人生いろいろ

せなぱぱさん、ありがとう。3年ぶりのブログです。これからまた、宜しくお願いします。

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日々の生活での出来事を、チョコチョコ書いていきたいと思います。

何かアドバイスをいただけること等ございましたら、ご教授、お願いいたします。。
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お盆休み

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(↑年の差、「93」)

13日から今日まで、「お盆休み」でした。
金曜から土曜までは外出、日曜&今日は、寝てばかり・・でした。


墓参りは、初旬に既に済ませました。
(京都にお盆に行くのは自殺行為。電車もバスも大混雑しますし、何より暑すぎます)

最近、「100歳詐欺」(?)が話題になっていますが、我が祖母はあと2年で「正真正銘の100」になります。
5歳の姪っ子に、「ふたりの婆ちゃん」がいる。凄いことです。


お墓はやっぱり、自宅近辺にあってくれたほうがいいなぁ・・などと思いながら大阪の町を歩いていたら、マント様から(毎々ながら素敵すぎる)メールを頂戴しました。



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♪ 鴨川流る 京はふるさと
春は花灯路(はなとうろ)の東山でした

祇園囃子が響く夏にも
送り火に揺られて
永遠(とわ)にあなたは眠る

帰らぬ人への想い出溢る場所
幾千年もの涙の別れ道 ・・


「京都物語」。
桑田夫妻・・ですね。

「京都で生まれました」って、やっぱり誇らしいこと・・なんだよな。
本当に、ありがとうございました。



大阪&盆休みのこと、またゆっくり記事にします。
大変にお世話になったくーちゃん様(本当にありがとうございました)との素晴らしいお時間のことも、絶対に書かなければなりません。


パソコンの状態は、悪化する一方。
すぐフリーズするわ、落ちるは・・(嘆)。
いよいよ、本気で買替えを検討しないといけなくなりそうです。

今晩は冷房温度を17℃に設定して、少しでも返信&訪問します。

いつも本当にごめんなさい。ありがとうございます。



「終戦の日」

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忘れもしません、あれは昭和二十年五月二十四日のことです。

その日も僕は勤労奉仕の帰り、会社のバスで築地まで送ってもらい、いつも人で溢れかえっている銀座で友達とブラブラ歩いて有楽町の駅まで来ました。

当時の有楽町駅はホームがひとつで、山手線も京浜東北線も一緒でした。
僕はいつも品川回りで原宿の家に帰っていました。

ところがその日は、ホームに立ったところで考えた。
「金がなくなっちゃったな。親父の所へでも行って、小遣いでももらおうかな?」

その頃親父は東京から疎開して埼玉県の浦和に住んでいました。
原宿の家に住んでいたのは兄貴夫婦と僕だけ。

そこに電車が入ってきました。
たまたま、大宮方面に向かう京浜東北線。
それまでどっちの電車に乗ろうか迷っていたのですが、大宮方面の電車が先に来たのでひょいと飛び乗ってしまいました。


浦和の親父の家で風呂を浴びて、縁側で浴衣姿で寛いでいると、東京の方の空が真っ赤に染まっています。
その頃は毎晩のように東京に空襲がありましたが、特にその日は激しいようでした。
親父と「東京は真っ赤だぞ。ひでえなぁ」などと、言葉を交わしていました。

物の本によれば、この日B29が五百六十二機もの編隊で東京山の手に飛来して、渋谷、目黒、大森、蒲田、荏原一体に焼夷弾をばら蒔き、一面を焼け野原にしてしまったとか。

この空襲で、原宿の家にも焼夷弾が五発も落とされていたのですが、そんなこと知る由もありません。


翌日、浦和から有楽町まで来たところで電車が動かなくなり、仕方なく原宿までは歩いて帰りました。

歩く道々、ひどい光景でした。
一面焼け野原で、都内が一望できたんですから。

家に帰るなり、兄貴夫婦に言われました。
「お前、いい時に家を空けたな。焼夷弾が屋根を突き破って五発二階に落ちてきて、畳に突き刺さったんだぞ」。

僕はいつも二階の部屋に寝ていたので、いつものように家に帰っていたら死んでいたかもしれません。

そして、もしあの日、有楽町駅のホームに先に山手線の品川方面行きが入ってきたら、僕はその電車に乗って原宿の家に帰っていたでしょう。


人間の運命なんて、本当にわかりません。


「野球ができてありがとう」(関根潤三 小学館文庫・刊)



「あの日 昭和20年の記憶」

昨年に引き続き、NHKで再放送されていました。
NHKでは戦争特番をいくつも放送していましたが、そのほとんどが「再放送」。
証言者が年々減少しているため、新たな番組作りが困難になってきているのやもしれません。

「あの日」は、各界の著名人の方々による、8月15日の回想録。
関根潤三さんもご出演なさっていました。


「天皇陛下が今日、重大な発表をするらしい」と、聞いたのです。

「きっと本土決戦になって、一億玉砕しろって言うんだろう。いよいよだな」と、僕らは覚悟を決めました。

電車を待つ間、鬼怒川駅の土手に座っていると、街頭スピーカーから玉音放送が流れてきました。
そして、初めて日本が降参して戦争に負けたことを知ったのです。
全く予想もしていなかった事態に、とにかく驚きました。狼狽えました。

列車を乗り継いで、ようやく皇居の二重橋前の広場まで辿り着きました。

広場は人、人、人で、足の踏み場もありません。
人垣の中では、腹を切っている人もいたようでした。

(同)


銀座に行ってみたんです。そうしたら、びっくりした。

こっちはもう、みんながみんな、華やいだ雰囲気になっていたんです。

みんなゲートルも外してる。男女のアベックもいっぱい。
当時は、男と女が連れ添って歩くなんて許されなかった時代です。それがもう、アベックばっかり。

宮城(皇居)では静まり返って、みんなが肩を落としているのに、こっち(銀座)は大賑わい。

一体、どうなってるの? どっちが本当なの?って、面喰らいましたね。

「あの日 昭和20年の記憶」


もうひとつの、「終戦の日」・・。





「人生二十年。本土決戦になったら竹槍持って、アメリカ兵と刺し違えてやる!」

だから、野球がまた出来ることが、幸せでならなかった。
生きて野球場にいられることが、信じられなかった。


苦難の近鉄バファローズを投打で支え、「世界の鉄人」を育て上げた。

生きてくれていて、本当にありがとうございます。


「65回目」。
すべての「無念の魂」に、合掌です。




「ナガサキ」

 
「お前、広島のことは書くけど、長崎のことはあんまり書かないよねぇ」。
 
時々「コッソリ」このブログを覗き見している悪友S(キミですよ)から、そんなことを言われたことがあります。
 
まだ小さかった頃、お袋に訊ねたことがある。
「広島のことはみんな言うけど、どうして長崎はあんまり言われないの?」
 
「広島のほうが死んだ人が多かったし、初めて爆弾(原爆)を落とされたのが広島だったからじゃないかな・・」
 
今にして思えば何とも稚拙な回答なのだけれど、子供心には「そういうものなんかな」などと思ったりしたものでした。
 
広島には、何度も足を運びました。
原爆資料館にもドームにも、何度も何度も訪れています。
 
ちょっとばかり不謹慎ながら、それは私が「野球ファン」だったから。
(原爆ドームも平和公園も、野球を目的に訪れればごくごく自然に「セット」になった(過去形)のです)
 
長崎県に一度も行ったことがないのも「同じ理由」(プロ野球が存在しない)からで、それゆえに少しばかり「広島偏重」になってしまっているのやも、しれません。
 
「原爆映画」も、広島を舞台にしたものが圧倒的に多い。
長崎県を舞台にした作品は、さだまさしさん原作の「精霊流し」と、黒木和雄監督の「TOMORROW 明日」しか観たことがありません。
 
いや、でも。
 
私が住んでいる町の名前は「みなみながさき」ですし、毎日通勤に利用している最寄り駅は、「ひがしながさき」。
日本で初めて「佐世保バーガー」と命名されたハンバーガーを販売したお店も、地元(中野)にあります。
 
なんだか稚拙だけれど、「ながさき」にも、それなりの「想い」は抱いているんです。
 
さだまさしさんは、プロ野球・スワローズのファン。
そういえば、この球団の元オーナー氏も、長崎県のご出身でした。
 
今年もやっぱり、「ヒロシマ」に比べると「ナガサキ」の報道は少なかった。
帰宅してからずっとNHKだけを観続けて、ようやっとドキュメンタリーを拝見しました。
 
「忘れてはいけないもの」には、優先順位などありません。
 
合掌。
 
 
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雑感 ケータイ投稿記事

残業ばっかりの毎日です。いまもまだ、川越駅の手前です。

最近は、帰宅するとすぐに爆睡というパターンが多いので、夜は風呂に入らず、代わりに朝シャン(死語)をしてから出勤していますが、会社に着くまでに汗だくになるので全然意味がない。

営業部の親友・ウリタ君から、近々退職する旨、報告される。
「結局、好きか嫌いかで全てが評価される。もう嫌になった」。
「社長が交代したら、どのみちこの部署も不採算部門扱いで消される。クサカベさんも、考えるなら今だよ」。
「人の悪口ばっかり。自分だけが可愛い人間しかいない。こんな会社でクソ真面目にやっても、自分が損するだけですよ」。 

人生が日々、虚しくなるだけの毎日。

「ひとはなんで、生きてるんだろうね?」。
私も寅さんに聞いてみたいな。満男さんみたいに。


マリーンズ・7連敗。
連日、酷い打たれっぷり。携帯速報でしか知らないのだけれど、ちょっと寂しいな。

「どうせいつか落ちるよ」。
上位勢のなかで、恐らく一番そう予想されていたチーム。
そのとおりになってしまうのはやっぱり悔しいし残念なのだけれど、でもそんなチームだからこそ好きなんだよなぁ・・などと思える自分もいたり、します。
野球の勝ち負けなんかに一喜一憂できるほどに余裕のある生活なんて残念ながらしていないし、こんなときこそ勝ち負けなんか超越した「野球の愉しさ」を満喫したい。
先日の甲子園は本当に楽しかったし、そこには「タイガースなんか」という嫌悪感は消えていました。
無論、翌日以降の「テレビのなかのタイガース」には、不快感しか感じませんでしたけど・・ね。
大人じゃないな。私は。。

ブログが全然、更新出来ない。
それでも訪問してくださる皆さん&書き込みしてくださる皆さん。本当にありがとうございます。
そして本当に、ごめんなさい。

まだ、成増駅。
明日は、どっちだ?
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西武園遊園地のプールに、姪っ子を連れて行きました。

西武グループ系列の遊園地なら「としまえん」の方が断然至近なのですが、こちらは都心から離れているためか、料金がかなり安いんです。
(としまえん3800円 西武園1000円・オープニング料金で半額)

目の保養(笑)も兼ねて・・のつもりだったのですが、ここのプールは家族連れのお客さんが圧倒的多数なので、残念ながら(?)「ママさん系」ばかり・・でした。


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帰路は、多摩湖を周回しながら所沢→東京方面へ。
途中、カーナビに「東村山市久留米川町四丁目」という表示が・・。


♪ ひがしむらや〜ま〜ァ

  庭先きゃ 多摩湖ぉ〜

  狭山茶所 情けが厚い

  東村山四丁目 

  ソレ 東村山四丁目 



「ひがしむらやま」

西武新宿線で、所沢のひとつまえ。
東京の西端にある、ごくごく一般的な町。

なのに、幼少の頃からずっと特別な町であるかのように馴染みを感じてきたのは、やはり「ドリフ世代」だから・・なんでしょうね。

むかしはライオンズ球場に行くとき、東村山駅が近づくと必ず「音頭」を口ずさんだものでした。


姪っ子の梨花も、志村けんさんの大ファン。

世代を超えて愛される、「オンリーワン・コント」の数々。
やはり、偉大なるコメディアンです。






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