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オリオンズ&マリーンズ、「球団通算4000勝」。 前身である毎日オリオンズの初勝利を調べていたら、ちょっとびっくりなことに気づきました。 「1950年3月11日・対西鉄ライオンズ」。 「3月11日」。 パシフィック・リーグの記念すべき初の公式戦開催日は、「日本人が絶対に忘れてはならない日」。 そうか。そうだったんだな。 なんだか改めて、感慨深いです。 因みに、オリオンズ初勝利の舞台となったのは、西宮球場でした。 「史上8球団目」。 偉大な記録ではあるものの、12球団制という括りで考えると、「遅い部類」のようにも感じる。 「Aクラス25回・Bクラス36回」。 「球団創設から32年間”最下位なし”だったのに、83年以降の11年で6回」。 黄金時代もリーグ連覇も、なし。 なるほど、致し方なしか・・という感じです。 「36年間、リーグ最高勝率なし」 継続中。 今季も「99.9%絶望的」ですから、日本プロ野球記録の37年連続(ホエールズ)に並ぶのも、確実になりました。 (因みに、「チーム年間最少本塁打(56本)」の更新も、確実 <37本) 「プロ野球最多連勝記録(18)」「プロ野球最多連敗記録(18)」。 これもまた、「誇ってよい記録」です。 「せっかくの記念日なのに、なんだかネガティブな記録ばっかりやなぁ・・」。 すみません。 「第1回・日本シリーズ優勝球団」。 ジャイアンツでもホークスでもない。 ましてやタイガースでも当然、ない。 これはやはり、この球団が永久に誇りに思ってほしい勲章・・です。 「大映スターズ・高橋ユニオンズ・大映ユニオンズの記録は、一体どうなったのだろうか」。 ちょっぴり(かなり)マニアックな「寂しい疑問」を抱えつつも、偉大なるOBの皆様方&球団に、改めて敬意を表したいと思います。 千葉ロッテマリーンズ。 今年は「史上8回目の・・」でも、いいよ。 5位なんて中途半端で、つまらないです。 波乱万丈の歴史。 個性派集団による、破天荒な歴史。 勝ち負けを超越した、「楽しいチーム」であり続けてください。 |
懐かしのプロ野球
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34年の観戦歴と読書歴(?)を活かして、実際に観た・観ないに捉われずに、懐かしの球団・選手をリスペクトした記事を書いていきたいと思います。
体験談&アドヴァイスも、大歓迎です。よろしくお願いいたします。
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長野県松本市在住のマリーンズ・サポーター様から、贈り物を頂戴しました。 まだ、一度しかお会いしたことがないのに。 私のお袋は、「おやき」が大好物。 大喜びしておりました。 本当に、ありがとうございました。 今日は、「ピンクのマリーンズ」最終戦。 見事にベスト8進出を決めた習志野高校の後輩達に刺激されて、ヴェテランが頑張りました。 写真はすべて、7月のゲームのものです。 八木沢荘六さん。 思えば、「正力亨さん死去」のニュース翌日に「作新学院勝利」というのも、なんだか因縁っぽいなと、思いました。 川崎球場と、「オリオンズ」というニックネームが、大好きでした。 だから、「あのユニフォーム」と「マリーンズ」という名前を聞いたとき、「もうファン止めよう」と、思った。 いま観ても、「ぜんぜん、イケテない」ユニフォーム。 でもなんだか、「まぁいいか」と思えるようになってきました。 マリーンズのファンを続けていたお陰で、本当にたくさんのお仲間とお知り合いになることが出来た。 そのほとんどが、「オリオンズ時代からのファン」ではなく、「マリーンズになってから」の方々。 ボビー・バレンタイン以降の、「イメージ・アップ後のマリーンズ・ファン」です。 だから、「ファン止めなくて良かった」。 そう、思います。 20年。 「千葉ロッテマリーンズ」になったとき、私はまだ「新成人」だったんですね。 新入社員研修の宿舎で、「牛島さんの涙」を観ていたんですから。 月日の経つこと、なんと早いことか。 なんだか寂しいような、けれど「それはそれ、楽しい20年だった」とも、思えます。 負けてばっかりだったけれど、「だからつまらない」とは別段、思わなかった。 「どうすれば魅力あるチームになるのかな」なんて真剣に?考えながら楽しむのもまた、面白かった。 「300人弱のマリンスタジアム」で、野茂英雄の最多勝利確定試合を観たりもしました。 もう、あんなにも寂しくて切ないマリンスタジアムでゲームを観ることなんて、二度とないでしょうね。 いい時代になった。いいチームになった。 「勝ってくれ、優勝してくれ、なんて言いません。ワクワクするような野球をするチームになってください」。 「ピンクの時代」、俳優の永島敏行さんが仰いました。 そのとおり! 本当に、嬉しかった。 ファイターズにもホークスにも強いのに、イーグルスに勝てない。 これからも、「楽しいチーム」であってください。 「球団4000勝」まで、あと4つです。 |
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私の職場の、イトウ君。 会社では先輩に当たりますが、年齢は3つ下。 大柄で、ややメタボ体型。顔も「コワモテ」。 仲間とも、必要以上には群れない。一匹狼タイプ。 感情の起伏が激しくて、機嫌を損ねると手がつけられない。 周囲とのトラブルも、少なからず起こしました。 「みんなと協調出来ないなら、もう辞めてもらいたい」。 温厚な上司・ノダさんも、ついに決断。 全員を集めて、話し合いを行いました。 本当は、寂しがりやだったんだ。 ウソが嫌い。つけない。 人に媚びない。媚びたくない。 ヨイショなんかしない。 家族思いで、情にも厚い。 でも不器用で、表現が下手。 ただ、それだけだったんだ。 すぐにそう、わかりました。 以後、すっかり別人のように明るく・爽やかになって、みんなと打ち解けています。 「イトウ君って、なんとなくロッテにいた伊良部のイメージなんですよね」。 野球好きの先輩にそんなことを言って、「ああ、わかるわかる(笑)」なんて同意されたことが、あります。 「米国に住む父に、ひと目会いたい。だから、メジャーリーガーになりたいんです。有名になれば、新聞記事が父の目にも留まるかもしれない」。 そう。 きっと伊良部秀樹も、「ほんとうは・・な人物」だったんじゃないかな・・と、ずっと思っていました。 帽子もグラブも、スタンドへ。 ファン?への唾吐き。倒産。逮捕歴。 「傍若無人」。 メディアが作り上げた、イメージ。 売れますからね。そのほうが雑誌も新聞も。 「メジャー移籍の際のトラブル」。 どのメディアも、意図的に「マリーンズ球団擁護」で一致。 「真相」をきちんと理解しているファンは、とても少ない。 でも本当は、そんなことすべてが「どうでもいい」んです。 我々野球ファンが選手に求めることは、「野球そのもので魅了してくれること」だけ。 紳士である必要なんかない。 いや、紳士なんかでなくていい。ないほうがいい。 そのほうが、ずっと面白い。 1989年10月13日。川崎球場。 負ければ、優勝の可能性がほぼ無くなる状況に追い込まれた、ブレーブス。 2点ビハインド。 8回表・1死満塁。 4番・門田、5番・石嶺。 最後のチャンス。 ペナントのすべてを決める場面で、伊良部秀樹が登場しました。 門田さんに投げた、渾身のストレート。 ボッテボテの、投手ゴロに討ち取られました。 複雑な思い。 「悔しさ」と、「凄いボール投げるじゃないか!」とが、交錯して。 今でもハッキリ、思い出せる。 忘れられません。 「伊良部を何とかしたい。一人前にしたい」。 監督就任会見で、八木沢荘六さんはそう、仰った。 だから彼は、「名監督」だ。 私は今でも、そう思っています。 1995年8月。 マリンスタジアム。ブルーウェーブ戦。 「一生の思い出になる対決」を確信して、ネット裏5000円の席を奮発。 VSイチロー。「145キロのフォーク斬り」。 天を仰ぎ、笑顔のイチロー。 「エエもん観た。5000円、高くなかった」。 今でもときどき、「自慢話」にします。 シアトルのバーでこの話をしたら、誰かがお酒をご馳走してくれるかもしれません。 1995年・秋。神戸グリーンスタジアム。 8時間も並んで、「仰木監督の胴上げ」を観に行った。 試合が進むにつれて、気持ちがどんどん、変化した。 鬼気迫る表情。 文字通り、孤高のマウンド。 「伊良部頑張れ! 負けるな!!」・・。 どのシーンも、忘れられない。何年経っても。 すべてが、私の「一生のたからもの」です。 誰がなんと言おうと、それだけは変わらない。 なんの慰めにもならんだろうけど、「同じ思い」を抱いて生きている野球ファンは、きっと大勢います。 馬鹿野郎だ。貴方は。 合掌。 |
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♪ 晴れたる青空 我らのブレーブス ・・・ ラッキー・セブン。「阪急ブレーブス応援歌」。 作詞・サトウハチロー&作曲・藤山一郎。 「依頼者」は、大下弘さん。 「物凄い応援歌」です。 そうか! 「ハチローさん&大下さん」だから、「晴れたる青空」・・なんだ。 所沢や後楽園では、試合前などに応援団の方と歌っていました。 今でも、CDで聴くことが出来ます。有難いことです。 オリオンズのラッキー・セブンには、「ロッテ親衛隊の歌」が流れました。 そこまで徹底してくれるのなら、「”マリーンズ”のラッキー・セブンです」は、ないよなぁ。 あと、ユニフォームも「ブルー&ハメコミ」にしてほしかったな・。 どうしてもっと、「統一感」を大事にしてくれないのかな。 「パリーグは、運命共同体」であるはず・・なのに。 西宮球場のベンチ上に、ありましたね。 「物凄い顔ぶれ」です。 「さすがに、55に大物OBはいないだろう」と思っていたのですが、なんと石嶺和彦さんがいた。 「主砲の系譜」。ちょっぴり、嬉しかったです。 しかしこのチーム、「右の大砲」がいないな。 偉大なるスラッガー・長池徳二さんの「3」は、イ・スンヨプ。残念です。 せめて嶋村一輝(Bs→YB)なら、かなり似合っていたんじゃないでしょうか。 そういえばこの日のゲーム、「レフト・イシミネ」も参加していました。 「自分の番号を背負っている選手は、やっぱり気になる。大引には頑張ってほしいね」。 加藤チャーさん。 この日は、勝敗に直結するエラーを犯してしまいました。 頑張ろうな。「物凄い番号」を貰ってるんだから。 「ヤマモリぃ! ユニフォームが違うでぇ・・!!」 今坂団長には、始球式(翌日)ではなく「特別応援席」(ヤジ席)を用意してあげてほしかった。 (「マイクつき」で) この日、オリオンズの岡田幸文が魅せた「超・美技」には、敵味方なく大きな拍手が起こりました。 それはきっと、「この男を育てているのは山森雅文である」ということを皆が認識しているからなのだろうと、私は勝手に思いました。 「1978年・オリオンズドラフト1位」。 この年、オリオンズに入団した選手は、たったの2人。 しかしこの2人が、福間納さんと落合博満さん。凄い! 後藤光尊。 「近鉄バファローズ復活祭」には、出来ることなら「出場辞退」、してもらえないかな・・。 無論、彼には何ら「責任」はないのだけれど。 「超特例措置」で、背番号変更なんてのも・・いいな。 (新庄剛志が一度、やってます) 「阪急の匂い」を感じる、数少ない選手。 今季は、大不振。頑張ってください。 「ヤクザ顔」「モミアゲ」も、復活。 「'70sベスト仮装大賞」は、森山周。 モミアゲ(笑)のみならず、ユニフォームの着こなしもバッチリでした。 「阪急のユニフォームは、ストッキングの横線もいいですよね。私の現役のころは、みんなちゃんと”表に出していた”もんですが・・」(大矢明彦さん) 「出していない選手」が、大勢いました。残念です。 「もっと騒げ」から、「ガソリンタンク」へ。 ビハインドの状況下での、「超豪華&もったいないリレー」。 ライオンズの牧田和久やマリーンズの渡辺俊介に、16か17を着せてみたいです。 アーロム・バルディリス。 ベネズエラ出身。 「偉大なる大先輩」のこと、ちゃんと知っているでしょうか。 「4」だったら、最高に似合っていたのに・・な。 「フィールド・オブ・ドリームス」。 この時間がずっと、続いてほしい。 そう、思いました。 「快速の1・2番で掻き回して、勝負強い3番打者が一掃する」。 この日は、オリオンズが「ブレーブスの野球」を復刻してしまいました。 岡田&荻野、速い速い。 改めて、惚れ惚れしました。 福本豊さんの「オギノ評」、ぜひ拝聴してみたいな。 「まだまだやね。スタートがアカンな」・・・(嬉嬉)。 早く帰ってきてくださいね・・<オギノ(涙) 私が西宮球場で最後にゲームを観たのは、1991年夏。 そのときもオリオンズ戦でしたが、レフト外野席には10数人のお客さんしか、いなかった。 「物凄い時代」に、なりました。 ただ、出来ることなら、「応援」でもお付き合いをしてあげてほしかったな。 「花の子ルンルン」に対抗して、サリーちゃんとか、サザエさんとか・・(笑)。 ブレーブス・ファンの「復刻応援」、とても嬉しかった。 独特のスロー・テンポ。 懐かしくて、涙が出そうでした。 途中に「タオル踊り」が挿入されたのには、本当にガッカリしたけれど・・。 「このチームは、バファローズである」。哀しい現実です。 「私は阪急ブレーブスに夢を見てきたのだし、この日はその夢が、まさに夢だったことを確かめに来ていたのだ」(「わが愛しきパ・リーグ」(大倉徹也著・講談社新書・刊) 「阪急」を応援するでなく、無論「マリーンズ」の応援も、しない。 ただただ、心地良い空間に身を委ねて、「野球があった人生の幸せ」を、振り返っていました。 「阪急」がもし今も存続していたら、その後の多くの素晴らしいマリーンズ・ファンの方々との出会いも、なかった。 このブログを立ち上げることも、なかったと思います。 そう思うと、「人間万事・塞翁が馬」です。 だからもう、悲しみも嘆きも、ありません。 「阪急ブレーブス。ありがとう」。それだけです。 ダラダラ・長々。 お付き合いしてくださった方がひとりでもいてくださったのなら、この上ない喜びです。 本当に、ありがとうございました。 |
巨人に勝てば、きっと球場にぎょうさんのお客さんが来てくれるようになる。 そう信じて全員が、キャンプから”打倒・巨人”でした。 なのに、勝ったのに、お客さんは2千・3千です。 寂しかったし、情けなかったね。 「ブレーブスファンの皆さま、ラッキー・セブンです!」 晴れたる青空に、「花の子ルンルン」が流れる。 「夢のようなひととき」でした。 もしほんとうに「夢」なのなら、このまま覚めなくていいと思いました。 「ぜんぶの野球場」に行きました。 スタンドも、照明塔も、カクテル光線も、くっきり鮮やかに甦りました。 南海ホークスで最初に好きになった選手は、杉山光平です。 今でももし南海ホークスがあったら、もちろん南海ホークスのファンです。 誰が監督でも。どんなに勝てんでも。 当然です。当たり前です。 阪急ブレーブスの、山口高志。 アレはホンマ、速かった。 いっぺんしか観たことないんやけど、あんな速いボール、ほかに観たことない。 くーちゃんさま。 本当に本当に、ありがとうございました。 すべての出来事が、「人生でいちばん」になりました。 aoutさま、ありがとうございました。 また頑張って、記事にしてみたいと思います。 もし御一人でもお付き合い頂ける方がいてくださったら、これ以上の喜びはありません。 何卒よろしくお願いいたします。 明日からまた、現実。仕事。 でも、しばらくは元気に頑張れる。 そんな気がします。 「野球がある人生」を生きてきた。 本当に良かった。幸せでした。 |








