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昨年、東北に足を向けたのは、遅ればせながら、東北の津波の痕を見ておかないといけないと思ったことが理由の一つでした。
これからの写真は衝撃を受ける方もいるかもしれません。悲しい想いを思い出させてしまうかもしれません。そのあたりを踏まえながらの記事アップになります。
JRの気仙沼線が壊滅的な被害を受け、鉄路のところをバス専用線にして運行をしています。
プラットホームがバス停になっています。
気仙沼線沿いを北上していきます。
この写真を上げるのはためらいました。
南三陸町の防災庁舎です。
この建物は取り壊すのか、保存するのかで議論が起こっていたかと思います。
遺族からすれば悲しみを想い起こすことの傷の深さ癒えなさというのは想像に難くありません。
かたや、歴史として残しておくことの意義があるのも理解できます。津波の恐ろしさは明治に生きていた人たちは記憶していたかもしれませんが、その記憶はあるときに薄れてしまっていたのは事実でしょうから、津波の恐ろしさを100年後、200年後と後世に伝えることの意義というのも重要なことに思います。
答えが簡単に出せない問題だと思います。
気仙沼線が壊滅的な被害を受けた象徴的な場所がありあした。
清水浜駅という道路から3mほどの高台にある駅ですが、この駅では津波の恐ろしさを感じることができました。
駅名看板が津波の力で押し倒されています。
看板の下側の留金具の位置が上側にずれているのがわかるかと思いますが、これが津波の威力だったのでしょう。恐ろしい力です。
幹線道路には、津波がここまで来たことを表す標識があちらこちらに立ててありました。
今回の津波の教訓を残すのは重要なことだと思います。 |
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