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店主の西貢が日々考えたことや体験したことをつづるブログです!

われ思う。ゆえにわれ書けり

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昨晩はお酒を飲みすぎてあまり眠れなかった。
なので、ベッドの中で考え事をしていた。

考え事のテーマは「身の丈に合わせて生きること」だ。

私は頑固な性格で、他人からアドバイスされてもなかなか聞き入れない。
特に自分の生き方に関してはきわめて頑固だ。

「もっとこうした方が女の子にもてるよ」
なんていうアドバイスは何度言われたかわからない。

そう言われても私は、(自分がそうしたいと思った時を除いては)まずそのアドバイスをそのまま受け入れることはしない。
自分の生き方のスタイルを崩してまで得をしたいとは思わないし、そういうやり方は結局長続きしないと思うからだ。
たとえアドバイスどおりにやらずに失敗したとしても、それは私の責任だから、私が損をするのは当たり前である。
他人のアドバイスに従って失敗した時よりは納得できるというものだ。

さっきの例でいえば、自分のやり方を貫いて、女性にもてず、結局生涯結婚できなかったとしても、それはそれで仕方がないと思う。
それが私の身の丈に合った生き方なのだろう。

我ながら二十代のくせにやけに老けたことを言っていると思う。
でも、これが私なのだ。
今までずっとこのやり方で生きてきたのだから、これからもそうやって生きていこうと思う。
それが世間に受け入れられず、就職もできず、結婚もできず、結局どこかで野垂れ死にすることになるなら、それが私の身の丈に合った生き方だったということだろう。
(途中で軌道修正する可能性もゼロとはいえないが・・・)

こんな頑固な私の考え方は、おそらく世間一般の人々とは相当に温度差があると思う。
というのも、(私の周囲も含めて)多くの人々は、より良い生き方を求めて、あくせくしているからだ。
もちろん幸せを求めて努力することはとても大切なことだ。
しかし、疑問を感じることもしばしばある。
それは、周囲の言葉やマスメディアの文句に踊らされて、明らかに身の丈に合っていない夢を求めてしまっている人の場合だ。
身の丈に合っていない夢を見過ぎて、自分の現状を冷静に見つめられていない人や、現状に不満ばかりを述べている人などを見るにつけ、「身の丈に合った生き方を満喫する」ことが何よりも大切なのではないかと思う。

誰だってより良い生活を求めるものだとは思うけど、実際に思い通りになることなんてほとんど無い。
その時に、目の前にある自分の現状をどの程度肯定できるか、が重要になると思う。肯定できる人は幸せで、できない人は不幸せだと思う。(ただし、現状への不満をバネにして現状を好転できた場合は別だけど)

昔話の青い鳥の話は、単純に「幸せは身近なところにあった」というだけでなく、「身近なところに幸せを見出せる人こそが幸せになる」という教訓なのだと思う。
つまり現状を肯定できる人こそ、人生をエンジョイできるという話なのだ。

けれども現在の日本社会は、身近なところに幸せを見出して身の丈に合わせて生きることをあまり重視していないように見える。

よく大人たちは子供に向かって「大きな夢を持て」とか「君たちには無限の可能性がある」なんてことを言ったりするけど、私はそういう言葉が嫌いだった。
何だか身の丈に合わない夢を無責任に煽っているように見えたからだ。
「大きな夢を持って、結局叶わなかったらどうするのか?その子供は一生挫折感を抱えながら生きることになるんだよ?」とか「無限の可能性はあっても、実際に選べるのは一つだけなんだよ。どうしてあえて選択肢を増やして子供を迷わせるのかな?」なんてことを思っていた。

マスメディアも盛んに身の丈に合わない夢を煽っているように見える。
「これを買えばもっといい暮らしができる」とか「これを買えば人気者になれる」みたいなCMなどを見るたびに、「どうしてみんな自分を曲げてまでマスコミが提示する『良さ』を求めようとするのだろう?」と思っていた。

そういうものに振り回されているうちに自分が見えなくなってしまう人も多いのではないだろうか。

現在の日本社会は、身の丈に合わない夢をむやみに煽って、夢破れた失意の人を沢山作り出しているような気がする。
現状を肯定できれば楽になれるのにね。
情報が多すぎる時代だからこそ、自分の身の丈に合わせて生きていかないと、情報に惑わされるだけで人生が終わってしまう危険があると思う。

急いで書いたので、あまりまとまった文章になりませんでした。
このテーマについては今後も考えていくつもりなので、また書き改めるかもしれません。
ご批判などありましたら、是非お願いします。議論大好きなので。

そういえば、中島みゆきに「バラ色の未来」という歌があるのですが、その中でこんな歌詞がでてきます。
「誰もまだ見たことがない バラ色をまだ見たことがない これだと言われたら 「そうかな?」と思う 次第に「それじゃなきゃ嫌だ」と思い込むようになって それが無いのがつらくなる」

私が今回書いた内容ってまさにこれなんですね。
TVや雑誌なんかが「これが幸せなライフスタイルなんだ」っていう宣伝をすると、人々はそれが幸せの形なんだと思い込んでしまう。
そしてそんなライフスタイルが手に入らないと、「自分は不幸だ」って思い込んでしまうわけですよ。
(しかし実際に手に入れてみると、「期待はずれだった」と言ってやっぱり嘆くことになるんでしょうけど)

「幸せ」っていうのは心の状態であって、はっきりとした形では見えないものだと思うんです。

閉じる コメント(12)

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こんばんは。
おじゃまします。
「身の丈に合わせること」自体は悪いことではないと思います。でも多くの人たちは、自分自身の身長ほど具体的に、「自分の身の丈」がどれほどのものか」わからないのだと思います。特に子どもの場合は、肉体的にも精神的にも「身の丈が定まらない」状態が続くと思います。そして成長過程の中では、大きく分けて、何らかの努力をしたにもかかわらず、挫折してしまって痛いほど身の丈を思い知らされ、それに合わせたほうが妥当と思う場合と、あきらめずに挫折から立ち直り、いっそう努力して新たな局面を切り開く場合とが考えられると思います。もちろん、いつまでたっても夢みたいなことを言い続けて自立できない人や、人から与えられた夢を追い続けて夢破れたら自分の人生失敗だったと嘆くような人も確かに存在します。

でも早々と「身の丈を知った」と言って努力をしない人より、「身の丈がわからない」まま努力を続ける人のほうが個人的には好きですね。文章中の「現状への不満をバネにして現状を好転させる」というケースですね。

2010/2/17(水) 午前 1:03 [ らいおん ]

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(つづき)
文章中の「現状への不満をバネにして現状を好転させる」というケースですね。すなわち現状肯定ばかりだと、改革や改良が進まず、どちらかというと、その時代の支配者や権力者に都合のいい状態になってしまうと思うんですね。当然、努力もしないまま、夢みたいなことばかり言っている人っていうのは論外で、こういう場合には「身のほど知らず」というのが適切かと思います。

2010/2/17(水) 午前 1:08 [ らいおん ]

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(つづき)
文章中の「頑固な性格」は、自分も似たようなところがあり、決して悪いことだとは思えません。私も学生時代から今まで、相当、頑固だったと思います。特に引用されているようなアドバイスは、推測するに「世渡りのテクニックとしてのハウツー的」あるいは「自分を偽ってでも女の子にモテル」というニュアンスが含まれていると思えるのです。つまり、そのアドバイスの裏には「一時的な楽しみのために多少の虚偽は許される」もしくは、女性など、アドバイスの対象を軽んじていて「ことばや動作によって対象をコントロールできるし、したほうが得」という含みがあるような気がするからです。もっと言えば、他人から意見やアドバイスされて安易に従う姿勢は、自分の考えや思慮が浅く、軽薄と見えてしまうのです。人間は損得だけで生きているわけではありませんからね。それに、よほどのことがないかぎり、人から言われて、生き方が安易に変えられるほうが不思議です。

2010/2/17(水) 午前 1:09 [ らいおん ]

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(つづき)
ただ、経験的に言うと、決して多くはないけれども、なるほどと思えるようなアドバイスを受けることもあり、まさに「目から鱗が落ちる」といった感じで結構、素直に聞き入れられるケースもあります。
年を重ねていったとき「頑固ではあっても頑迷にならず、周りの人の意見を聞き、いい意見だった場合には取り入れられるような人間でありたい」と思っています。そして「幸せ」というのは決して画一的なものではなく、物質的にも精神的にも多種多様で観念的なものだとも思っています。歌の歌詞のように、見たことのないバラの「バラ色」が他人からの押しつけではダメでしょうが、「バラ色」を自分の目で確認したい気持ちは少しあります。

取り急ぎ、思いついた感想など書いてみました。

2010/2/17(水) 午前 1:10 [ らいおん ]

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こんにちは。

以前哲学のゼミで「社会の成員全体を恵まれた状況に置くよりは悲惨な状況に置く方が容易である。幸福感を幸福の定義とするならば、宗教や早期教育を用いて、悲惨な状況こそが幸福であるという信念を人々に植え付けることが最大多数の最大幸福を達成する最も効率のよい方法なのではないか?」という意見を出したら、ゼミ生のかなりがアレルギー反応を示して全く議論にならなかったことがあります。
奴隷の幸福とでも言うべきでしょうか?沼昭三の「家畜人ヤプー」のような世界です。(続く)

2010/2/17(水) 午後 5:29 [ bana ]

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(続き)
私はこのような幸福感は一種の背理であって、「納得ずくでやる」「自分で決める」というのは幸福の不可欠な要件ではないかと思っています。
与えられた価値観を闇雲に鵜呑みにするというのは、たとえそれが達成可能であろうと不可能であろうと私はそれを幸福とは呼びたくありません。
私は「身の丈に合っている」を、ただ現状に満足するということではなく、自分が選択する価値観に自由にアクセスできることだと捉えています。

ただし、判断力や思考力の形成には外部からの影響が必然的にあるので、安易に自己責任で、と言ってしまうことはできないなとは思います。

ヤプー状態の人に、あんた本当にそれでいいのか?とは言いたいですが、具体的にどうコミットしていけばいいかは難しい問題ですね。
そもそも私が本当にこれでいいのか?というループにはまって落ち込んだりもするし。
背理だ、と言いつつも何が背理かははっきり言えないです。

私はどちらかというと現状否定に陥りがちなのですが、現状肯定と現状打破を両立する境地に至りたいものです。

2010/2/17(水) 午後 5:32 [ bana ]

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>獅子さま、a_y*442*さま、banaさま

まさかこの記事にこんなにレスがつくとは思っていなかったので、うれしい悲鳴をあげています。
今は引越し準備でバタバタなので、きちんとお答えできない状態です。落ち着いた頃にまたお返事しますね。

2010/2/18(木) 午前 2:54 [ 西貢 ]

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コメントに対して、お一人ずつお答えしたいと思います。
まず、獅子虎象さまから。

私の言う「身の丈に合わせる」というのは、現状を変える努力をしないこととは別です。
周囲の言葉に惑わされずに、「自分は自分なのだ」という意識を持って生きることです。(もし上の文章を読んで誤解されたのなら、ごめんなさい。私の説明が悪かったかもしれません)
さらにいえば、そのような意識をもったうえで、自分とはどういう人間なのかを自分なりに分析し、自分にふさわしい生き方を選び取っていくような主体的態度を指します。

2010/2/23(火) 午後 6:18 [ 西貢 ]

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(つづき)
>ただ、経験的に言うと、決して多くはないけれども、なるほどと思えるようなアドバイスを受けることもあり、まさに「目から鱗が落ちる」といった感じで結構、素直に聞き入れられるケースもあります。

たしかにそういうこともありますね。
もし「相手の言うことが正しい」と自分が判断したうえで、相手の意見に従うのであれば、何ら問題は無いと思います。
問題なのは、他人の言葉にとりあえず従ってみて、うまくいかなかった時に他人のせいにするような態度です。
ただ、頑固でありながらも頑迷にならないというのはなかなか難しく、私もどうすればいいのか手を焼いている問題です。

2010/2/23(火) 午後 6:18 [ 西貢 ]

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banaさま

奴隷の幸福の話はとても興味深いです。
人が何を幸福と思うかは、人ごとに違いますからね。
自分の価値観だけで、「あの人は幸せだ」「あの人は不幸だ」と決め付けてしまうことは危険だと思います。

「あの人は不幸そうだから、私の力で幸せにしてあげよう」と、頼まれてもいないのに、無理やり自分の価値観を押し付けようとすると、現代のアメリカのようになってしまいますからね。

ただそれでも、身体的苦痛に関してだけは、多少おせっかいでも干渉して取り除いてもいいと思います。
目の前で苦しんでいる人を救おうと考えるのは、人間の心として当然のことだと思いますので。

2010/2/23(火) 午後 6:25 [ 西貢 ]

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(続き)
>現状肯定と現状打破を両立する境地

私もそういう境地にたどりつきたいものです(笑)
私はどちらかというと、現状肯定に陥りがちなのですが、ときには自分の力で現状を改善しなければいけないなあ、と考えております。

ただ、自分の力で現状を変えていくことが必ずしも自分自身の幸福感に直結する、とはいえないかもしれません。
世の中には自分の力ではどうしようもないこともあるので、そういう部分については現状を肯定していった方が賢明なこともあるかな、と思います。
といっても、初めから努力を放棄する人になりたいわけでもありませんけど。

2010/2/23(火) 午後 6:39 [ 西貢 ]

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a_y*442*さま

>人は完全には分かり合えません。みな孤独を生きています。不可能だからこそ、そこに夢を見て求め合うんです。

これは同感です。
人間は究極的には孤独なものだと私は思っています。
そして、だからこそ、「相手を理解したい」とか「相手とつながりたい」と思うのだと思います。

そういう気持ちはただの幻想なのかもしれないですけど、そういう幻想を受け入れていった方が、この世界を生きていくうえでは楽しいかもしれません。
私は、他人が過度に干渉してくる社会で暮らしたいとは思いませんが、他人との関係が全く無い社会にも暮らしたくはありません。
幻想なら幻想と割り切って、その幻想を利用しながら生きていきたいと思います、

2010/2/23(火) 午後 6:46 [ 西貢 ]


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