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(上の写真)朴淵瀑布。開城三絶とたたえられる繊細美を誇る滝。
(中の写真)民俗旅館の風景。北朝鮮の一般人は立ち入り禁止区域でした。
(下の写真)昼ごはん。おいしかったです。
<朴淵瀑布のチョソンサラム>
開城市内を通り過ぎ、バスは一路、最初の観光地である朴淵瀑布に向かう。
朴淵瀑布は開城の北の守りである大興山城のすぐそばにある滝である。
徐敬徳(16世紀の有名な学者)や黄真伊(徐敬徳の弟子で、佳人として知られた妓生)と並んで「松都三絶」とうたわれた朴淵瀑布は開城観光最大の目玉である。
(松都は開城の雅号。それにしても名勝と人間をいっしょくたにするセンスがわからん・・・)
驚いたのは朴淵瀑布が開城市内から意外に遠かったこと。
開城市内を出てから一時間近くは走っていたと思う。
道路は一方通行のような細い道路で、そこに案内の車と観光バス七台が走っていた。
日本では危なくて見ていられない光景ではないだろうか。対向車を気にせずに走れるのが、北朝鮮のよいところか。
(ちなみに北朝鮮の道路は基本的にせまい。開城〜平壌間の高速道路も、片側二車線程度の広さで、舗装の具合も日本の農道みたいな感じだった)
朴淵瀑布に向かうバスの中で北朝鮮の案内員が観光案内をしていたが、途中で乗客のリクエストに応えてか歌を歌い始めた。
「野いばらの花(찔레 꽃)」や「故郷の春(고향의 봄)」のような分断前の歌を歌い(この案内員はノリノリでこちらが頼んでもいないのにしっかり二番まで歌っていた)、乗客の拍手喝采を浴びていた。
やはり同じ民族なのかと思った。
朴淵瀑布に着いた。
長いバス移動から解放され、韓国人観光客ははしゃぎまわっている。
彼らの緊張感の無さには呆れる。敵国に来ているという自覚は彼らにあるのだろうか?
といっても仕方のないことなのかもしれない。
ソウルからバスで来れてしまう距離なのだ。しかも旅行中は全て自国語だけで通用する。
韓国人ガイドは常にそばにいるし、北朝鮮のガイドとも自国語で話せてしまうのだから。
彼らからしてみれば、ソウルから少し離れたテーマパークに行くぐらいの感覚かもしれない。
(金剛山ツアーの悲劇もそんな緊張感の無さによるものかもしれない。韓国人にとってはテーマパーク感覚だとしても、北朝鮮の兵士や住民にしてみれば韓国人など異星人のようなものだ。観光地を離れて単独行動をすれば、何が起こっても不思議ではない。我々はあくまでも観光地という限られた空間の中で遊ばせてもらっていることを忘れてはいけないと思う)
朴淵瀑布に着いた。
豪快さはないが、キレイな滝だ。正直まったく期待していなかったので、うれしい驚きだった。
滝の近くの岩には落書き・・・、ではなく、名前が多く彫られていた。
韓国人ガイドの説明によれば、昔の士大夫が滝を見に来た時に、記念として彫っていったものだという。
韓国人や中国人はそういうことが好きらしいが、これはある意味自然破壊ではないか?と思った。
滝の上にも登ることができた。滝の上に登る途中で、大興山城の北門をくぐりぬけた。
大興山城は開城の北を守るための山城で、朴淵瀑布はその城壁の外側にあったかと思う。
開城観光中、私はずいぶん色々な人から珍しがられた。
「日本人なのに私達の言葉ができるんですね」と何度言われたかわからない。
北朝鮮の案内員たちも、私が朝鮮語のできる日本人であることを知ると、さまざまな質問を浴びせかけてきた。
「どこで韓国語を勉強したのか?」から始まり、「日本の教育では朝鮮の歴史をどう教えているのか?」「独島(日本では「竹島」と呼ぶ)問題についてはどう思うか?」「福田首相が辞任したそうだが、次の首相は誰になるのか?」など話が多岐にわたり、とてもじゃないがついていけない。
彼らも日本人に興味を持っていることがよくわかった。
滝の周囲には売店がいくつかあって、チマチョゴリ姿のお姉さんが販売をしていた。
そのうちの一人とツーショットで写真を撮った。北側の案内員のおじさんがシャッターを押してくれた。
「可愛く撮れたよ」とおじさんはお姉さんに言っていた。
<民俗旅館で昼食を>
お昼になった。当然ながらお腹が空く。
この日は朝の6時にコンビニで買ったパンと海苔巻きを胃に詰め込んで以来なにも口にしていない。
もうすぐお昼だけども、空腹に負けて、朴淵瀑布の売店でトウモロコシパン を買う。
2ドルなり。
(北朝鮮での買い物は全てドルで行われた。北朝鮮通貨の信用がいかに低いかを物語るものだろう。)
バスに戻ると隣の席のおばさんが、お腹が空いただろうと言って、トウモロコシパンをくれた。
さっきそれ、買ってしまったんですが・・・。(ありがとうございました。日本に持ち帰って美味しくいただきました)
余談だが、開城はやたらにトウモロコシ畑が多かった。
「またトウモロコシ畑だよ」と韓国人観光客があきれるほどに多かった。
食べ物もトウモロコシパンが売っているし、昼食のお茶もトウモロコシ茶だった。
道端でトウモロコシを干していて、バスがそれを踏みつけそうになったこともあった。
バスは瀑布を離れて開城市内に向かう。
気がついたら居眠りしてしまっていた。そのために朴淵瀑布から開城市内までの風景はろくに見られず。残念・・・。
開城市内を走る。
開城市内の南大門(ソウルの南大門に比べればはるかに小さいシロモノ)を通り過ぎ、市街中心部にある統一館(青いレンガの接待所。本来はここで昼食をとる予定だった)や子男山(市内中心部にある丘)の金日成の銅像を横目に見ながらバスは民俗旅館に入った。
民俗旅館は、開城にあった古い韓屋群を旅館として改装したもので、ちょっとこぎれい過ぎるとはいえ、なかなか情緒のある所だった。
私は以前から民俗旅館に行きたいと思っていたので、昼食場所が民俗旅館に変更されていたのはうれしかった。
実をいうと私は開城に行く前に、開城の衛星写真をグーグルアースから取ってきて、それを穴があくほど眺めていた。
だから民俗旅館の場所も大方目星を付けていたのだが、その予想が的中してうれしかった。
(民俗旅館のみならず、今回のツアーで行くところは衛星写真で大体の位置を確認していたので、バスがどちらの方角に走っているのかは大体わかった。しかしながら予想外だったのは、開城の中心市街地が私の予想よりせまかったことである)
民俗旅館をぶらぶら散歩していたら、一人の白人女性と出会った。
こんなツアーに参加する物好きな外国人が私以外にいたのか・・・と思った。
彼女は韓国人の友人の結婚式に出席するためソウルまで来て、そのついでに北朝鮮を見に来たという。
フィンランド人だった。コリアには初めて来たと言うが、そのわりには上手に箸を使いこなしていた。
昼食は13品目のおかずが並ぶ豪華なものだった。
(あとで聞いたところによると、昔の食事では、庶民は五品目、富者は七ないし九品目、王侯は十三品目のおかずを食べたという。私達は、昔なら王侯並みの待遇を受けたわけである)
味も美味しかった。
お茶はとうもろこし茶で、朝鮮産の酒も出た。至れり尽くせりの昼食に私はすっかり満足した。
おかずは全て平らげ、お茶は三回くらいお替りした。(最後にお替りしたときにはさすがに嫌な顔をされた)
食事には期待していなかっただけにうれしかった。
給仕をしてくれた朝鮮女性たちは、チマチョゴリにエプロン姿でとても可愛らしかった。
私の向かいの席に座っていた例のフィンランド人女性は「pretty」は朝鮮語でなんと言うのか私に聞いてきた。
彼女も私と同じことを考えていたらしい。「イェッポヨ」だと教えてあげたら、彼女は給仕の女性達に向かって「イェッポヨ」と言っていた。
そのあと民俗旅館内の本屋に入った。
DVD、ビデオ、本、絵画などが販売されていた。
普通に韓国人旅行者たちがそれを手にとってながめていたが、ちょっと待て。
北朝鮮のスローガン入りのDVDや本を韓国に持ち帰って大丈夫なのか?
国家保安法に抵触したりしないのか?
もし大丈夫なのだとしたら、韓国もずいぶんゆるくなったものである。
民俗旅館には建国六十周年の記念式典の写真が貼ってあり、例のフィンランド人はその写真を熱心にカメラにおさめていた。
(続く)
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興味深く読ませて戴きました。
2009/12/25(金) 午前 4:58 [ johnkim ]
読んでくださってありがとうございます。
もし感想でもいただければ、はげみになります。
2010/1/6(水) 午前 2:26 [ 西貢 ]