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「かつての本拠地・”東京”に凱旋」。 東京ドーム。 神宮球場で東京音頭を最初に歌ったのは、オリオンズ応援団の皆さん。 神宮球場のほうが良かったのだけれど、「大人の事情」だったのでしょうね。 「たくさんの人に愛されるチームに」。 村田兆治さん。 寂しくて切なかった川崎を知る、村田さん。 胸に沁み入りました。 「40年前に指名を頂いて今がある。やはり最初の球団は格別」。 落合博満さん。 小池秀郎騒動のとき、「オリオンズはそんなに悪いチームじゃないよ」。 「嘘」ではありませんでした。 今の世の中、「エース村田・4番落合」なら、大変なお客さんが集まるでしょう。 超満員の球場でプレーをさせてあげたかった。 心からそう、思いました。 試合後の、「メモリアル映像」。 オープニングに濃人渉さん。続いて成田文男さん。 「永田ラッパさん」も。 どうしてもっと、大勢のOBの皆さんを招待してあげないのだろう。 どうしてユニフォームを、オリオンズにしてくれなかったのだろう。 だから私、球場には行きませんでした。 でもやっぱり何だか、感慨深かったです。 「村田や落合より、初芝とか堀の方が盛り上がったんじゃない?」 ファンコメ。 そんな寂しいこと、言ってくれるな。 「歴史」は大切です。 もっと知りたい・もっと好きになりたい。 そう思ってほしいな。ちょっぴりでも。 心からの、願いです。 愛する阪急ブレーブスを失って、何だか無気力になりかけて。 救ってくれたのが、「川崎のオリオンズ」でした。 いつのまにやら、28年です。 「半分以上」になったんですね。 腐れ縁。 今さらもう、ヨソのファンになんかなれないし。 もうずっと、「墓場までオリオンズ」です。
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懐かしのプロ野球
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34年の観戦歴と読書歴(?)を活かして、実際に観た・観ないに捉われずに、懐かしの球団・選手をリスペクトした記事を書いていきたいと思います。
体験談&アドヴァイスも、大歓迎です。よろしくお願いいたします。
体験談&アドヴァイスも、大歓迎です。よろしくお願いいたします。
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西城秀樹さんで真っ先に思い浮かぶことは、2つあります。 「東京のファイターズ」と、「ハウスのCM」。 東京ドームのファイターズ戦。 5回が終了すると、ウォーミング・アップで流れる「ヤングマン」。 ♪ 憂鬱など吹き飛ばして 君も元気出せよ ・・ ガラガラのスタンドに囲まれてプレーする選手たちを励ます、「パリーグ賛歌」のように聞こえたりもしたものです。 盟友・野口五郎さんがファイターズ・ファンだったこともまた、「不思議な縁」でしたね。 思えば、日本人ソロ歌手として初めて「スタジアム・コンサート」を開催したのも、秀樹さん。 大阪球場・後楽園球場。 「昭和のプロ野球」とも、深い関わりがあった方でした。 昨晩、ファイターズが久々に東京ドームでゲームを開催していたのも、「何かの暗示」だったんでしょうか。 今晩、我が家の夕食は、偶然にも「バーモントカレー」でした。 合掌。
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5月27日(日)・京都西京極球場。 阪急ブレーブスが「復活」します。 「またかよ」では、ありません。 「阪急沿線のブレーブス」は、「30年ぶり」です。 「もう阪急の沿線に”球場”はないんだよな」と思っていたのだけれど、どっこい、「準フランチャイズ」が京都線沿線に生き残ってくれていました。 昭和42年・球団初優勝の地。 どうせなら、昨年の「80周年」に初優勝のユニフォームで復刻してくれたら良かったのに。 ・・いや、とりあえず、愚痴はよしましょう。 今や貴重なクラシック・スタイルの球場ですから、ここでVS南海ホークスをやってほしかったです。 相手は、「ロッテ・オリオンズ」。 実はこちらも今季、「ロッテ球団50周年」。 なのに、「記念ユニフォーム」は何ともショボい「袖ワッペンのみ」(嘆)。 歴史も品格も感じる「オリオンズ」の名前を、今季だけでももっと重宝して欲しかったのだけれど。 スワローズのように、突如の「オリオンズ復活」なんていうのも、未だに期待しているのだけれど。 (だって、どう考えたって、オリオンズの方が・・ずっといい) 無理かな。無理ですね・・。 どうせなら、付き合って「復刻」なんてやってくれたら、新幹線で飛んで行くんだけど・・な。 どちらを応援するか? そんなもん、「ブレーブス」に決まっています(笑)。 一晩だけですけどね。
「マリーンズ」って名前、実は未だにあんまり好きじゃ・・ないから(苦笑)。 |
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東京在住・西武沿線育ち。 なのに、阪急ブレーブスのファン。 私はちょいと、「ヘンな少年(青年)」でした。 オリックス・ブレーブスになって少し愛着が薄れてしまい、川崎のオリオンズに「浮気」。 もうすぐ30年になります。 でもやっぱり、今でも阪急電車は大好きですし、「神様・仏様・小林一三様」だったりもする。 オリオンズ&マリーンズへの想いも強いのだけれど、でも「一番好きだったチームは?」と言われれば、 やっぱり「阪急ブレーブス」なんです。 それは恐らく、生きている限り変わらないと思います。 東京在住の中学・高校生だったがゆえに、「西宮のブレーブス」の観戦歴は「ゼロ」。
「これからバイトして、どんどん遠征を・・」と思っていた矢先に、球団は姿を消してしまいました。
だから、私にとってのブレーブスは、いつも「青い勇者」。そんなに格好良いユニフォームではないのだけれど、愛着だけはタップリ・・です。 ライオンズの超・黄金期ゆえ、上位には顔を出すけれど優勝には届かない。 けれど、その「強い強いライオンズ」を相手に、所沢ではいつも互角の「横綱勝負」。 そんなブレーブスが嬉しくて、誇らしくて、大好きでした。 実力では70年代の黄金時代には遠く及ばないけれど、個性派・職人肌の選手が多い、じゅうぶんに魅力的なチームでした。 「レールウェイ・シリーズ」。 ブレーブスが勝った。 「強い」ライオンズに勝った。 やっぱり、嬉しいな。 少しだけ、童心に還りました。 ありがとう。
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「プロ野球ファミリースタジアム」という、大ヒットしたファミコンゲームがありました。 「ファミスタ」という愛称のほうが、はるかに有名かもしれません。 実在のプロ野球チームをモチーフにした、本格的な野球ゲーム。 なのに、球団数は「10球団」。 セ・リーグ球団と思しきものが、6つ。 販売元・ナムコのキャラクターをメンバーにしたチームが1つ。 あれ?「パ・リーグは・・?」 ライオンズと思しき球団が、1つ。 残るは、「2つ」のみ。 オリオンズ&ファイターズの”合併球団”・「フーズ・フーズ」。 もうひとつは、ブレーブス・バファローズ・ホークスの”合併”で、「レール・ウェイズ」でした。 なるほど、そのネーミング・センス(?)には一応、一目は置くけれど。 当時の「パ・リーグの立ち位置」「世間のパ・リーグへの扱い」が少年心にも切ない、楽しくも悲しいゲームでした。 「関西レールウェイ・シリーズ」。 どこかで、聞いたことがあるネーミングやな。 そう、思いました。 「近鉄VS南海」「阪急VS西武」。 ゴールデン・ウィークの、特別企画。 4年ぶりに、参加しました。 「南海の○○(背番号)って、誰でしたっけ??」 「近鉄の○○(背番号)、最後は誰だったかなぁ・・」 ゲーム中は、そんな話ばかりで盛り上がり。 「村田辰美さん、スラッガーになっちゃったんだ(笑)」とか。 「今宮君の”2”は、どう見ても”真逆”だよなぁ(笑)」とか。 「南海ホークスの”最後の3”って、誰だっけ??」だけが、どうしても出てこない。 定岡さんのあと・・。定岡さんのあと・・。 「ひょっとしたら、清原さんが背負っていたかもしれない背番号」・・。 「出て来なかった」のは、正解でした。 「いなかった」。 88年のドラフト、南海ホークスが最後に1位指名した選手は、「立浪和義さん」だったから・・です。 本人も、指名されれば行くつもりでした。 「だから、3は空いていた」・・んですね。 来て良かった。 こういう「復刻イベント」は、賛否両論。 でもとにも角にも、「みんな、また球場においでよ」なのです。 「近鉄vs阪急はないんかい!」は、とりあえずは・・いいのです。 ○○回忌で親戚一同が集まって、故人の話で盛り上がる。 みんな疎遠になっていたけれど、故人が引き寄せてくれた。 会ったこともないおじいちゃん・お婆ちゃんのお話に、孫たちが耳を傾けたり、興味を示してくれたり。 そういうこと。 それでいいのだと、思います。 昭和63年10月19日。 野球ファンならばすぐにピンとくる、「あの日」です。 でも、同じ球場の「昭和63年10月20日」は、あまり語られません。 「南海ホークス・球団ラストゲームの日」でした。 この2つのユニフォームは、いろんな「悲しみ」も背負っている。 でも、格好良いな。ほんとにいいなぁ。 改めてやっぱり、そう思いました。 近鉄のユニフォームを「10・19ユニ」と書いている方をあちこちで見かけました。 なので私、「オリオンズ帽子」を被って、参加しました。 だれかわかってくれへんかな・・と思っていたら、数十秒間・じっと私を睨む「猛牛おばさん」が・・。 ありがとう。 「睨まれて」いるのだけれど・・(笑)。 企画してくださった球団の皆さん。 「昔のファンの方が懐かしいと思って楽しんでくだされば・・」と言ってくれた、バファローズの山岡泰輔投手。 そして、参加されたすべてのオールド&若い野球ファンの皆さん。 ありがとう。
ありがとうございました。 |



