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学会は無事終了しました。
発表中には緊張のあまり、自分が何を話しているのかわからなくなったりもしましたが、全体的に見ればまずまずの出来だったと思います。
緊張するけど、人前で話すのは好きです。
さて、私は最近とみに心の問題、特に躁鬱について関心を持つようになりました。
それというのも、学会発表前に私自身もテンションが高い状態(病的というほどではない軽度の躁状態ということで、ここでは「ソウ」と呼びます)とテンションが低い状態(軽度の鬱状態ということで、ここでは「ウツ」と呼びます)を交互に経験したためです。
自分自身の体験を通じて、人間の心には平衡を保とうとする機能があるのだと思うようになりました。
ここではそんなことについて最近考えていることを書いてみたいと思います。
(以下は私の乏しい知識による独断と偏見に基づいた考察です。誤りなどありましたら、教えていただければ幸いです)
心には、「ソウ」でも「ウツ」でもない平常な状態を保とうとするバランス調整機能があるみたいです。
そのために精神状態が一旦「ソウ」になると、その反動として「ウツ」の状態が訪れます。
逆に「ウツ」状態になると、次はその反動として「ソウ」状態になります。
まるで振り子のように、精神状態は「ソウ」と「ウツ」の間を揺れ動き、結果としてバランスが保たれているのです。
だから精神が「ソウ」側に大きく傾けば、その反動として後からやって来る「ウツ」も大きくなります。
「ソウ」と「ウツ」を繰り返すのは別に珍しいことではなく、ある程度なら誰にでもあることです。
しかし「ソウ」と「ウツ」の振り幅があまりにも大きくなると、社会生活を営むことが難しくなり、治療が必要な状態になります。これが「躁鬱病」と呼ばれている状態です。
「躁鬱病」を治療するためには、精神の振り幅を、通常の社会生活が営める程度まで小さくしてやることが重要です。
「ソウ」と「ウツ」は別々のものではなく、コインの表と裏のような関係です。一方があるからもう片方もあり、一方が大きくなるからもう片方も大きくなるのです。
しかしながら、現代社会で問題視されているのは「躁病」ではなく、「鬱病」の方です。
「躁鬱病」を患っている人も、最初は「鬱病」と診断されていることが多いのです。
このように「躁病」よりも「鬱病」の方が問題視される理由としては、次の二つが考えられます。
理由1:躁状態の人は自分自身の異常に気付きにくく、病気だとは考えられないため。
理由2:現代社会においては「ウツ」状態より「ソウ」状態の方が望ましいと考えられているために、周囲が躁状態の人を心配しないため。
ソウ状態の人は概してパワフルです。バリバリ仕事を片付けることが出来ますし、やたらに明るく活動的になります。
そのために本人は「自分は元気だ」と思い込み、異常に気付きません。
さらに周囲の人達もそんな状況を問題視しません。
「あの人は最近調子がいいみたいだ」とか「元気になったね」などと好意的に解釈することもあります。
「元気がある」=「良い事」、「明るい」=「良い事」、という神話がまかり通っている現代社会においては、「ソウ」はむしろ望ましい状態とさえ考えられているふしがあります。
そのために本人も周囲も、精神状態の異常に気付きません。
ようやく気付くのは、躁の反動として鬱が発症した時です。その時に本人は自分の精神状態の異常に気付き、医師の診察を受け、「鬱病」と診断されます。
そのために「躁鬱病」の人でも、最初は「鬱病」と診断されることが多いのです。
現代社会において「ソウ」よりも「ウツ」の方が問題視される理由は、現代人の生き方を見ていればわかります。
現代はやけにせわしない時代で、現代人は二十日鼠の如く毎日走り回って生きています。
バリバリ仕事をこなせることがいい事であり、明るく社交的なことがいい事であり、楽しむことがいい事と見なされています。
「元気」で「明るく」、「楽しい」ことが現代社会では美徳と考えられています。その反面、「元気がなく」、「暗く」、「楽しくない」ことはネガティブなものと見なされています。
つまり現代社会においては「ソウ」状態(=元気で明るく楽しい状態)の方が「ウツ」状態(=元気がなく、暗く、楽しくない状態)よりも望ましいものと考えられているのです。
もちろん私も、「ソウ」状態そのものを否定しているわけではありません。
ただ、現代社会においては「ソウ」状態が過剰に求められているのではないでしょうか?
そのためにある程度の社会性を持った大多数の人々は、そのような社会の要請に応えようとして、自分自身をなるべく「ソウ」状態に持っていこうとします。
本当は疲れていても仕事を続けたり、暗い気分を押し殺して明るく社交的に振舞ったりするうちに、「ソウ」状態は次第に大きくなっていきます。
その結果、反動としての「鬱病」が発症するのではないか、と考えられます。
結局のところ、現代における「鬱病」の多さは、個人に「ソウ」状態を不断に要求し続ける現代社会の副産物ではないかと思うのです。
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最後の2行(結論)に、同意します。
現代社会が個人に求めている「ハードル(要求水準)の高さ」が
「鬱病」や、多くのひとの「生きづらさ」を招いていると思います。
2009/10/3(土) 午後 11:53 [ みずき ]
みずきさん。ようこそ。
現代社会の「生きづらさ」についてはまた話し合ってみたいものですね。
2009/10/5(月) 午後 10:28 [ 西貢 ]
「躁鬱病」を患っている人も、最初は「鬱病」と診断されていることが多い
というのは一般的に言われていることなんかな?あまり詳しくないんやけど。
2009/10/17(土) 午前 10:36 [ kino3 ]
>「躁鬱病」を患っている人も、最初は「鬱病」と診断されていることが多い
少なくとも私が知っている人はそうですね。
2009/10/19(月) 午後 11:42 [ 西貢 ]