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首都圏の「Jリーグクラブのホームタウン」のなかで、今までに一度も行った事がないのは、平塚だけでした。 「J2・湘南ベルマーレ」 かつては「ベルマーレ平塚」と呼ばれたクラブ・・です。 この「ベルマーレ平塚」には、ちょっと「ホロ苦い思い出」が・・あります。 まだ「新社会人」だったころの、お話。 会社で、「ひとめぼれ」した女性が・・いました。 愛称は、「カヨちゃん」。 時代は、「Jリーグ・ブーム」に沸き立っていた、93年・暮れ・・。 カヨちゃんのお母さんの勤務先は、「フジタ工業」でした。 平塚の「J・加盟後」は、会話でも「J」がよく出てくるようになっていました。 94年。 埼玉・駒場スタジアムの「浦和レッズVSベルマーレ平塚戦」に観戦に行くことを伝えると、真顔で 「レッズになんて、負けるはずがないです・・・よね?」と・・・・。 結果。 「福田正博・史上初の1試合4ゴール」の快挙が飛び出すゲームに・・なりました。 当時「レッズ・フリーク」だった私は、上機嫌でカヨちゃんへの「お土産」も・・買った。 「たかがシャープ・ペンシル」なのに、滅茶苦茶に喜んでくれて・・・。 彼女の胸ポケットからは、いつもいつも「キングベル」(平塚のキャラクター)が顔を出していました・・。 「いいなあ。。俺もキングベルになりたいよ・・・」(→呆)。。 「私、結婚することになりました」とカヨちゃんに告げられたのは、翌年の秋でした。 どのみち、私なんぞでは「どうにもならない」相手でした。 でも・しかし、「人生そのものが嫌になるほど」のショック・・・でした。 以来、「ベルマーレ」とか「平塚」という言葉が、私にとっては「トラウマ」のようになって・・・・。 あれからもう、11年が経ちます。 「ようやく」、平塚競技場に来ることが・・出来ました。 かつては「天皇杯優勝」「リーグ戦・2位」の実績を誇り、「世界のNAKATA」をはじめ、幾多の名選手を生んだ、ベルマーレ。 「フジタ工業」がスポンサーを撤退し、以後、「苦戦」を続けてきました。 「J2に降格」してから、はや7年・・。 しかし、「地元」は変わらず、暖かかった・・。 NPO団体を作って、「ビーチ・バレー」や「トライアスロン」などの活動も積極的に推進。 Jリーグの目指す「総合スポーツクラブ」としての地位を、地道に・着実に歩んでいます・・。 「堕落する一方」なのは、オレだけで・・いい。 頑張れ、ベルマーレ・・・!
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Jリーグ
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ヴァンフォーレ甲府以外の「Jリーグ」について。。
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オオ〜 オ オオ〜オ〜オ オ〜オかし〜わ〜 ♪ 柏レイソル・サポーターの皆さんが歌う応援歌、「グリーングリーン」。 昨年の「12月10日・柏サッカー場」。 私の隣に座っていた女性が、試合後半、ほとんど「涙声で」この歌を歌っていました。 無神経にも、私はすぐ横で「喜びのあまり」叫び・万歳していて・・・・。 試合後の「喫煙コーナー」でも、私を囲んだレイソル・サポーターの皆さんは、誰ひとり悪びれることなく「おめでとう」「残留しろよ」と・・・。 家に帰ってきてふと「我に還る」と、なんだか「あの女性」に対して、無性に申し訳ないことをしたような気になって・・。 「来年はレイソルを応援する。昇格を祈り続けよう!!」と、心に誓いました。 最終戦で、やっと「生応援」が・・出来た。。 石さん。 本当に本当に、良かった・・・(涙)。 「神様はワシを見捨てなかった・・」 そりゃあ、そうだよ。。。 貴方の様な「日本屈指の名将」をいつまでも見放していたなら、私はむしろ「神の存在」自体を疑ったよ・・・・。 本当に良かった。 おめでとうございました。。。 物凄い数の「レイソルサポーター」が集まりました。 試合終盤。 「神戸が敗色濃厚」であることは、スタンドの石さん&スタッフの「表情」で、皆わかっていました。 (岡山一成は露骨に「大はしゃぎ」していたし・・笑) 私も携帯サイトで逐一「確認」していましたが、「前半終了・仙台リード」で、「柏の悲願」を確信していました。 「余裕の安堵」?で、試合中に友人と交わしていた会話は、やっぱり「1年前のこと」。。 「去年の今ごろは、もう5−1とかになっていたかな・・?」 「なってたねえ。お前はもう酔っ払って、正体が無くなってた(笑)」 「”全ゴールがバレーだった”のを知ったのは、スコアボードの写真を家で確認したときだった(大笑)」 「なんだかやっと、”胸のつかえ”が取れたような気がするねえ・・」 「ほんとよ。。ほんとに、良かった・・・」 「グリーングリーン」。 柏サポーターの皆さんと一緒に、歌いました。 「自らの責任」を棚に上げて(私はそう思う)、続々とクラブを去っていったレギュラー選手達。 主力組の数少ない「残留者」、南雄太。 「石崎チルドレンの長男格」・山根巌。 「宴会部長兼・昇格請負人」・岡山一成。 よく頑張ってくれました。。 その他みんなも・・・おめでとう!!! この〜木 なんの木 気になる木〜〜〜♪ そういえば「あのCM」、「日立グループ」だったな・・・(笑) 注・ いつもお世話になっておりますkaienntaiinng様のブログにて、「Jリーグの肖像権について」という記事を拝読させていただきました。 「Jリーグ主催の試合・競技場内・選手およびスタッフの写真の使用は、原則禁止」という旨。。 「スポーツ選手は”公人”であるため、”個人で撮影したもの”については、特に使用しても問題はない」と私は知人から伺っていたため、今まで何枚も「Jリーグの試合&選手写真」を使用してまいりました。 念のために確認しましたところ、例えば大分トリニータの場合のように「特定の選手が判別できないような写真などは、構わない」というクラブもありますし、柏レイソルでは「チームのロゴ・スタッフ・選手の写真掲載は認めない」というクラブも・・ありました。 ですので、いろいろと写真を撮って来たのですが、今回は「スタンドの”サポーターの写真”」を・・ということで、なんとかご容赦を・・と思います。。 (厳密に言うと、コレも駄目なようなのですが・・) 撮って来た写真をアップするのは、ブログの楽しみのひとつでもありますし、なんとも言えず、残念です。。 が、「規則」であるのならば・・致し方ありません。 「過去記事」については、正直処分作業が「面倒臭い」ので、万一「警告」があった場合に対応・・とさせていただきます。。
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♪ あの日打ちのめされた 怒りを忘れない 世界は君を待ってる 終わらない夢 叶えるそのために・・・ 98年。 突然姿を消してしまった、「横浜フリューゲルス」。 「単なるサラリーマン&サポーター」でしかなかった人々の手によって誕生したのが、「横浜FC」でした。 私が「スカパー!」に加入したのも、ちょうどこの時期。 スタンドのない、「グラウンドと観覧席をロープで仕切っているだけの”サッカー場”」で戦っていた、横浜FC。 アルフィーの歌う応援ソングをフル・コーラスで流している番組CMは、観るたびに・・泣けた。 「何があっても、全日空だけは使わない」 飛行機を予約するときは、必ず「JAL」を選択しました。 「阪神タイガースとジャイアント馬場と横浜Fをこよなく愛する男」。 「奇跡を呼んだサラリーマン」辻野臣保さん。 本当に、おめでとう・・。 カズさん、よかったね・・ ジョーさん、お疲れ様でした・・・ モトさん、「帰って来てくれて」ありがとう・・・・ いろんなところで沢山夢を見ておいで そしていつか またここで逢おう (99年元旦・国立競技場) 三浦淳ちゃんも楢崎正剛も吉田孝行も・・。 みんな、還ってこないかな・・・・。 ♪ そして”折れた翼”に誓う
いつかきっと もう一度 ”あの空”へ・・・・
「あの空」に、「横浜F」が還って来た・・・・!! |
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「ジェフユナイテッド市原・千葉」(通称・「ジェフ千葉」) 昔は、あまり好きなクラブではありませんでした。 松田昌士氏(元JR東日本社長)は、かつて「”ナ●ツネ一派”の急先鋒」だった。 「チーム名に企業名を使えないのなら、Jリーグを撤退する!」 ・・吼えまくるナ●ツネ氏に賛同して、「新リーグを作るなら、ジェフも付いていく・・」・・・・・。 「ジェフ」というネームは、「ジェイアール(JR)・フルカワ(古河電工)」の「略称」です。 「これは、”Jの理念”に反しているんじゃないのか??」と、ずっと「不快」に思っても・・いました。 (「ナ●ツネ氏」がこの「盲点」を川渕氏に突いてこなかったことは、Jリーグにとってこの上ない「強運」だった・笑) JR東日本・石和温泉駅。 「燃えろ!ヴァンフォーレ甲府」「JRで応援に行こう!」・・・ 「今日のヴァンフォーレの相手は、”オタクんとこのチーム”なんですけど・・?」(笑) JR東日本・甲府駅。 いやしかし、「コレはマズイ」んじゃないでしょうか、いくらなんでも・・・(笑) 本当に、いいクラブになりました。 「年間予算」は、「最低」のヴァンフォーレと比較しても、そう変わりません。 しかし、「超・名将」のもと、素晴らしく魅力的で、立派なクラブに・・なった。 「日本の至宝」・阿部勇樹。 私の、会社の部下(女性)の「友人の友人」が、「奥様」なんだ・・そうです(笑)。。 (「世間」は、本当に狭い!!!) 「存在感・絶大」でした。。。 巻誠一郎は怪我で欠場したものの、「”自前で”育てて、代表にまで上りつめた」若手選手が、イッパイで・・・。 今日の甲府戦。 代表戦との兼ね合いもあって調整に苦労していたのでしょう、「いつものジェフ・サッカー」に比べると「いまひとつ」の感はありましたが、それでも、「隙あらば」の速攻にはハラハラさせられっぱなし。。 後半になっても、「運動量」は落ちませんでした。 3月に千葉で観た試合(千葉VS甲府)は、私にとって「今季最高に面白かったゲーム」でしたが、 今日の試合、甲府にとっては「惜敗」だったけれど、私も友人も「満足!」です・・。 「遠くから来てくださったジェフサポーターの皆さんも、ありがとう!!」 セレモニーでの甲府・海野一幸社長の挨拶に、「ヴァンフォーレ・コール」で応えてくれた、サポーターの皆さん。 「甘い!」という人もいるのかも・・ですが、私は凄く嬉しかったです。。 ありがとう。 ジェフ千葉も、頑張れよ・・・!!! 「ただし」・・・! 「小瀬競技場発・新宿行き直行バス」。 まるで、「私のためにあるよーな」(涙)、バス。。 ・・バスの車内を覗くと、「黄色ユニのサポさん」がイッパイ・・・・。 キミタチ・・・ |
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柏レイソル監督・石崎信弘さん。 私の、Jリーグで一番好きな監督さん・・です。 これは7年前、大分トリニータ監督時代のインタビューのものです。 後にも先にも、現場の人物からこんなにも素晴らしい「Jリーグ論」を聞いたことはありません。 この年(99年)の大分トリニータは、最終節を残して「J1昇格圏内」の2位にいました。 最終戦。「勝てば、昇格」。 試合は、ロスタイムの数分を残して「大分が、リード」。 満員に膨れ上がったスタンドでは、サポーターの方々が「くす球」を割る準備を始めていました。 「山形のこのセット・プレーがクリアされれば、試合終了→大分・昇格!」というところで、「悪夢」が・・・起きた。 「悲運の名将伝説」?は、ここから始まりました・・。 翌シーズンは、「浦和が、あと30分無得点だったなら」・・・ 川崎フロンターレ時代にも、 「勝ち点・1の差」で・・・・・ こんなにも「悲運」に泣き続けた指揮官は、他には絶対に・・いない。 1・横浜FC 86 2・柏レイソル 85 3・ヴィッセル神戸 84 夏場まで首位を独走していた、レイソル・・。 「でも結局、最後は柏が3位だよ。で、入替戦でも負ける(笑)。だって、石崎だもんなあ・・」 弟の「予言」が、冗談では無くなってきた・・・(涙涙)。 昨年の、12月。 「オマエ、生きて帰って来いよ」 「柏サポの前でハシャぐなよ。○○されるぞ・・」 「まだ生きてますか?? ”念のため”、連絡ください・・」 「甲府・歓喜の瞬間」に、友人・知人から多数の「暖かい」ご忠告メールを頂戴しました。 しかし、レイソルのサポーターに「そんな人」「そういう人」は・・ひとりもいなかった。 「”再来年”、J1で会いましょう!」 「おめでとう。絶対に、最低1年は残れよ!」 「相手が甲府で良かった。マジ、応援するから!!」・・・・ 柏レイソルの「復帰」&石崎信弘さんの「悲願」。 12月2日、「運命の日」。 平塚競技場に行きます。 「石さんの胴上げ」を・・・信じる!!!
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