超満員の大阪球場に別れのトランペットが鳴り響いた。 その日、南海ホークスは50年の歴史に幕を閉じ、大阪球場にもまた、別れを告げた。 福岡を本拠地とするダイエーホークスでも指揮を執る杉浦忠監督はあいさつを「行って参ります」で締めた。 鶴岡一人元監督もグラウンドに降り、ファンの前で「チームは阪急、近鉄でまた来ますので応援してやってください」とあの懐かしいシワガレ声で言って、頭を下げた。 南海最後の年、40歳にして本塁打王&打点王となった門田博光は、ただただ泣いていた・・・・・・。 あれからもう20年以上の月日が流れた。 みなさんの記憶はもう、色あせただろうか。 あの誇り高き男たちのことをもう、忘れてしまっただろうか。 プロローグ「1988年10月15日の涙」「南海ホークス・栄光の歴史」(ベースボールマガジン社・刊) 昨年・今年と発売された阪急ブレーブス、近鉄バファローズの球団史が、きっと好評だったのでしょう。 復刻ユニフォームイベントが絡んでいないのに、目出度く関西系追悼シリーズ第3弾の発売となりました。 打者として超一流、捕手としても超一流。 監督として文句なく超一流。 あとは「国民栄誉賞」か、「文化功労章」か、南海ホークス(現ソフトバンクホークス)の『永久欠番19』か。 それがなぜ? 聞いてくれるな、ホロホロ鳥よ・・・・・。密かに期待していた「ノムさん新録インタビュー」は、残念ながら無し。 けれど、大好きなヴェテランライター・水本義政さんが、変わらぬ健在ぶりで読み応え抜群の記事を寄せてくださったので、な〜んにも問題ありません。 近鉄の応援団が、「南海電車はボロ電車、近鉄電車は2階建て」とかね。 これは西宮球場だけど、南海の応援団が「お前ら、いくら強くたって客が入らんやないか」ってヤジったら、「いいんだいいんだ、ウチは競輪がある」って(笑)。 面白かったなあ。ひたすら楽しかったですよ、南海時代は。自由で、好き放題やって。でも野球は厳しかった。佐藤道郎さん&エモやんの、爆笑トーク。 何度も笑って、驚いて、頷いて、最後はなんだか、ホロリときました。 ひとりでも多くの野球ファンの方々に読んでいただきたい、逸品です。 また、記事にします。 「日本野球のルーツは、中百舌鳥、大阪球場だよ」(佐藤道郎さん) 忘れるものか!南海ホークス。 ※表紙写真の、ユニフォーム。 どうして「コレ」が選ばれたんでしょうか・・ね?<aoutさま&寝太郎さま 「”栄光の時代”は、”ココまで”でした」?
「ノムと共に去りぬ」・・? いろいろ考えていたら、寝られなくなる・・かも?です・・(笑) |
プロ野球の本
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今の観客は、自分のひいきのチームが勝つのを見るのが、それだけが楽しみのようです。 私も含めて、昭和40年までのファンは違います。 プロ野球を見に行くのはプレーによって、あるいは選手によって、監督によって、関係者たちによって、ほかの世界では得られない感動を得るために、野球場に足を運んだのです。 1つでも自分の見たすばらしいプレーの語りぐさをふやそうと思って、今日はどんなシーンが見られるか・・・とワクワクしながら野球場に行きました。 だから、ゲームを見ていて、語りぐさになるようなプレーが1つでもあると、とってもうれしかったものです。 今、後楽園のエアドームをいっぱいにしているお客さんたちは、はたして翌日学校で、あるいは縄のれんで、たとえどこでも、「きのうの誰々は、こんなすごいプレーをしたぜ」とか、「いつでもあの1塁手は危なっかしくボールを捕るけども、しかしまず落とさないねえ」だとか、「あのピッチャーのボールは、せいぜいが130キロしか出ないけども、しかしよく曲がるんだねえ、打てないんだねえ」だとか、そういう野球のプレーの話をしているでしょうか。 (略) 野球というものは、プロ野球というものは、ファンに感動を与えるためにあるんだと。 ファンに感動の語りぐさを貯えさせるためにプロ野球は存在するのです。 そして自分のひいきのチームが、こみ上げてくる感動的なプレーとともに勝てば、これはなおさらけっこうであると。 繰り返します。プロ野球というのは、勝ち負けを見に行くものではありません。 第一に感動、そして大きく離れた第二が、勝ち負けです。 (安部譲二「プロ野球死んでもらいます」(学習研究社・刊) 金曜日&土曜日と、札幌のファイターズVSマリーンズ戦に注目していました。 金曜日は、なんともお粗末なゲームでした。 ファイターズの得点は、荻野貴司の「ありえないW失策」による2点のみ。 マリーンズの1得点も、無死満塁→2死満塁→やっとこ押し出し四球で・・という、寂しいものでした。 吉川と成瀬。 素晴らしい投手戦&緊張感が味わえると思っていたのに、終了後に残ったのは「ドッチラケ感」だけでした。 「あんなドーム球場なんかでこんなゲームして、こんなの、おカネ払って観るもんじゃないな」と、なんだか切ない気分になってしまいました。 土曜日のゲームは、試合中になんと札幌在住の悪友(マリーンズ贔屓)が、テレビに映りました。 早速で、メール送信。「おい、GAORAにどアップで映ってるぞ(笑)」・・。 「今週の3連戦が今季最後のマリーンズ生観戦なのに、酷すぎますよ(涙)。。このまま終わったら(0−5)、やりきれんですよ・・」。 懸命の粘り腰で、4−5に。 最終回も、2死3塁まで追い込みましたが、あと一歩、届かなかった。 嗚呼! またしても「あと1本」が・・出ない(苦笑)。 いやでも、よく頑張ってくれました。面白かった。 「面白くないですよ!(怒) マジ、日ハムに負けるとムカつきます。東京で巨人が勝つと、翌日の新聞、ハラ立つでしょう? 札幌でも、次の日に新聞読むとムカつくんですよ・・」 いや、ワシはそもそも「巨人の記事は全部スルー」だから、なんともないよ・・(爆)。 そんなことよりも私は、今年のパリーグの野球が「ちっとも楽しくない(らしくない)」ことのほうが、残念です。 「豪快」「個性的」「爽やか」。 そういった「ウリ」(お家芸)が、まったく見えてこない。 なんだか全般的にチマチマしていて、爽快感がない。 (せめてもの「救い」は、イーグルスの銀次やホークス・柳田の台頭くらい・・でしょうか)。 そのほうが余程、不愉快・・なんです。 独走しているらしいセリーグの某チームも、一体なにがそんなに凄いのかが、サッパリ理解出来ない。 今年はほんと、球場になかなか足が向きません。 西鉄とか阪急とか近鉄とか、そんなときのゲームばっかり・・です(苦笑)。 「単なる懐古趣味なだけのオッサン」ってワケじゃあ、ないですよ。 「”語り草の貯え”が期待出来ない」から、おカネを払う気分にならないんです。 いやでも、やっぱり、プロ野球にもパリーグにも、もっともっと頑張ってほしい。 絶対に「こんなもん」じゃないはずだと、もっと絶対面白く出来るはずだと、信じています。 マリーンズ。 7月7日以降、「15勝29敗」(!)。 凄まじい、超・急降下ぶり・・です。 「逆下剋上」「7起き8転び」(笑)。歴史的転落ぶり(?)・・です。 いやでも正直、それまで(貯金15)のほうが「なんだかよくわからんなぁ」だったこともまた、事実でした。 鈴木大地君の勝負強さは、見事です。素晴らしいです。 前半戦、同期3人の活躍を浦和球場で観ていて、さぞ、悔しかったことでしょう。 いまや、その3人を完全に凌駕しています。 さすがは、金メダリストです。 今日は親友・藤岡君の「復活登板」。 注目して、期待して、ワクワクして、マリーンズを楽しみたいと思います。 今年最後の観戦になるファンも、います。 素晴らしいゲーム、魅せてあげてください。 因みに日本シリーズは、西鉄ライオンズに託しマス・・(笑)。 |
高知の宿毛でキャンプをしているとき、(ヤクルトの)監督を辞めて評論家になった広岡君が姿を見せたので、「ホラ、キミ(マニエル)の大好きな人が来たぞ」とからかったら、「あの後ろにいる人(森祇晶氏)には、もっと会いたくない」って(笑)。 ヤクルト時代は、何時に起きて朝食には何を食べろって、全部命令されていたらしい。 それに比べれば近鉄はプレーしやすかったのかもしれないね(笑)。 あのリーグ優勝した頃、北海道の女学生からファンレター、もらいましてね。 それが今でも忘れられんのですよ。 「私は、勉強も出来ない、顔も美しくない、スタイルもよくない。日頃、落ち込んでいる」と書いてきた女の子です。 それが「近鉄の選手の姿を見ていたら、コツコツ積み重ねていけば、いつか何かができるんだと思うようになりました」と書きつづっていた。 うれしかったですよ。 「エリートではない、無名の人たちが固まって一所懸命にここまで来たことに感動します。私も頑張ってみます」と。 そりゃあ、もっと勝ちたかった。 でも、その女学生が感動してくれたようなチームでやってこられたことを、私自身が何よりも感謝していますね。 (西本幸雄さん) 近鉄というチームは記憶にすごく残るミラクルが多い。 何をしでかすか分からんチームでした。 弱いときはとことん弱いし、いいときは僕らが何もせんでも選手が踊って勝っていく。 日本一がないのに、これだけ印象的なシーンが多い球団も珍しいんじゃないですか。 (梨田昌孝さん) 近鉄は最高です。誰が離れますかいな。こんな雰囲気のいいチームを。 (北川博敏) 近鉄というチームは、12球団でも一番選手がプレーしやすいチームだったんじゃないかと思います。 上から選手を押さえつけたり、規則で縛られることもほとんどなかったですしね。 ユニフォームを脱いだらみんなバラバラでも、試合になって勝つと抱き合って喜べる。そんなプロらしいチームでもあったと思います。 (中村紀洋) 当時は、西武が管理野球で勝っていた。 あれが西鉄の流れをくむサムライの集まりと言われてもピンとこなかった。 一度、二軍監督をしていた滝内(弥瑞生)さんに食事に連れていってもらったとき昔の西鉄の話を聞いたんですけど、そこで思ったのは関口(清治)さん、仰木さん、中西さん、滝内さんはみんな西鉄OB。ああ・・・近鉄みたいなチームが昔で言う西鉄の野武士野球なんだな、と。 (立花龍司さん) いろんなことがありましたけど、やっぱり近鉄に入ってよかった。 最初は眼中になかった、「No Like」やったチームが、入ってみたら好きになって 「Like」に変わり、10年、15年と過ごしていくうちに、好きを通り越して 「Love」になり、そして最後は、「感謝」の一言に変わったという、そういう感じなんですよ。 (鈴木啓示さん) しょっちゅう代走をさせられました。 ある時には”偵察投手”というのも。 僕の先発と分かったら、相手が偵察選手をパタパタと左打者に代える。 すると三原さん、僕が一人打者を討ち取っただけで左投手と交代を告げるんです。 あそこで打たれて敗戦投手になるかもしれないのに。酷いことするなあ(笑)。 試合前の練習でもプンプンに酒臭い。先輩たちは門限破りは当たり前。 僕がその手助け役でした。 夜中にコウジ、コウジと呼ぶ声がして、土井さんたちが塀をよじ登って2階の僕の部屋に侵入するんです。 近鉄はそんな逸話を持つ最後のチームだと思います。 (太田幸司さん) 俺は、西本さんに向かっていったことがあったなあ。 日生球場で俺がセカンドランナーにいた時にセンター前ヒットでホームに帰れないことがあった。 西本さんにしたらホームへかえって来れると思ったらしくて、ベンチに戻ったら「この野郎、手抜きしやがって!」って怒鳴るから「抜いてないです」って答えた。 そしたら、また「手抜きしやがって!」って怒鳴るから「抜いてないです」。 それでも、もう一回「手抜きしやがって!」って来たから思わず「抜いてねえって 言ってんだろ、この野郎!」って(笑) (栗橋茂さん) 僕は、相手球団のヤジっていうのは意外と大丈夫だったですよ。 それより近鉄ファンから一斉攻撃でやられる方がきつかった。 (10月19日は)もうね、ゲッツーにになった瞬間は、ベンチに帰りたくなかった。 乗り物でもあったら、そのままベンチに帰らんと、どっか行きたかった。 (羽田耕一さん) 三原(脩)さんが近鉄の監督になる時(68年)、実は助監督で戻ってこいと誘われた。 その時はこの人の真意が分からんので断ったが、いまにして思えば引き受けるべきだったなあ。 三原さんはワシに”やり残したことをやってみろ”というサインを出してくれたんや。 (千葉”猛牛”茂さん) 周りからはお荷物だとかいろんなことを言われて、世間の風当たりは強かったけど、それで反発したり、奮い立ったり、中での結びつきは強かったですね。 僕はパールスと言うチームに愛着を持ってました。学生自分からバッテリーを組んでいた根本(陸夫)は、「ボロはまとえど心は錦」なんてよく言ってましたよ。 パ・リーグで今まで親会社が変わらなかったのは、近鉄だけです。 あの弱いチームをよくずっと我慢して、継続してきてくれたなと思います。 今回、近鉄の人たちは本当につらい思いをして球団を手放すんだと思いますよ。 喜んで手放しているわけではない。これは僕が一番よく知っています。 いい思いをしたのは何回もないのに、それでも続けてくれたことには、感謝しなきゃいかんなと僕は思います。 (関根潤三さん) 「さらば大阪近鉄バファローズ」(ベースボールマガジン社・2004年刊)。 何度読んでも、どこから読んでも、快哉を叫びたくなる。泣けてくる。 「絶版」。無念。 ひとりでも多くの野球ファンに、読んでもらいたかった・・と思っていたら、もうまもなく「改訂版」、発売の予定なんだそうです。 嬉しいなあ。ありがとう。 2012年・8月4日。「近鉄バファローズ復活祭」。 多くの人びとの「それぞれのバファローズ」を想いながら、”奇跡の軍団”をいま一度、偲んでみたいと思っています。 「いまはまだええで。10年もたてば、いまの子供が南海を知らんのと一緒で、バファローズがパールスの世界になってしまう」(光山英和さん)。 頑張ります。 命ある限り、語り継ぐために。 |
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大阪球場 川崎球場 後楽園球場 阪急西宮球場 日本生命野球場 東京スタヂアム 近鉄藤井寺球場 広島市民球場 平和台野球場 上井草球場 横浜平和公園野球場 駒澤野球場 「よくある類の本」なのですが、「観たことがなかった写真」「観てみたかった写真」が非常に多く、 貴重な資料になってくれています。 駒澤球場や上井草球場、横浜平和公園球場のグラウンド風景は、今までどの本にもきちんと紹介されていなかった。 「ああ、こんな感じだったのかぁ」と、妙に新鮮で嬉しく・・です。 大阪球場の選手用風呂や川崎球場の審判用浴室の写真は、ちょっとした「衝撃」。 後者はまるで、「罰ゲームの拷問部屋」のよう・・です(爆)。 記事に関しては、僭越ながらちょっと物足りません。 著者が76年生まれと「非リアルタイム世代」だからなのでしょうが、マニア(笑)ならすぐにわかってしまう「誤り」が、非常に多い。 しかしそれを補って余りある、貴重な資料写真の数々。 ベッドの横に常備しておいて、就寝前にチョコチョコ観たりしています。 「懐かしいな」「行ってみたかったな」「もう一度でいいから、行きたいな」。 なんだか、しんみりしたり、ワクワクしたり、泣けてきたり・・。 安い本ではないのですが(1800円)、寝太郎さま&aout様には特に、お薦めいたします。 「”読み応え”のあるものがいい」という方には、こちらが断然お薦めです。 尊敬するライター様のひとり・阿部珠樹先生。 何度も何度も読み返しています。 座席も狭くて、トイレも汚くて、お客さんのガラも悪かった。 けれど、今の野球場の何倍もワクワクさせてくれたし、何十倍も身近だった。 どの球場にもカクテル光線があったし、屋根なんか無かったし、風があったから。 ライオンズ・ファンの少年・少女たちには、「ライオンズ球場はむかし、緑に囲まれて大きな花火も見られる、素晴らしい野球場だったんだよ」と、言ってあげたい。 そして、「またそんな野球場に戻ってほしい」と、声高に叫んでもらいたい。 ふと、そんなことを思ったりも・・です。 「リグレーとかフェンウェイを見てると、”野球文化”という観点では日本は永久に追いつけないんだろうな、と思うよね」(友人) 「昭和&本場から学んでほしいこと」、いっぱいあるように思います。 「甦る猛牛伝説 1988.10.19を忘れない」。 現在、スカパーで放送中です。 佐野正幸さん・金村さん・阿波野さんに加えて、高沢秀昭さんも。 「今日は、悪役として参りました(笑)」 もう一度、川崎球場のスタンドに座りたいな。 川崎球場で「野球のゲーム」が観たいなと、心から思います。 |
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ずっと未読のままだったのですが、読み出したらアッという間。 3日間で、読了。引き込まれました。 史上初めて「安打製造機」と称された、天才打者。 同時に、数々の「奇行」により球界から姿を消した「謎の野球人」としても、知られています。 「超」のつく、極貧の少年時代。 5歳のときに、太平洋戦争が勃発。 集団疎開に出発する日に、33歳の母が病死。 出征した父は、終戦後もシベリアに抑留されたまま戻らない。 祖母&幼い弟との、3人暮らし。 雨漏りを放っておくと、屋根に穴が開いた。 寝室に、雨が降ってくる。 畳には、茸が生えてきた。 家の中で傘を差し、立ったまま朝を迎えることも・・。 絶望的な空腹と、極寒の日々。 喜八少年の「希望」は、職業野球。 友人の姉に連れて行かれた、後楽園球場。 沢村栄治・呉 昌征・苅田久徳・青田昇。 でっかくて美しい、後楽園球場。 「ストライク」も「アウト」も、禁止。敵性語だから。 でも、夢が詰まっていた。光り輝いていた。 「ばあちゃんを楽にしてやりたい。絶対に野球選手になる」。 高校の先輩、荒川博に土下座する。 無理矢理に組まれた、入団テスト。 別当薫・西本幸雄が、たったの数打席で「仰天」した。 圧倒的な打撃力。新人王。 「プロの壁」に、ぶち当たる。 「3割を打たなければ給料が上がらない。ばあちゃんを楽にしてやれない」。 合気道。「臍下丹田(せいか たんでん)」。 奇行。 誰とも会話を交わさなくなる。山内一弘以外とは。 なにを言われても構わない。「球道」を極める。 極めた。圧倒的に・・。 「ボールを見送るとき、頭がピクリとも動かない。表情も変わらない。王のほうが、よほど扱いやすかった。 あれほどに恐ろしい打者には、後にも先にもお目にかかったことがない」(野村克也) 「僕が対戦した全ての打者の中で、もっとも強烈な印象が残っているのは榎本さんです」(稲尾和久) 「王と榎本とを比較したら、そりゃあ榎本の方が全然、上だった」(荒川 博) 「38勝4敗」という、無敵の大記録を誇った、南海ホークスの名投手。 4敗のうちの2敗は、オリオンズから喫したもの。 「榎本と対戦しなければならないと思うと、前日から嫌〜な気分になったものでした」。 「前田智徳は、平成の榎本喜八だ」(二宮清純) ”奇行”も含めて・・ですね。 いやでも、たぶん、「ぜんぜん適わない」んだろうなと、思う。 格が違う。”機械”が違う。 東京都中野区・上鷺宮在住。 極貧の時代、近所を走る西武電車に乗ることに、憧れた。 近所に住む”青島幸男君”はボンボンだから、いつもいっぱいベーゴマを持っていた。 初めて本格的に野球をやったのは、中野区・哲学堂公園。 私事ですが、私が初めて少年野球のゲームに出場したのも、哲学堂球場。 いまでも時々、散歩やジョギングの際に、草野球見物をしています。 「近くを流れる川(妙正寺川)にボールが飛び込むと、拾いに行かされた」。 私も、やりました。やらされました。 いまはじめて、「誇り」に思います。 弘田澄男・西村徳文・大村三郎。 「オリオンズ・職人魂の系譜」は、受け継がれている。 根元俊一にも、継いでほしい。 いやその前に、知ってほしい。 「偉大なる先達の存在」を。「軌跡」を・・。 プロ野球は、素晴らしい。
「過去との交信」だけでも、じゅうぶんに幸福な気分になれます。 |








