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「格好エエですねぇ!オ●ックス!! ブライアント!!」 大阪に行くと必ず立ち寄る、なんばのたこ焼き屋さん。 店内でビール片手にたこ焼きをつついていたとき、突然爽やかな青年に声を掛けられました。 私は「背番号71」、友人は「16」のユニフォームを着ていました。 「オ●ックスのファンなんですか?」 「いや、オ●ックスなんかキライ(笑)。むかしの近鉄バファローズのファン」 「うわぁ!キンテツ!! 凄いなぁ!!」・・ 近鉄、知ってる・・? 「知ってますよ。小学生のころ、大阪ドームで観てました」 「大阪ドームかぁ・・。僕ら40歳超えとるから(笑)、藤井寺球場やったんよ」 「フジイデラ!! エエなぁ・・羨ましいなぁ・・・尊敬します!!」 いや、別に尊敬されるようなことやないねんけど・・(笑)。 けど、嬉しいなぁ。ありがとう・・。 「ブライアントも仰木監督も、知ってますよ。”ビデオで観たことあります”し・・。ブライアントって、 ”パワプロ(TVゲーム)”でレジェンド選手として出て来るんですよ。物凄い選手やったんでしょう・・?」 ”物凄かった”よ。 三振か、ホームラン。 4三振した翌日に3ホームランとか(笑)、1日に4ホームランとか、場外ホームランとか、途中入団で34ホームランとか、東京ドームの天井スピーカーにブチ当てたりとか・・。 「凄いなぁ。恰好エエなぁ! 観たかったですよ、ブライアント・・。”伝説のひと”ですよね、仰木監督もブライアントも・・」。 ありがとう。 本当に、ありがとう・・。 なんばの街をラグラン・ユニフォーム&三色帽子といういでたちで歩いて、ここ(たこ焼き屋)まで来ました。 「好奇の目」に、晒されながら。 怪訝そうに振り返る方も、おりました。 「わかってくれるひと」も、いた。 しかも、高校生・・です。 「エエお話聴かせてもらいました。お邪魔してすみませんでした。ありがとうございました!」・・・ 「大阪、来てよかったよ」。 友人が、しみじみと。 ホンマやね。 良かったよ。 なんだかちょっぴり、ホロリと来ました。 仰木さん&マーフィーさん、ありがとう。 |
懐かしのプロ野球
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34年の観戦歴と読書歴(?)を活かして、実際に観た・観ないに捉われずに、懐かしの球団・選手をリスペクトした記事を書いていきたいと思います。
体験談&アドヴァイスも、大歓迎です。よろしくお願いいたします。
体験談&アドヴァイスも、大歓迎です。よろしくお願いいたします。
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旧友と一杯やって、23時前に大急ぎで帰宅。 シャワーも浴びずに、ひたすらにテレビで「ロンドン五輪」でした。 埼玉県新座市にある取引先の社長さんから、ずっと「女子の重量挙げ、応援してやってな。すぐそこにある中学校出身の子なんだ」と言われていたから・・です。 三宅宏実さん。 お父さんが元メダリストであることは知っていましたが、そうか、新座出身の子だったのか・・でした。 「だってお父さん、自衛隊の人(朝霞)だったんだから・・(笑)」 いろいろと調べていたら、嬉しい嬉しい「トリビア」が、ひとつ。 「三宅宏実。名前に”うかんむり”が3つ。”三冠王”ですよ」(三宅義行さん)・・。 ●ランディ・バース(タイガース) 打率.350 54本塁打 134打点 ●落合博満(オリオンズ) 打率.367 52本塁打 146打点 1985(昭和60)年。 日本プロ野球で、史上初めて(唯一)「両リーグ三冠王」が誕生した年です。 共に文句なし・文句のいいようがなし・・の、超・大型三冠王。 (あえて”文句”があるとすれば、「”逃げた”王貞治さんに」でしょうか・・嘆) 三宅義行さんは、この年の暮れに生まれた娘さんに「意識的に」この名前(三冠)を命名したのだそうです。 野球ファンとしても、なんだか嬉しくなりました。 延々と、2時間。 こんなにも長い時間、重量挙げを観戦したことなんて、初めてです。 五輪初出場でノーミス&6位入賞という見事な成績を収めた水落穂南さんも、埼玉県出身。 実に楽しい2時間でした。 三宅宏実さん。26歳。 そうか。 「バックスクリーン3連発」から、もう26年も・・。 タイガースの「アホアホぶり」(もはや嘲笑)なんてどうでもいいけれど、年々スケールが小さくなっていくプロ野球には、やっぱり一抹の寂しさを感じます。 「ノー文句のスラッガー」、もっともっと出てきてほしい。 お父さんを超えた、三宅さんのように。 |
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「開幕3連勝は55年ぶり」で、「開幕4連勝は60年ぶり」。 そして今度は、「前半戦首位ターン・42年ぶり」・・。 「今年は開幕から、そんなのばっかりですね・・(笑)」(西村監督) 1.榎本喜八 .284 15本 39点 2.池辺 巌 .274 22本 61点 3.A・ロペス .313 21本 69点 4.アルトマン .319 30本 77点 5.有藤道世 .306 25本 80点 6.山崎裕之 .247 25本 75点 7.醍醐猛夫 .242 5本 49点 8.千田啓介 .226 1本 13点 前田益穂 .313 7本 25点 江藤慎一 .288 11本 31点 P. 成田文男 25勝 8敗 3.21 木樽正明 21勝10敗 2.53 小山正明 16勝11敗 2.30 八木沢荘六 5勝 4敗 2.85 佐藤元彦 5勝 5敗 3.39 村田兆治 5勝 6敗 4.78 監督・濃人渉 1970(昭和45)年・ロッテオリオンズ。 狭い東京スタヂアムで、強打線が爆発。 成田さん・木樽さんの「2枚大看板」が、奮闘。 10年ぶりのリーグV、「”光の球場”唯一の優勝」のメモリアル・イヤーでした。 因みに、オリオンズ(マリーンズ)の「前半戦首位ターン」は、今年でまだ「3回目」。 しかし、60年(昭和35)年&70年(昭和45)は、いづれもリーグ優勝を果たしているのですから、なかなかに「ゲンのいい記録」と言えます。 それにしても、「42年ぶり」。 「ナニしとったんや。42年も・・」とも言えなくもないし(苦笑)、「アレ?前期優勝(80・81年)はどういう扱いなの??」とも、思ったり・・です。 2012年・マリーンズ。 正直、「今季は苦しいな。厳しいな」というのが、シーズン前の率直な印象でした。 昨年貧打に泣いた割に、補強らしい補強はサブロー&ホワイトセルのみ。 投手陣には元々それなりの計算が出来たけれど、投高打低の昨今、「それはどこも同じだし・・」と、思っていました。 グライシンガーが、思いもよらぬ「大復活」。 角中勝也・根元俊一の大躍進。 新人投手の活躍。 他球団が軒並み「前年からの戦力ダウン&怪我人」に泣く中、数少なかった補強がことごとく「嬉しい大誤算」になってくれました。 「遅れて来た”怪我人続出”」。 一気に、ペース・ダウン。 気が付けば、「1抜け状態」から「5球団混戦」に。 いやでも、本来は「このくらいの力差が妥当」と、思います。 シーズン前、多くの評論家・ファンにもっとも支持を集めていたのは、バファローズでした。 あとは、ライオンズ・ホークス・ファイターズ。 かくいう私も、「イーグルス&マリーンズ以外でダンゴレースかな」などと思ったり・・でした。 やっぱり、「順位予想」「ペナント予想」なんて、いい加減なもんです。 残りゲーム数は、まだ60近くもある。 だから、「いまの順位」に一喜一憂なんて、ナンセンス。 でもやっぱり、ちょっとだけ嬉しい、「42年ぶり」・・です。 聖澤って、なんだかいっつもマリーンズ戦になると目立つんだよなぁ・・(苦笑)。 よく頑張ってます、東北イーグルスも。 面白くなってきたぞ、パシフィック。 がんばれ、マリーンズ。 |
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石川県在住の叔母が、亡くなりました。 オフクロの妹さん。まだ68歳でした。 母方の兄妹は母を含めて6人ですが、訃報は30年前に亡くなった伯父以来でした。 あまりに急な出来事で、金沢に向かうことになった、オフクロ。 東京駅まで送る道すがら、亡くなった伯父のことを改めて聴いてみたくなりました。 この間ね、西鉄の稲尾さんの追悼イベントがあったんだ。 そのときになぜだか、死んだ伯父さんのこと、思い出したんだよ。 伯父さんの記憶ってほとんどないんだけど、たしか西鉄のファンとか言ってたような気がするんだ・・・。 兄さんのこと、思い出してくれたんかい。 そう、兄さんはほんと、西鉄ライオンズと稲尾さんが大好きだったよ。 なんでって・・? 兄さん、伯父さんね、九州の小倉で働いてたこともあったの。出稼ぎでね。 ちょうど、稲尾さんが西鉄に入ったころじゃないかな。昭和30年ごろだったから。 知らなかった? 言ったこと、なかったかもねぇ・・。 伯父さんが生きてたらいま何歳だったって? 稲尾さんと同じだよ。75歳。 だから、同い年だし、いつも眠たそうな顔も自分とソックリだって、稲尾さんが大好きになったのね。 いっつも、稲尾稲尾・西鉄って言ってたよ。 私も、稲尾さんが一番好きだったな。今でも、稲尾さんが一番好き。 伯父さんの影響があったのかも、しれないねぇ。 伯父さん、昔っから野球が好きな人だったねぇ。 ひとりで鉛筆転がして、「川上打った!大下打った!」って、言ってたねぇ ・・。 とにかくよく、働いた人だったよ。 小倉もそうだし、愛知県にもいたのかな。 一度金沢に帰ってきたけど、こんどは大阪。 そうしたら今度は、近鉄のファンになっちゃって。 西鉄も無くなっちゃってたし、ちょうど近鉄が強くなってきたとか、そんなころだったのかな。 いつも会社帰りに、近鉄観てたって。 「近鉄の試合は、酒飲みながら横になってゴロゴロして観られるのがいい」って・・(笑)。 伯父が亡くなったのは、私が小学校3年生くらいのころ。 記憶が定かではありませんが、昭和56年だったように、記憶しています。 「食べ物は粗末にしたらイカン! 全部しっかり食べろ!」 「全部食べ終わるまで、遊びは禁止!!」・・ 伯父にはなんだか、「叱られていたときの記憶」しか、ありません。 でも、かすかに憶えていた「西鉄&近鉄が好きだった」は、やっぱり記憶通り・・でした。 そういえばこの30年、ただの一度もオフクロに「伯父と野球のこと」、尋ねたことがなかった。 なんだか叔母のことも含めて、しんみりしてしまいました。 「伯父さん! 西鉄と近鉄のユニフォームの試合、観て来たよ!」 金沢までぶっ飛んでいって、伯父と一緒に酒を酌み交わす。 珠玉のお話を朝まで拝聴しながら、至福のひとときを過ごす。 生きていてほしかったよ、伯父さん。 何を今さら、30年も経ってから、そんなことを想ってしまいました。 聴きたかったな。「昔語り」。 九州のライオンズのこと。日生球場のバファローズのこと・・。 伯父さんきっと、喜んでくれただろうな。 「ダラ!! そんなことしとる暇あったら、はよヨメもらえ!!」 ・・やっぱり、叱られたのかもしれませんけど・・ね。 「西鉄ライオンズと近鉄バファローズ」。 三原脩さんが「秘蔵っ子」仰木彬さんを引き連れて来て。 西本幸雄さんは、「親友」・関口清治さんを。 仰木彬さんは指揮官になって、中西太さんを。 そうそう、滝内弥瑞生さんや豊田泰光さん(1年だけコーチ)も。 近鉄バファローズが、いわゆる弱体球団から脱却し、「豪放磊落」というチーム・カラーで野球ファンに認知されるようになったのは、三原さん→西本さん(関口さん)の時代からです。 これはすなわち、「西鉄DNAの注入開始」の時期に、当たります。 そして、仰木さん&中西さんが、総仕上げとして「逆転&ドラマチックなチーム」を作り上げ、「伝説の球団」に仕立て上げた。 「野武士のDNA」は、西武ライオンズではなく、近鉄バファローズに受け継がれたのだと、私は今でも信じて疑いません。 そんな話も、してみたかったよ。伯父さん。 満面笑みで、「同意」してくれたんじゃないかな。 そう、思います。 「1988年10月19日」。 もし、オリオンズの監督が「稲尾さんのママ」だったら。 バファローズの「運命」、絶対に変わっていたんじゃないか。 そんなこともまた、思いました。 少なくとも、あんな「非常識な抗議」は、絶対に有り得なかったもの・・ね。 8月4日。近鉄バファローズVSオリオンズ。 伯父さんの愛した日生球場では、ないけれど。 行くよ、伯父さん。 |
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横浜ベイスターズ・三浦大輔投手。 「通算・150勝利」。おめでとうございます。 現役投手としても、山本昌さん&西口オツに次ぐ、通算3位。 立派なものです。 「150勝151敗」。 ちょっと、ビックリ。 150勝以上をマークした投手は、三浦番長を含めて47人。 そのうち、「負け越しで150勝到達」という投手は、米田哲也さん(!ブレーブス)・坂井勝二さん(オリオンズ)・東尾修さん(ライオンズ)と、バンチョ―の4人だけ。 「現役引退時に負け越し」の投手も、長谷川良平さん(カープ)、梶本隆夫さん(ブレーブス)、坂井勝二さん(オリオンズ)の3人だけ・・です。 果たして、バンチョ―はどうなるのか・・。 それにしても。 こうして顔ぶれを拝見すると、どのお方も「弱小球団で孤軍奮闘した大投手」ばかり。 「負け越し」、決して「恥ずべき記録」ではないと思います。 「横浜に残って、本当に良かった!」。 うん。本当に良かったです。 プロ生活21年目。 ずっと、ベイスターズ。最下位・9度。 「唯一の救い」は、「ベイスターズ・フィーバー年」(98年)を経験していること。 いやでも、やっぱり、「もう一度」。 相当に、無茶苦茶相当に、「厳しい」のだろうけれど。 「味わわせてあげたいな」。 そう、思います。 <追記> 上記「負け越し記録投手」のなかで、ただひとりだけ「優勝経験なし」の投手がいらっしゃることに、気づきました。 長谷川良平さん。 「197勝208敗」。 存続だけで精一杯だった「弱体カープ」を支えた、小さな大エース。 「鉄腕デー」に、続け。 「長谷川良平デー」の実現、心より祈念します。 |








