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本土寺に行った後に、ちょっと足を伸ばして、小金城址駅まで行って、流山鉄道に乗車してきました。
馬橋から流山まで、全長5.7kmしかなく、駅数は6駅。これだけの独立した鉄道です。
今は珍しい硬券を売っています。右下に見えるのは日付を刻印する刻印機。
ここの駅は唯一の行き違いができる駅のようです。
終点の流山について、向かったのはここ。
幕末に活躍した新撰組の組長、近藤勇が最後に陣地を張り、そして自首したのがこの場所だそうです。
ちょっとした歴史散歩もしてみました。 |
鉄(Train)なもの
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一畑電車に乗りたかったのですが、時間的に叶いませんでした。
一畑電車と並行して道路が走っているので、途中でこの車両と追いつ追われつという感じになりました。
かつて京王線で使われていた車両が塗装もそのままで走っていました。
なんとも懐かしい風情です。
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萩を後にして(汽車に乗車したのは東萩ですが)、一路米子に向かいます。
途中、出雲市までは山陰線に乗車したことがあるので、そこを超えれば山陰線を全て乗車したことになります。
東萩からはまずは益田行きに乗りますが、途中で
益田競馬場の跡地なのでしょうか?場外発売所が車窓から見て取れました。
廃止される前に一度訪問したことがある益田競馬場ですが、本当にのどかな競馬場だったと記憶しています。
益田からは浜田まで各駅停車の旅が続きます。
浜田の駅前には神楽のやぐらがありました。
この地方は神楽が盛んに行われているようですね。
浜田からは特急に乗りました。
この特急から見た車窓が題名にも書いたヤマタノオロチのような川 斐伊川です。
汽車の中から撮影したにしては綺麗に撮影できました。
この川の姿が頭がいくつもあるヤマタノオロチに見立てられた(ヤマタノオロチのモデルになった?)とも言われているとのこと。
ヤマタノオロチは神話の中の世界ですが、こうした川にその面影を投影すると、神話が本当の話のように思えてくるのが不思議な感じがします。 |
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かつては、大阪から山陰線まわりで博多まで行く特急が走っていましたが、今となっては、下関から益田の間は普通列車しか走っておりません。
下関からゆったりとした各駅停車のたびになりましたが、下関でハンバーガーをたべていたら時間がかなりなくなってしまい、山陰線には飛び乗ってギリギリ間に合い、のんびりとした立ち上がりではありませんでした。
しばらくすると、日本海を望む田んぼといった風景が続きます。
田植えのシーズンが終わり、稲の成長を管理している大事な時期なのでしょう。米作りをする農夫さんの写真が撮れました。
最初の列車は長門市まで。
金子みすずの詩が書かれています。
個人的な感想では、金子みすずはあまり好きではありません。
あの大地震のときにずっと聞かされていた詩を思い出すととても悲しい気分になります。
みすず女史も最後は非業の死を遂げており、物悲しさをどうしても禁じえないのです。
長門市を出るとまた海と田んぼの世界。棚田もありました。
この日の目的地、東萩に到着です。
翌日は萩市内を散策して、汽車に乗って米子を目指すことになります。 |
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枕崎線から戻ってきて、今度は宮崎へと向かいます。
日豊線もこれで乗りつぶしです。
日豊線に乗る前に、中央駅でさつま揚げを購入。
どのお店の何の具かは忘れましたが、揚げたてを駅で買ってすぐに食べられるのがうれしいですね。
汽車の中での腹ごなしになりました。
鹿児島といえば、そのランドマークはやはり桜島ということになるでしょう。
この日ははっきりと綺麗に見ることが出来ました。
霧島山系でしょうか。夕闇にぼんやりとかすんで見えましたが立派な山々です。
新燃岳の噴火は最近は落ち着いているのでしょうか。こちらではあまり話しを聞かなくなりました。
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