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イエス・キリストの言葉です。「天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである」。
最初に聖書を読んだ時、私は、天国に入るためには、自分の持ち物をみな売り払い神様に捧げなければならないと理解していました。そして「天国に入るのは大変だ」と思っていました。 ある日、尊敬している神父さんがここを読み、まったく逆のことを語られました。そしてそれがキリスト教の最大の特徴だと言うのです。 畑の中にころがっていた宝とは、私たちのことです。それを見つけだした人とは、親である神様のことです。 神様は私たちを見つけだして嬉しくて嬉しくて、喜びのあまりに私たちを手に入れるため、何でもします。そして最後には、持ち物をみな売り払っても(ご自分の子であるイエス・キリストを十字架につけても)私たちを買い取ってくださったというのです。 確かに聖書の前後を読むと、その通りなのです。自分の善行や献金によって天国に入るのではなく、神様が私たちを宝と思ってくださる愛情によって、一方的に天国に入れていただくのです。 私は、とてもショックを受けました。神様の見つめ方がまったく違っていたのです。それまで劣等感のかたまりで自分が嫌でしかたがありませんでしたが、それからは、「こんな私をも宝と思って救いの手を差し伸べてくださっているお方がおられるのだから、もう自己卑下はしない」と決意しました。そして「天のお父様、ありがとうございます」と心から思えるようになったのです。 富士山からのご来光
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