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雫石から田沢湖への道のりは結構な山の中を走ります。
昔、雫石と田沢湖とスキーのはしごをしたことがありますので、このあたりは懐かしい感じがしますが、その時は電車で移動した。
自動車に乗っていると、眼下に田沢湖線を見ることができました。ここを電車に乗って移動したんだなと思いました。新しい秋田新幹線が走っている図などは撮り鉄にとっては絶好のロケーションのようにも思いました。
田沢湖というと、ランドマークとして有名なたつこ像。その後ろに湖が広がり、さらにその後ろには田沢湖スキー場が見えます。
田沢湖には玉川温泉からの強酸性の水が入り込んで、国鱒が死滅したというニュースが何年か前にありましたね。さかなクンが国鱒を再発見に一役買っていたことも話題になりました。
田沢湖を後にして、今度は玉川温泉の脇を通り(時間がないので玉川温泉は通過しました)、鹿角を目指します。
10月中旬でしたが、このあたりはぼちぼちと木々が色付き始めています。
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東北紀行
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気仙沼を後にして、さらに北上しました。
途中、町の真ん中でこんな解体現場に出くわしました。
第18共徳丸の解体現場です。
船が津波で丘にまできて座礁し、これを解体するしかないのでしょう。海からはかなり離れた場所にこのような現場がありました。
次の目的地は舞根湾。
ここはかなりマイナーな場所ですが、牡蠣の養殖がおこなわれているところです。
私の愛読書「牡蠣礼賛」の著者畠山重篤氏の養殖所があるところです。
「森は海の恋人運動発祥の地」であるこの地を一度見ておきたかったのです。
森に囲まれたこの海は森から沢山の栄養を供給してもらい、美味しい牡蠣が育つのです。
この地は70cmほどの地盤沈下があり、以前は道路だったところが、海面に沈んでいる場所も見受けられました。
完全に水没しています。
牡蠣は10月初旬でしたので、まだ育っていないとのことで、入手することはできませんでしたが、今では出荷することもできるようになっているようです。
次に向かったのは、岩手県に入り、陸前高田に足を延ばしました。
ここにはあの有名な奇跡の一本松があるところです。
高田の松原は防風林としての役割をしていたようですが、数多くあった松林もこの1本を残してすべて流されしまいました。この残った1本も懸命の保存作業に拘わらず枯死してしまい、保存のための様々な工夫がなされているようです。
地震の前の松原の様子の写真が展示されていました。
私の知人もこの高田出身の人がいて、ご両親がこの地こ住まわれていた方がいたので、安否を心配したのですが、ご無事であったようです。
復興のためのトラック(前面に緑のフラッグが掲げられています)がこの辺りはかなりの数が走っていました。
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昨年、東北に足を向けたのは、遅ればせながら、東北の津波の痕を見ておかないといけないと思ったことが理由の一つでした。
これからの写真は衝撃を受ける方もいるかもしれません。悲しい想いを思い出させてしまうかもしれません。そのあたりを踏まえながらの記事アップになります。
JRの気仙沼線が壊滅的な被害を受け、鉄路のところをバス専用線にして運行をしています。
プラットホームがバス停になっています。
気仙沼線沿いを北上していきます。
この写真を上げるのはためらいました。
南三陸町の防災庁舎です。
この建物は取り壊すのか、保存するのかで議論が起こっていたかと思います。
遺族からすれば悲しみを想い起こすことの傷の深さ癒えなさというのは想像に難くありません。
かたや、歴史として残しておくことの意義があるのも理解できます。津波の恐ろしさは明治に生きていた人たちは記憶していたかもしれませんが、その記憶はあるときに薄れてしまっていたのは事実でしょうから、津波の恐ろしさを100年後、200年後と後世に伝えることの意義というのも重要なことに思います。
答えが簡単に出せない問題だと思います。
気仙沼線が壊滅的な被害を受けた象徴的な場所がありあした。
清水浜駅という道路から3mほどの高台にある駅ですが、この駅では津波の恐ろしさを感じることができました。
駅名看板が津波の力で押し倒されています。
看板の下側の留金具の位置が上側にずれているのがわかるかと思いますが、これが津波の威力だったのでしょう。恐ろしい力です。
幹線道路には、津波がここまで来たことを表す標識があちらこちらに立ててありました。
今回の津波の教訓を残すのは重要なことだと思います。 |
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更新が疎かになっておりました。
このブランクの間に、パソコンを更新しました。
古いパソコンは、例のXPでもうすぐ使うことが危険な時期になることから前々から新しいパソコにンしなければという気持ちはがあったのですが、踏ん切りがつかずにいたときに、ブルーパニックを起こし、ついには電源が入らない状態になりましたので、新しいパソコンを調達してきました。
新しいパソコンは使いなれていたMSの形ではなく、操作に慣れませんね。
おまけに、買ってすぐにパソコンの電源を入れることさえままならない状況にもなり、ようやく本格的につかえ始めているといった状況です。
東北紀行と銘打ちましたが、これも昨年の10月の出来事です。5か月遅れの更新。少しテンポアップできればと思います。
最初に行ったのは東北石巻の石ノ森萬画館。
例の地震で津波の甚大な被害を受けた石巻。奇跡的にこの建物は流出することなく、その地に踏みとどまりました。
実はここを訪れるのは初めてではありません。地震の前に訪問したことがありました。
この写真は2007年の時に訪問した際の写真です。奇妙な形をした外観がとても印象であるとともに、川の中州に立っています。あれだけの津波が来たのですから跡形もなく流されているのかと思っていましたが、外観は変わりはありませんでした。ただし、当時はこの建物の中は津波が押し寄せたことによる瓦礫でぐちゃぐちゃになったことは言うまでもありませんし、外観も相当なダメージを受けたようですが、今ではそれもあまり感じることはありませんでした。
この時は着いたのが夕方になり、すっかり日が落ちてしまい、あまり写真を撮りませんでした。
アマゾンの足が切れているのが勿体ないこんな写真しかありませんでした。
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津波の甚大な被害を受けた町のひとつ、石巻。
ここにある石の森萬画館、なんとも不思議な形をしている建物で、川の中にある島に立っていました。
当然のように津波の直撃を受けましたが、建物は流されていないようです。
石の森キャラクターでの町おこしをしている感じでしたが、境港のような盛り上がり感とまではいっていないように感じました。
町の随所にこうした石の森キャラが鎮座していましたが、今はどうしているのでしょうか。
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