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見た。 いや。 正確には、「見たことにはならない」のだろうと思います。 ライオンズ球場。 昭和55年だったと思います。 ライオンズがセーフティ・リードしていた状況で、山口さんは投げていました。 メッタ打ち。ストライクも入らない。 そんな記憶だけが、残っています。 ケイブンシャ。「プロ野球大百科」。 生まれて初めて自分で買った、選手名鑑。 12球団各選手の簡単なプロフィールに、記者さんの「ひとこと紹介」が添えられています。 山口高志さんの欄を、観る。たったの6文字だけ。 「夢よもう一度」。 小学生でも強烈に伝わる、「物悲しさ」。 一種の、「トラウマ」。 いまも、忘れることが出来ません。 「父ちゃん、山口ってどんなピッチャーなの?」 「凄かったんだけどな。こんなんじゃなかった。ニッポンいち、すごいスピードボールだったよ・・」 ライオンズ球場から帰ると、箪笥の引き出しをゴソゴソ。 「あった! コレ、やる。大事に読めよ」。 「阪急VS巨人 1976年日本シリーズ」という、ムック本でした。 「速い速い! 山口特急」 「褒めても褒めても褒めても足りない足立」 残念ながら、貴重なムック本は、消失。 でも、名フレーズの数々と迫力満点の山口さんのピッチングフォーム写真は、今でも鮮烈に思い出すことが出来る。 文字通り、ボロッボロになるまで、読んだから。 「涙目の小林繁さん」「怒り狂う”クレージー”ライト」なんていう写真のことまで、憶えています。 「たぶん、日本の野球で一番だったと思うよ」。 親父はそう、言いました。 2007年・甲子園球場。 相当な無理をして、ネットオークションで「年間席」を購入しました。 3塁側。バッテリー間を、ほぼ真横で観られるポジション。 「解雇寸前だった藤川球児に”奇跡”を起こした男」という、ラジヲのニュース・コラムを聴いてしまったから・・でした。 「山口高志が乗り移った」藤川球児。 「”本物の”山口さんを見たかった」という叶わなかった願いを、球児に託したかった。 身震いするほどの、「火の玉剛速球」。 夢、叶えてもらった。 これがきっと、「ほんとうの山口さん」だったんだ。 そう、思いました。 甲子園、来た甲斐があった。 2枚の値段、「新幹線の片道分以上」だったけれど(苦笑)。 でも、惜しくない。惜しくありません。 2014年・神宮球場。 「いつ以来やろう・・?」というほどに久々の、山口さん。 身長・174センチ。 藤浪晋太郎と並ぶと、「オトナと小学生」のよう。 よくぞ、こんな小さな体で・・と、改めて敬服・・でした。 阪急言うたら、山口高志やったねぇ。 速い! むっちゃくちゃ速かった。 広島の津田(恒実)が速い・速い言われたけど、ぜんっぜん違ごたね。 山口は別格やった。ホンマ、メチャクチャ速かった。 なかなか信じてもらえへんのやけどね。 史上一番やで。山口は。 昨年、大阪でお会いした「南海ファンおじさん」。 ウチの親父とおんなじこと、言うてたな。 ありがとう。 「夢よもう一度」。 いま思えば、「ちっとも悲しくなんかない」。 「細く長く」よりも、「短くてもぶっとく」のほうが全然、格好良い。 「レジェンド」になれる。 それでこそ、「プロ中のプロ」だ。 「君は山口高志を見たか」。 じっくり、拝読します。 |
プロ野球の本
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箱庭みたいな球場のガラガラのスタンドで、テレビ中継もほとんどなく、スポーツニュースでは「パ・リーグ三試合の結果はご覧の通りです」で済まされていた、あの時代のパ・リーグの本です。 世間からの注目はなくとも、世界なんて相手にはしていなくとも、そこには世界に通ずる最高の技術を持った職人たちがいました。 どうしようもなく男くさく、しょっちゅう乱闘があり、智謀百出の駆け引きがあり、珍プレーの笑いも、感動も溢れていた、“プロ野球選手"たちがいたエキサイティングリーグ。 インタビューの人選は、山田久志、東尾修、村田兆治、鈴木啓示、福本豊、門田博光、石毛宏典という“パ・リーグの大スター"選手ではなく、あくまでも“80年代のパ・リーグらしい選手"を取り上げています。 彼らの話には「あの頃はよかった」ではなく、今のプロ野球に足りないもの。 また、今のプロ野球に繋がっているものが多くあるように思います。 そんなものを噛みしめながら、是非ともお楽しみください。 「僕たちが愛したプロ野球 80年代パ・リーグ」(スコラムック・刊) (序文より抜粋) アマゾンは、「注文履歴」に沿って「あなたへのおススメ」を入れてきます。 なので、私にはいつも、「こういう本」ばっかりを薦めてくる(笑)。 「プロ野球が人の思いで成り立っていた時代」。 いつも大抵、どうしようかな〜といろいろ考えてから購入ボタンを・・のパターンなのですが、この本はもう、表紙写真を観た瞬間に「今すぐ買う」ボタンを押していました。 江夏豊さん(元ファイターズ) 金森栄治さん&西岡良洋さん(元ライオンズ) 間柴茂有さん(元ファイターズ) 香川伸行さん(元南海ホークス) 村田康一さん(元パリーグ審判部長) 岩本好広さん(元ブレーブス) 島田茂さん(元オリオンズ) ロベルト・バルボンさん(元ブレーブス) 小寺廣和さん(南海ホークス応援団長) 「純パの会」の皆々様 あまりにもマニアックな、マニアックすぎる人選。 「パリーグがもっともパリーグらしかった時代」を象徴するひとばかり・・です。 どのインタビューも素晴らしく面白くて、アッという間に読了。 今は無き球場やユニフォーム、愛してやまなかった選手の皆さんが、次々と脳裏に浮かんできて、脳内を埋め尽くしました。 そしてちょっぴり、泣けてきた。 これはダイエーになってからのことやけど、”日本石油”から近鉄入った大久保(秀昭)って選手おったでしょ。 彼がルーキーの年に藤井寺でウエスタンリーグあって。 で、ネクストバット振ってる時に、「君か、大久保くんてのは〜! 仕事もせんで野球ばっかりしてたんだろ!?」ってヤジったらあの子が、「ええ、”油”売ってました」って。 最高やろ、この掛け合い(笑)。 ベンチにいた石毛も笑っとったもん。 (小寺廣和さん・南海ホークス応援団長) 思いきり笑って、でもなんだか切なくもなったり。 いやでも、「エエ時代やったな。今もそうなってほしぃなぁ」とも、思えたり・・。 そんなインタビューばっかりです。 パ・リーグを愛したひとみんなに、読んでほしいです。 昨年、「来年はもう、野球抜きで大阪に来たいな」などと思っていたのですが。 どうしましょうかねぇ、aout様・・。 |
ああ、私の中での野球が終わったなあと思いました。 でも、それは仕方のないことです。 お客は入らないし、それでいて球場の費用はかかる。 それならば新しい土地でと会社が判断したことは理解出来ましたからね。 北海道は99パーセント巨人ファンだと聞いていました。 でも、わが街のチームとなれば違ってくるんですね。 ただ、ファイターズは北海道のチームというのを聞いて、うれしい反面、東京で私たちは大変な思いをしてファンを集めていたんだぞっていう気持ちも、どこかにはあるんですよ。 仕方がないのかもしれませんが、年々、東京での試合が減っている気がします。 でも、まだ東京にもたくさんファンがいるんです。 おじいさん、おばあさんになる人もね。 みんなが応援していることを覚えていてほしい。 確かに数は多くなかったかもしれないけれど、チケットを買って球場に来てくれるお客さんがありがたかった。 ファンの人を、私たちは本当に大切に思っていたんです。 「俺たちの東京日本ハムファイターズ」(ベースボールマガジン社・刊) 元ウグイス嬢・川部栄子さん。 古くからパリーグに親しんできた方々なら、最低でも一度はその美声を耳にしたことがあるはず。 「1番センター・島田誠」。 ささきいさおさんの応援歌ともども、川部さんのアナウンスが、私は大好きでした。 物心ついた瞬間からの「熱狂的アンチ巨人」にありながら、私は後楽園球場も大好きで。 それはきっと、川部さんやささきさん、そして何より「東京ファイターズ」のおかげ。 1階の立見用通路。ゴンドラ席の屋根下。 ミットにボールが収まる音や打球音が、とても良く響くんです。 ファイターズの応援は「太鼓だけ」の控えめでシンプルなものだったから、「野球の音」がしっかり耳まで届く。 お客さんは多くないのに、けれど「オオー!」という歓声や拍手が、これまた屋根にこだましてよく響き、なんだか凄く盛り上がっているように感じられたりして。 その心地よさがたまらなく好きで、だから2階席のチケットがあっても、いつも1階で立って観ていました。 7回あたりになると係員が姿を消すので、「特等席でタダ見」なんてことも、よくやったものです。 東京ファイターズ。 特別に弱いわけではないけれど、「強い」というほどでもない。 地味で目立たない選手が多くて、チーム・カラーもはっきりしない。 学校の通信簿に例えるなら、「オール3」のチーム。 可も不可もないのだけれど、「なんだか物足りない」。 「東映のほうが良かった」だの「後楽園のB面」だのと、言われたりも・・して。 「でも俺は好きなんだよ。理由? う〜ん、なんだろう・・笑」。 そういうファンの人が、大勢いたチーム。 そんな気がします。 それで、いいんですよね。良かったんだ。 理由なんか、いらない。 後楽園とパ・リーグの野球が、私も大好きでした。 「東京があったから、札幌がある」。 ファイターズに限らない。 「セネタース」「フライヤーズ」だって。 この球団は、れっきとした「首都・東京のチーム」だったんだ。 忘れないであげてください。 札幌&北海道の、素晴らしいファンのみなさん。 「知りたい!知ろう!」と、思ってあげてください。 私たち東京人が愛した、「後楽園のファイターズ」のことを。 |
本来、野球のユニフォームは、ラインは袖とパンツのサイドだけ、飾りはそれだけでいいんです。 広島のホーム用がそういうスタイルだけど、あれが現在プロ野球ユニフォームの中では、一番格好良いと思いますね。 もう少しああいうスタイルが出てきてほしいです。 (綱島理友・「プロ野球ユニフォーム図鑑」(ベースボールマガジン社・刊)) 1位 阪急ブレーブス・ホーム用(60〜61年) 2位 南海ホークス・ホーム用(60年〜68年) 3位 大洋ホエールズ・ビジター用(60〜61年) 4位 サンケイアトムズ・ホーム用(66〜68年) 5位 西鉄ライオンズ・ホーム用(54〜59年) 綱島さんの選んだ、「歴代ベストデザイン5傑」。 「今のごちゃごちゃしたユニフォームより全然恰好いい」。 なるほど、「シンプル・イズ・ベスト」な傑作ばかりです。 今日は全部のゲームを観られたけれど、個人的に「格好良いな」と思ったユニフォームは、バファローズとライオンズのビジター用とドラゴンズのホーム用だけ・・でした。 寂しいな。 「日本プロ野球ユニフォーム大図鑑」 全3巻。今夏発売決定! 待ちに待った、綱島さんのユニフォーム本最新刊です。 今から本当に楽しみです。 セネタース(西武鉄道)→西鉄→西鉄ライオンズ→福岡野球→西武ライオンズ。 知る人ぞ知る、「先祖がえり」の物語。 これもまた、本当に楽しみです。 「今日のアサムラ」はちと、許せんけども・・・(涙)。 |
王野球と、王野球に関する感想を求める何本もの電話にうんざりした数日前、吉本興業に勤めている友人のT君から、素晴らしい電話がかかってきた。 「もしもし。えらい夜遅うにすんまへん。 いや、べつに用事やないんですけど、久し振りにナンバ球場(大阪球場)へ野球を見に行って、ごっつう感動したもんで、ちょっと話がしとうなって電話かけましてん。 今日、ミナミのいつもの飲み屋で酒飲んどったら、珍しいことにテレビで南海と日本ハムの野球中継なんちうやつをやっとって、ふと見たら、七対七の同点で延長戦になってまんねん。 ほいで、こら面白そうや、ちょっと見に行ったれ思て、飲み屋飛び出して球場のほうへ走り出したら、あっちの飲み屋からもこっちの飲み屋からも人が跳び出して来て、皆、ナンバ球場のほうへ一生懸命走りよるんですわ。 ほんで五十人ぐらいが列になって、『早よ行かんと、また南海がコロッとコケて、試合が終わってしもとるで』とか『なんや団体で深夜のジョギングやりよるみたいやなあ』とか、阿呆なこといいもって三〜四分で球場に着いたら、切符売りの女の子が『いまは御招待させていただいております』なんていいよりまんねん。 何のこっちゃいなあと思たら、早い話が試合の終わりかけに行ったら無料(タダ)で入れるいうこって、『儲けた、儲けた』いいながらベンチ裏の席についたら、もうスコアボードの十回表の日本ハムのとこにあんじょう一点が入ったある。 なんや、せっかく走ってきたのに、また負けかいなあと、まあ、結局、南海はそのまま負けてしまいよったんでっけど、十回裏の最後の攻撃が結構面白かったんですわ。 というんは、一死(ワンダン)一塁でバナザードいう、ほら、今年新しい入りよった大リーガーが三振しよったんですけど、そのあとヘルメットをパカーンって地面に叩きつけよって、ほんでそれをポカーンって蹴っ飛ばしよって、おまけにバットをヒザに当ててベキッと折ってしまいよったんですわ。 ヒビも入っとらんバットをベキッとやりよったんでっせ。 それを見た子供が、『お父ちゃん、あのバッター、力あるなあ・・・』 いや、これ、ワテの作ったギャグとちゃいまんねん。 ほんまにあった話でんがな。 ほいで、その子供が『お父ちゃん、南海の野球もなかなか面白いもんやなあ・・』いいよりましてん。 よう見たら、その親子は、親父さんのほうが南海の緑の帽子かぶっとって、子供のほうは何もかぶってまへんねん。 これ、甲子園なんかとは完全に逆のパターンですわ。 それはともかく、バナザードがヘルメット蹴っ飛ばしてバットへし折りよったん、ほんまに迫力ありましたで。 そんなんジャイアンツの選手やったら、罰金でっしゃろ。 いや、まあ、罰金は取られいでも、行儀が悪いとか何とか、マスコミに叩かれまんのやろなあ。 可哀想なこってすなあ・・・。 けど、一年ぶりくらいに野球をナマで見ましたけど、やっぱりナマは面白おまんなあ。 だいたい、ミナミのど真ん中に野球場があるということ自体が凄いこってっしゃろ。 あないに広い土と芝生のスペースが、町の真ん中にドッカーンとあるんでっさかいな、改めてびっくりしましたわ。 ほれ、演出家のピーター・ルックが、東京で『カルメンの悲劇』やったときに、銀座セゾン劇場に土運んで、コンクリートの都市の真ん中に土の舞台をつくったとか何とか、えらい大層な理屈つけて話題になったことがありましたけど、そんなことしてわざわざ仰山の土運ばんかって、大阪には町の真ん中に、ちゃんと野球場がありまんのやさかいね。 ナンバ球場いうんは、偉いもんでっせ。 その広い土と芝生のスペースで、缶ビール一本飲んで、バナザードがバット折りよるん見て、ほんでまた飲み屋に戻って飲み直したんでっけど、ほんま気持ち良う酔えて、満足できましたで。 まだ行ったことおまへんけど、東京ドームいうような人工芝の屋根付きでは、こないなええ気持ちにさせてくれまへんやろなあ。 せやのに、近いうちにナンバ球場を壊すとかなんとかいうとりまんねん。 ほんま、惜しいことでっせ・・・。 けど、まあ、今度大阪へ来やはったら、声かけてください。 ナンバ球場のあるうちに、そこでバナザードのプレイを見まひょうや・・・」 『愛と幻想のベースボール』(玉木正之著・JICC出版局刊) 「最後まで読んでくれる方なんて、おらんやろなぁ・・」と思いつつ、でも、「ひとりでもふたりでも、読んでくれるひとがおったら最高やなあ」という願いに負けて、一生懸命、引用しました。 (著作権、大丈夫やろか・・) 1989(平成元)年5月発売。 学生時代に購入した本ですが、いまでも大好きで、愛おしくて、大切に本棚に置いてあります。 野球をより一層大好きにさせてくれた、「一生ものの宝もの」です。 福岡に嫁いでいったホークスが、25年ぶりに里帰りします。 「実家」はもうないけれど、「愛してくれたたくさんの家族」はきっと、大歓迎で迎えてくれることでしょう。 私も東京から、「”墓参り”ついで」で、馳せ参じますよ。 |









