった伯父のことを改めて聴いてみたくなりました。 この間ね、西鉄の稲尾さんの追悼イベントがあったんだ。 そのときになぜだか、死んだ伯父さんのこと、思い出したんだよ。 伯父さんの記憶ってほとんどないんだけど、たしか西鉄のファンとか言ってたような気がするんだ・・・。 兄さんのこと、思い出してくれたんかい。 そう、兄さんはほんと、西鉄ライオンズと稲尾さんが大好きだったよ。 なんでって・・? 兄さん、伯父さんね、九州の小倉で働いてたこともあったの。出稼ぎでね。 ちょうど、稲尾さんが西鉄に入ったころじゃないかな。昭和30年ごろだったから。 知らなかった? 言ったこと、なかったかもねぇ・・。 伯父さんが生きてたらいま何歳だったって? 稲尾さんと同じだよ。75歳。 だから、同い年だし、いつも眠たそうな顔も自分とソックリだって、稲尾さんが大好きになったのね。 いっつも、稲尾稲尾・西鉄って言ってたよ。 私も、稲尾さんが一番好きだったな。今でも、稲尾さんが一番好き。 伯父さんの影響があったのかも、しれないねぇ。 伯父さん、昔っから野球が好きな人だったねぇ。 ひとりで鉛筆転がして、「川上打った!大下打った!」って、言ってたねぇ ・・。 とにかくよく、働いた人だったよ。 小倉もそうだし、愛知県にもいたのかな。 一度金沢に帰ってきたけど、こんどは大阪。 そうしたら今度は、近鉄のファンになっちゃって。 西鉄も無くなっちゃってたし、ちょうど近鉄が強くなってきたとか、そんなころだったのかな。 いつも会社帰りに、近鉄観てたって。 「近鉄の試合は、酒飲みながら横になってゴロゴロして観られるのがいい」って・・(笑)。 伯父が亡くなったのは、私が小学校3年生くらいのころ。 記憶が定かではありませんが、昭和56年だったように、記憶しています。 「食べ物は粗末にしたらイカン! 全部しっかり食べろ!」 「全部食べ終わるまで、遊びは禁止!!」・・ 伯父にはなんだか、「叱られていたときの記憶」しか、ありません。 でも、かすかに憶えていた「西鉄&近鉄が好きだった」は、やっぱり記憶通り・・でした。 そういえばこの30年、ただの一度もオフクロに「伯父と野球のこと」、尋ねたことがなかった。 なんだか叔母のことも含めて、しんみりしてしまいました。 「伯父さん! 西鉄と近鉄のユニフォームの試合、観て来たよ!」 金沢までぶっ飛んでいって、伯父と一緒に酒を酌み交わす。 珠玉のお話を朝まで拝聴しながら、至福のひとときを過ごす。 生きていてほしかったよ、伯父さん。 何を今さら、30年も経ってから、そんなことを想ってしまいました。 聴きたかったな。「昔語り」。 九州のライオンズのこと。日生球場のバファローズのこと・・。 伯父さんきっと、喜んでくれただろうな。 「ダラ!! そんなことしとる暇あったら、はよヨメもらえ!!」 ・・やっぱり、叱られたのかもしれませんけど・・ね。 「西鉄ライオンズと近鉄バファローズ」。 三原脩さんが「秘蔵っ子」仰木彬さんを引き連れて来て。 西本幸雄さんは、「親友」・関口清治さんを。 仰木彬さんは指揮官になって、中西太さんを。 そうそう、滝内弥瑞生さんや豊田泰光さん(1年だけコーチ)も。 近鉄バファローズが、いわゆる弱体球団から脱却し、「豪放磊落」というチーム・カラーで野球ファンに認知されるようになったのは、三原さん→西本さん(関口さん)の時代からです。 これはすなわち、「西鉄DNAの注入開始」の時期に、当たります。 そして、仰木さん&中西さんが、総仕上げとして「逆転&ドラマチックなチーム」を作り上げ、「伝説の球団」に仕立て上げた。 「野武士のDNA」は、西武ライオンズではなく、近鉄バファローズに受け継がれたのだと、私は今でも信じて疑いません。 そんな話も、してみたかったよ。伯父さん。 満面笑みで、「同意」してくれたんじゃないかな。 そう、思います。 「1988年10月19日」。 もし、オリオンズの監督が「稲尾さんのママ」だったら。 バファローズの「運命」、絶対に変わっていたんじゃないか。 そんなこともまた、思いました。 少なくとも、あんな「非常識な抗議」は、絶対に有り得なかったもの・・ね。 8月4日。近鉄バファローズVSオリオンズ。 伯父さんの愛した日生球場では、ないけれど。 行くよ、伯父さん。 |
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2012年07月14日
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オフクロが不在で「ひとりぼっち」の親父に付き合って、NHK−BSの甲子園中継、観ていました。 2−2の同点。延長10回ウラ2死。 試合時間は、開始から「3時間27分経過」という状態・・でした。 ここでスワローズベンチは、荒木投手コーチをマウンドへ送りました。 「3時間半ルール」「引き分け狙い」。 「カチ〜〜ン」と、きました。 「プッツン」(死語)、しました。 「3時間半ルール」。 実に、くだらないです。馬鹿げています。 一体、なんのつもりなんでしょう??野球界は。 ベースボールというスポーツは、断じて「時間で区切るスポーツ」なんかでは、ないんです。 サッカーやバスケのように、「ひたすらに走り回っている&動き回っている競技」では、ないんです。 「時間なんて無制限。決着つくまで、トコトンやれ」。 そういうスポーツなんです。 スコアボードの時計を観ながら、ニヤニヤしている選手たち。スワローズ・ベンチ。 「ぷっつん」。 「天罰、下せ」。そう、思いました。 鳥谷敬が、鮮やかにレフト戦へ。 不思議なイレギュラー・バウンドをしたボールに戸惑う、ミレッジ。 それを観ながら全力で駆け抜けてきた大和が、イスカンダルから見事に生還・・しました。 親父と、「乾杯」。 別に、タイガースの勝利が嬉しかったわけでは、ありません。 「野球の神様の”制裁”」が、なんだか微笑ましかっただけ・・です。 それにしてもやっぱり、「こうしえん」は・・いいな。 行きたいです。く〜ちゃんさん。 やめちまえ、「3時間半」。 「電気は、じゅうぶんに足りている」んですから。 そうでなくても「再稼働」、するんでしょう??(怒) 関電さん。 ドーム球場で真昼間から電気点けて試合していて、何が「節電」なものか・・! |
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