人生いろいろ

せなぱぱさん、ありがとう。3年ぶりのブログです。これからまた、宜しくお願いします。

懐かしのプロ野球

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34年の観戦歴と読書歴(?)を活かして、実際に観た・観ないに捉われずに、懐かしの球団・選手をリスペクトした記事を書いていきたいと思います。
体験談&アドヴァイスも、大歓迎です。よろしくお願いいたします。
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スワローズ・1978

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1.D・ヒルトン .317 19本  76点

2.船田 和英  .271  8本  25点

3.若松 勉   .341 17本  71点

4.大杉 勝男  .327 30本  97点

5.C・マニエル .312 39本 103点 

6.杉浦 亨   .291 17本  67点

7.大矢 明彦  .268  7本  44点

8.水谷新太郎  .290  1本  17点

  角 富士夫  .273  7本  29点

  永尾 泰憲  .211  0本   7点

  渡辺 進   .193  4本  17点

  伊勢 孝夫  .262  2本  16点

  福富 邦夫  .232  2本  15点 

  山下 慶徳  .239  3本   8点

  青木 実   .192  0本   0点 

  八重樫幸雄  .183  1本   3点


P.松岡 弘   16勝 11敗 2S 3.75

  安田 猛   15勝 10敗 4S 3.93

  鈴木康二朗  13勝  3敗 1S 4.11

  井原愼一朗  10勝  4敗 4S 3.38

  倉田 誠    5勝  2敗 4S 4.24

  梶間 健一   3勝  8敗 2S 5.34

  西井 哲夫   1勝  0敗 1S 6.14

  小林 国男   1勝  1敗 1S 4.06

監督・広岡達郎
68勝46敗16分 .596(1位)


「1978年・ヤクルトスワローズ」
国鉄&サンケイ時代からの悲願だった、リーグ初優勝。

タイガース・ファンとして頻繁に神宮球場に「通わされていた」時代ですから、このころのスワローズには、今でも強い愛着があります。

大杉勝男さんは握手に応じてくれましたし、マニエルおじさんは頭を撫でて(!)くれた。
杉浦亨さんの「殺人ライナー」は今でも「史上最凶」と信じて疑わないし、「楽太郎」水谷新太郎さんも渡辺進さんも、大好きなバイ・プレイヤーでした。
渋くて格好良かった船田和英さん、「奇跡の代走屋」青木実さんも、懐かしいな。

「精密機械」安田猛さんは、タイガースファンからいつも「ペンギン野郎!」(笑)と野次られていた。

「ジャガイモみたいな顔だねぇ・・」。
ファウルを追ってきた角富士夫さんにそんな失礼なコトを言って、睨まれたことも・・(笑)。

「スワローズが優勝(日本一)したら、”いいもの”あげるね!」
ヤクルトおばさんに「誘導されて」(笑)、日本シリーズはスワローズを応援しちゃったり・・したな(笑)。
「いいもの」は、ヤクルトの詰め合わせと、セ・リーグ6球団のステッカー・・でした。

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「レジェンドユニフォームシリーズ2012」
大杉勝男さん。観てくれていますか。

「今日大杉さんがいたら、”全部ファウル”だねぇ・・」。
友人も仲間も、笑ってくれました。

良かった・・。
まだちゃんと、通じました。

「球史に輝く、大スラッガー」。
命ある限り、語り継ぎますからね。

広島カープ・1975

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1.大下 剛史   .270  3本 19点

2.三村 敏之   .281 10本 42点

3.G・ホプキンス .256 33本 91点

4.山本 浩二   .319 30本 84点

5.衣笠 祥雄   .276 21本 71点

6.R・シェーン  .281 13本 56点

7.水谷 実雄   .285 13本 37点

8.水沼 四郎   .208  1本 19点

 
   苑田 聡彦   .246  1本  6点

  久保 俊巳   .298  1本 13点

  山本 一義   .209  2本 18点

  深沢 修一   .207  1本  7点

  道原 博幸   .201  1本  3点


P.外木場義郎  20勝13敗    2.95

  池谷公二郎  18勝11敗    3.32

  佐伯 和司  15勝10敗    2.90

  宮本 幸信  10勝 2敗10S 1.70

  渡辺 弘基   3勝 3敗 1S 1.85

  若生 智男   3勝 3敗 1S 3.06

  永本 裕章   2勝 2敗    3.94

  金城 基泰   1勝 0敗 4S 2.67

監督 J・ルーツ → 野崎泰一 → 古葉竹識

72勝47敗11分 勝率.605(1位)


「広島カープ・1975年」
「万年Bクラス」「お荷物球団」からの、脱却。
消滅の危機を乗り越え、市民とともに掴んだ悲願の初優勝。
「赤ヘル旋風」を巻き起こしました。

この後、79&80年に連続日本一。
84年にも日本一、86年&91年も合わせて、6度のリーグ制覇&3度の日本一。

1975年(昭和50年)は、そんな「強いカープ」「カープ=赤」の出発点になったシーズンです。

「”強かった時代”のユニフォームにあやかりたい」(前田健太)

1970年代からプロ野球に親しんできた我々のような世代(40代)にとっての少年時代のカープは、まさにその「”強かった”カープ」でした。

15年ぶりのAクラスが懸かる、2012年。
「首位と16ゲームも離れた3位」に如何ほどの価値が・・?とも思わなくはないけれど(嘆)、何しろ、ともかく、「15年ぶりの・・」です。

前田健太・大竹寛・野村祐輔。
これにもし、黒田博樹や「12球団OK」(拍手)の藤浪晋太郎君あたりが加わってくれたら・・。

「王国再建」、近し。
2012年は、その「足がかり」になるかもしれません。

「逃げ切れ」。祈っています。

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1.松木 謙治郎 .250 3本 34点

2.藤村 富美男 .317 0本 16点

3.山口 政信  .274 2本 25点

4.景浦 將   .333 3本 31点

5.藤井 勇   .299 1本 36点

6.伊賀上 良平 .225 0本 26点

7.田中 義雄  .291 3本 27点

8.岡田 宗芳  .241 0本 10点


P.西村 幸生  15勝 3敗 1.48
  
  御園生崇男  11勝 0敗 2.32

  若林 忠志   9勝 4敗 2.49

  景浦 將    4勝 1敗 1.41


1.大阪タイガース  39勝  9敗 1分 .813  
2.東京巨人     30勝 18敗 0分 .625  9.0
3.イーグルス    28勝 19敗 2分 .596 10.5
4.名古屋金鯱    23勝 25敗 1分 .479 16.0
5.東京セネタース  20勝 27敗 1分 .426 18.5
6.ライオン     19勝 29敗 1分 .396 20.0
7.阪急       17勝 29敗 3分 .370 21.0
8.名古屋        17勝 33敗 3分 .283 25.0


「1937年秋・大阪タイガース」

「広い広い甲子園」「粗悪な野球道具」。
圧倒的な投手優勢、6本で本塁打王、打者は3割打てば超一流・・の時代です。

半シーズンとはいえ、投手4人でチーム成績のほぼ100%。
「投打二刀流」だった「”初代”ミスター・タイガース」景浦將さんは、春・秋通算で15勝&5本塁打(秋は首位打者)。
やはり、「偉大なるレジェンド」です。

巨人&タイガースが、球界において今なお「別格扱い」される理由は、この時代のとてつもない「遺産」があってこそ。

「阪急タイガース」。
もはや、そんな”遺産”はとうの昔に使い果たし、見る影もない哀れな醜態を・・。
いやしかし、「伝統のタテジマ」「東洋一の聖地」だけは、今なお、健在です。

選手全員、「甲子園記念館」に足を運ぶべし。
タテジマに袖を通すことが出来る喜び&聖地・甲子園のグラウンドで毎日プレーが出来ること。
そしてなにより、「空襲警報&赤紙」に怯えることなく、大好きな野球が出来ること。
「伝説のユニフォーム」から、何かを感じてほしい。
「元・トラキチ」として、心からそう、願っています。


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広島カープ 8 − 3 大阪タイガース

能見篤史。
メチャメチャに、格好良かった。似合っていた。惚れ惚れしました。
勝たせてやりたかったな。
心からそう、思いました。

内外野総天然芝の、屋外球場。
素晴らしい舞台装置が、後押し。

両チームともにストッキングをきちんと出してくれたことも手伝って、素晴らしい「タイムスリップ」を堪能出来ました。

「私ですら見たことがない、生まれる前のユニフォームです・・笑」
実況は元NHK、島村俊治さん。
当時の世相や名選手のお話を交えて、楽しませてくれました。

まるで当時を再現するが如く・・で、「ランニングホームラン」(天谷宗一郎)まで、飛び出しました。

「広陵ですね。広陵(のユニフォーム)ですよ」。
新井良太。
この日のタイガースは、スタメン選手4人に「広陵高OB」(新井兄弟&金本&上本)が、いました。

なんとも、はや・・ですが、しかし考えてみれば「”2代目”ミスター」藤村富美男さんだって、「広島県人」です。
「これもまた、”伝統”」。
思いっきり”好意的”に、そう思うように・・します。

珍しく真面目に、「大阪」タイガースを応援しました。
そんなときに限って、やっぱり・・勝たない(笑)。

でもとってもいいです、「伝統の戦闘服」。
「タテジマはタイガースだけで良い」。
少年時代の誇り&想いが、甦りました。

あと4試合だけ、「頑張れ!猛虎軍」です。

8月15日

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戦争が終わって40年以上たちました。
戦争が終わったのは昭和20年の8月15日です。

わたしはそのとき、小学校の2年生でした。
それからずーっと、これだけは「塀の中」に捕まっているときでも、私は野球に親しんできました。

(中略)

日本のマスコミというのは、何にかぎらず、大変貧しくて乏しいのですが、いちばん肝心でそれがマスコミの存在理由である、事実を伝えません。
さらには事実を伝えないどころか、ゆがめたりうそや事実でないことを伝えるのですから、これは事実を伝えないよりはまだ悪いんです。

うそだと思うのでしたら、安部譲二の言ったことはオーバーだと、そんなキメつけることはないじゃないかとおっしゃるのでしたら、マスコミを代表する朝日、毎日、読売の戦争中の縮刷版を、どうぞファンの皆さん一部お読みください。

そこには、ほんとに40年前にこんな新聞を出していたのかと思うほど、恐ろしいことが書き並べられてあります。
「鬼畜米英」だとか、「八紘一宇(はっこういちう)」「一機一艦」「醜の御楯(しこのみたて)」「ほしがりません勝つまでは」だとか、もうとにかく新聞もNHKも声を限りに国民をあの戦争に駆り立てて、命を賭けさせたんです。

これが今の何かと言えばヒステリックに正義をわめきたてる新聞が、わずか半世紀たらず前にやったことだと思ったら、気が遠くなります。

(安部譲二「プロ野球死んでもらいます」学習研究社・刊)

※この本は27年前に発売されました。


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景浦と同じく昭和11年にタイガース入りした松木謙治郎の話は胸に迫るものがあった。

「僕は昭和25年からタイガースの監督を5年やったんですが、巨人に負けた夜は決まって景浦の夢を見るんです。
”今、戦争から帰ってきた。明日からすぐ試合に出る”と景浦は僕に言うんです。
うれしかったなあ・・・。
いかに僕もチームも景浦を必要としていたか。
もし景浦が生きていれば、その後はタイガースの監督になり、巨人に負けないチームをつくっていたでしょう。
彼は人間的にも立派な男でしたよ」

昭和20年5月、景浦は2度目の応召で戦死した。
享年29。

白木の箱に入っていたのは死亡通知書と遺骨のかわりの小さな石コロだけだった。
箱の前で弟の賢一(元朝日軍)は泣き崩れた。
「こんなものが人ひとり分の命なのか・・・」。

今日は67回目の終戦記念日である。

(「清純直球コラム」(二宮清純携帯サイトより抜粋)


黙祷。

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梨田昌孝さん

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さっき鏡で(ユニフォーム姿を)見たんですけどね、懐かしいなぁと思いましたね。
なんだか若返ったような気分というか・・。お腹まわりは、大分立派になっちゃいましたけどね・・(笑)。
この帽子はね、最初は嫌だったですね。子供用の帽子みたいでね。
西本さんも、「子供の目印にちょうどいい」って。
でも、いま見るとなかなかに斬新ですね。

一番印象に残っているシーンは、南海戦の平野光泰さんのバックホーム(79年・優勝決定試合)。
センターに抜けた瞬間は「もうダメだ」と思ったけれど、ホームに向かって物凄いボールが来た。
これは落としたら大変だと、緊張したのを憶えていますね。

鈴木(啓示)さんには、200勝したあたりから指名してもらえなくなった。
別に、指名料を取っていたわけじゃないんだけどね(笑)。
食事に連れて行ってもらった時に聞いたんですけど、「お前じゃ燃えないんだ」と。
僕は性格的に、打たれても「ドンマイ、仕方ないですよ」のタイプなんだけど、有田(修三)さんは平気で「アンタ、こんなボールでよう200も勝てたね」なんて言うんだと・・(笑)。
それで燃えるんだって、言ってましたね。

(捕手2人体制は)そりゃ、メシのタネなんですから、ゲームにはもっと出たかった。
でも、出られない時にはベンチから「自分ならこうする」なんて研究してね、勉強にはなりましたね。

「こんにゃく打法」。
僕は元々、バットのヘッドが下がるクセがあったんです。
で、それなら最初っから一杯まで下げてしまえばいいと、あんなフォームになったんですね。

10.19はねぇ・・。
あの、いっつもお客さんがいない川崎球場、200人とか300人とかしかいない川崎球場(笑)に、物凄いお客さんが入ってね。
外野席の後ろにあるビル(マンション)にも、人がよじ登っててね、大変だったですね。
亡くなってしまった鈴木貴久がね、転げるように還ってきて、中西さんと抱き合ってね。
忘れられないですね。


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日本ハムの監督としてここ(大阪ドーム)に来たときは、やっぱり変な気分でしたね。
「なんで俺が3塁側におるんやろ?」とかね。

近鉄の歴代の監督で300勝以上を挙げた人は、西本さん・仰木さんと僕だけなんです。
西本さんは8度も優勝なさって、でも一度も日本一にはなれなかった。
やっぱり、「日本一」というのには今でも拘りがありますし、またチャンスがあれば・・とは、やっぱり思いますね。1000勝もね。

大村直之ですか・・?
実は日ハムの監督だったときにね、獲得を打診したことがあったんですよ。
でも当時は、球団が若手中心に切り替えたいという方針だったから、実現できなかった。
いまも、野球は続けているようですよ。

もし今でも近鉄バファローズが存在していたら・・?
どうですかね・・。
一度くらいは、日本一になれていたんじゃないかな・・と、思いますね。
やっぱり、そうであってほしいですよね ・・。


「”どこの球団”とは申しませんが、また監督就任のお話とか、あるんですか?」
「マスコミ関係の方もおりますので、”そういったご質問”はちょっと・・」

インタビュアーのコメントの端々に、なんだか妙に「嫌なもの」を感じました。
「もう”話”、出来てるんじゃないの・・?」と思うような空気も、梨田さんご本人から何となく、感じたり・・。
そしてそれは、大きな拍手で「煽っている(ようにみえる)」”現”バファローズ・ファンの”予想外の多さ”によって、より一層「嫌なもの」になりました。

”それ”が嫌だ!おかしい!と言いたいわけでは、ないんです。
むしろ、「やっぱり、”ココ”しかないんだものね」とも、思うんです。

でも、何と言ったらいいのだろう・・。
お話全般、やはり「流石やな上手やな」ではあったものの、特に初めて聞くようなエピソードもなく(例外といえば、”帽子の話”くらいでしょうか)、なんだか「慎重に内容を選びながら」お話をされているように感じました。

それがより一層、「寂しいな」「切ないな」という気持ちを、助長しました。
無論それは、「梨田さんが云々」ということでは、決してなく・・です。

「近鉄と言うチームは、個人個人がバラバラに好き勝手やって、結果的にそれがひとつにまとまって勝つチームだった」

ファイターズは、「真逆なチーム」でした。
だから、「居心地、悪かったでしょう・・?」とも、やっぱり、思う。
もう一度、「ほんとうにやりたかった野球」、したいんじゃないかな・・とも。

もし、「就任」(”復帰”では、ない)となったら、残念だけれど静かに・コッソリ、応援します。

私はやっぱり、「ニシモトの血」「猛牛の血」が好きだから。

「偽物の猛牛」。
でも関西にはもう、「パの球団」はその”偽物”たったひとつしか、ないのだから・・。

因みに私、「あの帽子」、好きでしたよ。梨田さん。
それは私が当時、「子供」だったからなのかもしれないですけど(笑)・・ね。


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